2019/5/19 リストラクティブヨガなるものに参加

こんにちは。

私の場合、ヨガスクールには週に3~4日、最低でも5クラスに参加するように予定を組んでいる。

日曜日はダラダラと布団の中で過ごすようなことはなくなったけど、横になって本を読んだり、近所を散歩したりしている。

なので、日曜日にヨガクラスへ参加することもなかったのだけど、たまたま見たウェブの時間割に見慣れないクラスを発見した。

「リストラクティブヨガ」

ヨガスクールへ通う前、どのようなクラスが開かれているのかウェブでチェックした際に目にしてはいたけど、私の通っているスクールのスケジュールには載っていなかったので、多少の興味はあったけど、少し忘れかけていた存在であった。

月に1度だけ、日曜日に開催されることになったようで、ならば日曜は返上して参加しよう!

家でゴロゴロしてるより好きなこと、興味のあることに触れてる方がいいし。

リラックス系のヨガで、ブロックやボルスター、紐などを使い、それらの道具に身を預ける独特な内容になっている。

ただダラリと横になる、力を抜くのではなく、身体のある部位に柔らかな負担を掛けることによって、身体をリラックスさせる。。。そんな説明を受けた。

クラスは日曜日ということもあってか、スタジオは満員御礼状態。

1開催というレア度もあっただろうし、疲れを癒やしたいという方が多いのだろう。

ボルスターに片足を乗せたり、ブロックで傾斜を付けたボルスターに背中を預けて脱力したり。

その逆に傾けたボルスターに足を乗せ、頭を下にした姿勢を維持したり。

ポーズごとに道具を使うので、その使い方に慣れないと多少、戸惑ってしまうかも知れないけど、これも参加回数が増えていけば慣れてしまうことだろう。

ゆったりとしたポーズを比較的長い時間維持するので、ポーズによっては寝る寸前の状態になってしまう。

意識のある状態と寝るちょっと手前の状態を行ったり来たりしている。

それがとても心地よい。

スタジオは満員状態で隣の人と手が触れてしまうような空間なのに、ポーズを維持し呼吸に意識を向けて目を瞑っていると自分の世界、自分自身とつながるような感覚に落ちてしまう。

多分、私以外の参加者も同じような心地よさにあり、参加者が醸し出す空気感があの心地よい空間を作り上げるひとつの要因になってもいるのではないだろうか?

クラスが終わり、スタジオを出ると受付スタッフさんが「良かったですか?」と聞いてきたので「これはヤバイですね~」と答えると「でしょ?でしょ?」と笑顔を振りまいてくれた。

彼女も時々このクラスに参加しているとのことで、共感してもらえる人が増えたのが嬉しかったのだそうだ。

他者と価値を共感する喜び。分かる分かる。

日曜日にヨガ。

いや、日曜日もヨガ。

いやいや、毎日ヨガ。

私の場合、毎日ヨガに触れていたいのだ。

元来怠け者であるので、1日、2日休んでしまうと、クラスに行くのがやや面倒に感じてしまうことが多々ある。

こんなに好きなヨガなのに。。。。私はこんな性格なのだ。

こんな私でも半年以上、ペースを落とすどころかペースを上げてクラスに参加している。

ヨガとの相性は非常に良いのだ。こんなに楽しい事に出会えて本当に良かった。

ヨガとの出会いに感謝感謝。

目標に至る過程を楽しむ 完璧を求めすぎないこと

こんにちは。

先週土曜の午前中は骨盤矯正クラスからヨガのポーズを学ぶクラスと2クラスに参加。

骨盤矯正のクラスにはあまり参加出来ていないのだけど、少しずつ少しずつ動きに慣れてきたように感じる。
慣れで身体を動かしてしまうと、気を抜く、手を抜くことにつながりそうなので、身体の向きや骨盤の動かし方に集中するようにしている。
日常生活にも言えるけど惰性って怖いですからね。

