五月病 

こんにちは。

五月病。
連休明け辺りから良く耳にする言葉です。

私は独立し、一人で仕事をしている環境にあり、基本的に面倒な取引先とは仕事をしない生活を続けているので、この手の病気とは無縁に過ごしていますが、世の中には結構、メンタル系の影響に悩まされている人が多く、その数も増えていると聞きます。

先日、ヨガのクラスでも五月病対策ということでヨガと呼吸、自律神経の話が出ました。

自律神経は主に呼吸器系の働きを司っている神経。
交感神経と副交感神経の2つがメインの柱になっているそうです。

自律という言葉が使われていることからも分かるように、体内にありながら自律している神経なのだそうです。

この自律神経に働きかけが出来るのが呼吸。

息を吸い込む呼吸は交感神経、身体と心を呼び覚ます。
息を吐き出す呼吸は副交感神経、身体と心を休める。

またヨガのポーズですと胸を開くポーズは交感神経。
背中を丸めるポーズは副交感神経にそれぞれ働きかけるそうです。

五月病にはなったことがない=五月病とは無縁という訳ではないでしょう。
たまたまそのような環境にいなかっただけで、この先は分かりません。

あまり意識をし過ぎても良くないと思うので、これまで通り気楽に、自分を大切にすることを第一に仕事を続けていきますが、ヨガを学ぶ事が五月病対策、予防になるのならプラスでしかありません。

ヨガを楽しんでいるだけで五月病を遠ざける事が出来ているのだとしたら、本当にありがたいことです。

ヨガスクールに通い出したのが2018年10月、参加した各クラスで呼吸の心地良さに出会い、そこから瞑想への興味が生まれました。

のんびりしたキャラとは言え、スウィッチが入るとけたたましく怒り出す自分。
怒ったあとは不愉快にり自己嫌悪、メンタルも疲れる。
そういう自分が厭でもあります。

この半年ほど、「ヨガをやっている」という意識が働いている面も否定はしませんが、以前と比べると些細な事に腹を立てたり、他人のミスに対してイライラする感情が生まれたりすることは随分と減りました。

感情のある人間なので、喜怒哀楽が完全に消えるということはありませんが、それでも感情の起伏はかなりなくなったように思います。

喜んでいる自分。
怒っている自分。
悲しい気持ちになっている自分。
楽しんでいる自分。

それらの自分を少し俯瞰した視点で冷静に眺め、受け入れているもうひとりの自分の存在。

その存在のお陰で感情に流される事は少なくなっています。

ヨガや瞑想の効果ではないか?と感じています。

あと3ヶ月、あと半年、あと1年。
ヨガや瞑想、呼吸を学び続けた先に、一体自分はどうなっていくのか?

いや、どういう自分になりたいのか?
目標設定、ゴール設定。
あいまいな理想ではなく、もう少し具体的な条件を設定する過程、方法としても
ヨガを瞑想を活用出来ないものか?

最近はそんなことを考えています。

世の中の流れに身を任せて生きてはいますが、そこに自立するという立脚点を持って生きてもいたいから。

ヨガの語源、ユジュ。
つながるという意味だそうです。

身体の各部分のつながり、心と身体の繋がり。
他者とのつながり。

ヨガに取り組む理由や動機はそれぞれだし、目標も人それぞれ。
あってもなくても良いでしょう。

お気楽極楽に。

寝たままヨガ ちょっと変わった瞑想法

こんにちは。

今日は2つのクラスに参加。

1つ目はヨガのアーサナ(ポーズ)を学ぶクラス。
ヨガを始めて早7ヶ月が経過。

しかしポーズを取った姿勢を維持するとやや身体がブレてしまう。
バランス感覚にやや問題があるのかな?と自分では思っているのだけど、でも、少しでも上手にポーズを取れるようになりたい。

そんな思いから、最近はアーサナを学ぶクラスへの出席回数を徐々に増やしている。

今日は太もも付近の筋肉や関節を重点的に動かすポーズが多かった。
普段よりややキツめの内容で、ポーズを維持する間、額に汗が浮かんだほど。
クラスが終わった後の休憩中、少し疲労感を感じる、ある意味心地よい状態になっていた。

2つ目のクラスは「ヨガニドラー」という瞑想系のクラスだ。
1時間のクラス中、前半は比較的緩やかなポーズを取っていく。
身体に負担の少ないポーズが多いので初心者でも付いていける内容になっている。

