2019/05/06 アーユルヴェーダ講習会に参加する 1

今年のGWは10連休。

その間に平成が終わりを告げ、新しい元号である令和が始まった。

連休中、イレギュラーになった時間割に合わせ、出席出来るクラスにだけ参加。
人の移動が増えるこの時期に外出したくない私は、もう少しどっぷりとヨガに浸っていたかったのだけど、会う機会が減ってしまった友人知人と会ったりする場を設けたり、参加するクラスで良く会うスクール仲間と食事に出かけたり。

後半は徐々に参加するクラスを増やし、連休明けからは受講するクラスを変えてみたり増やしてみたりする予定。

連休最終日の今日はスクールで開催されたアーユルヴェーダ基礎編の講習に参加してみた。

アーユルヴェーダ
古代インドで発祥した総合的な医学体系で、生命な寿命に関する知恵、知識を今に伝えている。

人として生き物として自分はもちろん、他者や他の生物の命を大切にする事を基本に生きていく。
その過程で健康であること、富を得ること、願望を叶えること。
そして解脱することを目的とした学問でもある。

ヨガを学ぶ過程で身体や心の変化を感じ取り、以前から聞いた事のあるこのアーユルヴェーダに関して興味を持ち始めた。

今日の講習に参加する前、すでにアーユルヴェーダとの接点は生まれていた。

仕事で訪れるタイはバンコク市内にあるヨガスクールでアーユルヴェーダマッサージやシラットハラ、そして自分の体質を知る触診を受けたりしていたのだ。

今日の講習は基礎編なので、アーユルヴェーダとは何か?
その基礎の基礎、入り口を学ぶ場という内容だった。

アーユルヴェーダにおける生命とは
肉体
精神

の3つから構成されるもの。

その生命が持つ五感に対し、正しく触れることが重要とされる。

五感のバランスを保つ為に必要とされることのひとつに正善行為というものがあるそうだ。

汚い言葉を使わない、嘘をつかない、他人を陥れないなど、私たち日本人が子供の頃に親や道徳のクラスで学んだ事と同じだ。

嘘に関して新鮮だった話があった。

「嘘も方便」などと言われ、時と場合によっては嘘も使い方次第でその場を納めたり、他人を傷つけずに済む場合があるという教えがあるが、アーユルヴェーダではそのような嘘も使わない方が良いという。

1度嘘をついてしまうと、その嘘を突き通す必要に迫られる可能性が高く、いつかばれてしまうのではないか? いつまでこの嘘をつき通さなければならいないのか?というプレッシャーが心と身体に影響を与え、バランスを崩してしまうから。

確かに相手の事を考えての嘘、空気を読んでの嘘をついた場合でも、嘘をついた自分、ついてしまった自分に対して納得出来なかったり、相手に対して申し訳ない感情を抱いてしまったり。。。心の省か不良を起こすことって多いと思う。

ではどうすれば良いのか?
幾つか方法、手段があると思うのだけど、アーユルヴェーダでは沈黙するのも一つの選択肢になると教えているのだそうだ。

言葉は便利な反面、相手を傷つけてしまう場合もある。
嘘をついた事により、その場を丸く収まったとしても根本的な解決にはほど遠かったり、一時しのぎの嘘でそれが相手にバレバレだったり。

言葉は準備の出来ている相手に簡潔に正しく使うもの。

迷っている相手に対してバッサリと切り捨てるような事はしない。
不安を更に強めるような事は言わない。
例えそれが真実であったとしても。

相手に受け入れる準備が出来ているのか?
受け入れる度胸、度量があるのか?
そしてどのような流れで、伝え方、言葉で伝えるべきなのか?

そんな配慮が必要なのだろう。

医学ではあるけど哲学でもあるアーユルヴェーダ。
身体の事や食事の事だけではなく、人のあり方も学べる裾野の広さもある。

それだけに習得するのにはかなりの時間と経験が必要になるようだ。
人が100年生きるとして、3回生まれてきたとしても学べない。
そんな風にも言われているそうだ。

次回はアーユルヴェーダの基本となる3つの体質に関して書いてみたいと思う。

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