身体が身体の動かし方を身につけられるよう丁寧に丁寧に接していきたいと思う。

骨盤矯正のあとはヨガクラス。

この日は2本足で立つという非常に基本的な事を学ぶ時間が多かった。

スクールに通い始めたころ、「立つ」ことを学ぶ機会があったのだが、私の場合、思った以上に片足に体重を掛けすぎていると感じた。

また、立ってはいるものの意外とフラフラとしたまま身体を支えているようにも感じた。
そう、重心が定まっていないのだ。
定まらない重心を足裏の様々な部分で支えている。
支えるポイントも身体がフラフラしているので常に動いている。
そんな感じだった。

足の指先、かかとにしっかりと体重を伝えて立つ。
足裏の3点、または4点を意識する。

足の甲や指を動かすワークも週に数回自宅でも取り組んでいるので、足指の開きが良くなり、指や甲の関節も柔軟に動くようになってきた。

結果、「立つ」ポーズを取った際に以前と比べると安定感が増したように感じる。

立った時の背骨と骨盤の位置に関してもしつこいくらい繰り返された。
この辺りのエクササイズはやや難しく、微妙な動きを重ね合わせる必要がある。
今の私では文章にして説明が出来ないので、また後日、この事に触れてみたいと思う。

足裏にしっかりと体重を伝えて安定感を持って立つ。
この姿勢を中心にしっかりと腰を落としながら腰を落とす流れから座る。
また片足で立ちながら身体のバランスを取りながら姿勢を維持する。

両足立から片方の足を持ち上げ、その持ち上げた足の膝裏を立っているもう1本の足の膝に掛ける。
そのまま徐々に腰を落としていく。
丸まりがちな背中を意識し、胸骨を前に向け視線を上げる。
身体の様々な部位を意識しなければならないし、片足立ちを維持するので、初心者の私にはやや困難なポーズなのだけど、胸骨を前に顔を上げ、視線を定めると不思議な事に呼吸が入りやすくなり、バランスも安定するようで、困難な中にも安堵感を感じるようになるのだ。

また両足立の姿勢から腰を直角に織り、視線を床に落とす。
両手を床に落とし身体を支えながら、片足を上げて後方へ伸ばす。
当然、これも片足立ちのままポーズを維持しなければならない。

上げた方の足は後ろへ伸ばすことを意識しつつ、太ももの内側を天井へ向けるような意識で更に角度を付ける。

これは結構厳しいかった。
後方へ持ち上げた足と背中が一直線にならず、足はややだらりと下がってしまっていたと思う。
それでも背中を意識し視線を前方へ向けると呼吸が楽になるし、気持ち良く思えるようにもなる。

インストラクターさんが「難しいポーズだし、今の自分には無理、厳しいと思ったら、少し身体を緩めてください。休んでいても構いませんよ」と声を掛けてくれる。
そう言われると意地になってポーズを取ろうとしたり、顔を歪ませながらポーズを維持したりしようとしてしまう。

でも、ヨガの場合はそんな事はしなくても良い。
難しかったら難しくなる手前の姿勢に戻ってみる。
無理だったら休む。

身体に痛みを感じたり、怪我を抱えている人はトライする必要はない。
トライすることにより、身体を虐め、不快感を感じさせてしまうことになってしまう。

トライする気持ちや姿勢はとても重要。
でも難しいポーズの場合は出来ない事が多々ある。
要は「やってみよう」という気持ちが大切なのだろう。

今の自分には出来ない。
初心者には無理だ。
今日の自分にはここまでかな?

自分の身体と対話しつつ現状を認識し受け止める。

でも今日トライしたポーズは身体が覚えていてくれる。
そして次ぎにトライした際に、もしかするともう少し上手になれるかも知れない。

日々の小さなトライアルの積み重ね。
小さな成功の積み重ね。
よく出来た自分も出来なかった自分も受け止め、受け入れ、認めてあげる。

無理せず無理はさせず。

定番ポーズを大切にしながら、新しいポーズや動きにも興味津々。

いいじゃん、下手でも!

楽しもう!!