ポーズを取りながら、身体をほぐし、呼吸を整え、徐々に後半の「寝たままヨガ」に備えていくような流れ。

程よく身体をほぐした後、マットの上に仰向けに寝る。

ただ単に寝るのではなく、インストラクターの導きによって、手足に軽く力を入れたりもする。
そして一連の動きが終わったあと、自分が願うこと、願望、欲しいものなどを思い浮かべ、心の中で思い浮かべる、言葉にする。

「なりたい自分」
「どうしてそうなりたいのか?」
を自分に問いかけていく。

「バッグが欲しい」
「車が欲しい」
などの物欲系の願いでもよいそうだ。

瞑想状態で自分の欲しいものを思い浮かべる事により、それを実現する為にどうすれば良いのか?を思案すると比較的物事が実現し易くなるという。

ブームになった「引き寄せの法則」に近いものがあるのだろうか?

願う=夢が叶う
という事はなかなかない事だと思うのだが、思う事によりその方法、案を考える、意識することによりそれを現実として受け止めるようになり、現状の自分に対して違和感を覚える。
そして自然とアクションを起こすようになれる。
小さなアタックを繰り返す事により経験が重なり、小さな結果が重なり、より物事がうまく運べるようになる。
それが願望実現のプロセスだと解釈している。

時々、このクラス「ヨガニドラー」に参加しているのだが、横になって5分後くらいには完全に寝落ちしてしまう。

10人~15人の参加者の中でそんなに簡単に寝てしまうのか?と思われる方もいると思う。

それが意外と簡単に寝れてしまう。
中にはイビキをかいている人もいるくらいだ。

寝ても構わないクラスなのだが、インストラクターからは寝ないコツのようなものがあるとの説明があった。

横になり目を瞑ったあとは脳が様々な事を思い浮かべるようになる。
夢や今夜の晩ご飯のこと。来月の海外旅行こと。。。
人それぞれだとは思うが、ゆっくりとではあるがリラックス状態の中で脳の動きは継続する。

思い浮かんだ情景や感情、気持ちなどを少し俯瞰した視線で眺める。
考えや感情を持った自分を冷静に眺めるもう一人の自分を持つ。

人は感情の生き物などと言われるように、生きていると感情とは切っても切れないもの。
でも、その感情に付いていってしまうと人を傷つけてしまったり、モノを壊したり、不愉快な思いを抱え込んでしまったり。。。。。

他人を不愉快にしてしまうし、結局自分も不愉快になる、自分を傷つけてしまうことになる。

少し俯瞰したところから、そういう状態にある自分を冷静に眺め、受け止める、受け流すことにより、もう少し心地よく人生を生きていけるようになるのではないか?

怒っていたり悲しんでいたりする自分を否定する必要はない。
それはそれで無理があるし、そんなことをしたらどこかで歪みが生まれ、結局未来の自分にしわ寄せがくるのではないか?

そんな話を意識しながらマットに横になり、インストラクションに導かれ。。。結果、寝落ち為てしまった。。(笑)

「難しいなぁ。。」なんて思う必要はない。
昨夜は4時間しか寝てなかったから、多分寝てしまうだろうと予測しながらクラスに参加していたのだし。

でも、少しずつではあるけれど、自分の起きつつある変化を感じている。

自分に対して余裕を持つことが出来るようになってきている。
余裕が出来ると細々とした事に対して腹を立てたりしなくなるし、他人を許せるようにもなってくる。

人間なので、時には頭に来ることもあるし、それに対して汚い言葉を吐いてしまうこともある。

でも、すぐに「言わなきゃ良かった」「今のなしね」と撤回訂正するし、口にする頻度は随分減っている。

無理してポジティブになっているのとも違う、もっと心地よい状態。

果たしてこの変化はヨガや瞑想に取り組んだ結果なのか、単なる老化現象なのかはまだ分からないし、最後まで分からないかも知れない。

でも確実に変化が起きているし、その変化を受け止めていたい。

少し柔和になった自分。
そして仕事に対して以前より前向きになっている自分もいる。

ヨガスクールに通う前とは明らかに違う自分。
でも、子供の頃の自分はこんな感じだったような。。。。

なんとも不思議。