五月病 

こんにちは。

五月病。
連休明け辺りから良く耳にする言葉です。

私は独立し、一人で仕事をしている環境にあり、基本的に面倒な取引先とは仕事をしない生活を続けているので、この手の病気とは無縁に過ごしていますが、世の中には結構、メンタル系の影響に悩まされている人が多く、その数も増えていると聞きます。

先日、ヨガのクラスでも五月病対策ということでヨガと呼吸、自律神経の話が出ました。

自律神経は主に呼吸器系の働きを司っている神経。
交感神経と副交感神経の2つがメインの柱になっているそうです。

自律という言葉が使われていることからも分かるように、体内にありながら自律している神経なのだそうです。

この自律神経に働きかけが出来るのが呼吸。

息を吸い込む呼吸は交感神経、身体と心を呼び覚ます。
息を吐き出す呼吸は副交感神経、身体と心を休める。

またヨガのポーズですと胸を開くポーズは交感神経。
背中を丸めるポーズは副交感神経にそれぞれ働きかけるそうです。

五月病にはなったことがない=五月病とは無縁という訳ではないでしょう。
たまたまそのような環境にいなかっただけで、この先は分かりません。

あまり意識をし過ぎても良くないと思うので、これまで通り気楽に、自分を大切にすることを第一に仕事を続けていきますが、ヨガを学ぶ事が五月病対策、予防になるのならプラスでしかありません。

ヨガを楽しんでいるだけで五月病を遠ざける事が出来ているのだとしたら、本当にありがたいことです。

ヨガスクールに通い出したのが2018年10月、参加した各クラスで呼吸の心地良さに出会い、そこから瞑想への興味が生まれました。

のんびりしたキャラとは言え、スウィッチが入るとけたたましく怒り出す自分。
怒ったあとは不愉快にり自己嫌悪、メンタルも疲れる。
そういう自分が厭でもあります。

この半年ほど、「ヨガをやっている」という意識が働いている面も否定はしませんが、以前と比べると些細な事に腹を立てたり、他人のミスに対してイライラする感情が生まれたりすることは随分と減りました。

感情のある人間なので、喜怒哀楽が完全に消えるということはありませんが、それでも感情の起伏はかなりなくなったように思います。

喜んでいる自分。
怒っている自分。
悲しい気持ちになっている自分。
楽しんでいる自分。

それらの自分を少し俯瞰した視点で冷静に眺め、受け入れているもうひとりの自分の存在。

その存在のお陰で感情に流される事は少なくなっています。

ヨガや瞑想の効果ではないか?と感じています。

あと3ヶ月、あと半年、あと1年。
ヨガや瞑想、呼吸を学び続けた先に、一体自分はどうなっていくのか?

いや、どういう自分になりたいのか?
目標設定、ゴール設定。
あいまいな理想ではなく、もう少し具体的な条件を設定する過程、方法としても
ヨガを瞑想を活用出来ないものか?

最近はそんなことを考えています。

世の中の流れに身を任せて生きてはいますが、そこに自立するという立脚点を持って生きてもいたいから。

ヨガの語源、ユジュ。
つながるという意味だそうです。

身体の各部分のつながり、心と身体の繋がり。
他者とのつながり。

ヨガに取り組む理由や動機はそれぞれだし、目標も人それぞれ。
あってもなくても良いでしょう。

お気楽極楽に。

寝たままヨガ ちょっと変わった瞑想法

こんにちは。

今日は2つのクラスに参加。

1つ目はヨガのアーサナ(ポーズ)を学ぶクラス。
ヨガを始めて早7ヶ月が経過。

しかしポーズを取った姿勢を維持するとやや身体がブレてしまう。
バランス感覚にやや問題があるのかな?と自分では思っているのだけど、でも、少しでも上手にポーズを取れるようになりたい。

そんな思いから、最近はアーサナを学ぶクラスへの出席回数を徐々に増やしている。

今日は太もも付近の筋肉や関節を重点的に動かすポーズが多かった。
普段よりややキツめの内容で、ポーズを維持する間、額に汗が浮かんだほど。
クラスが終わった後の休憩中、少し疲労感を感じる、ある意味心地よい状態になっていた。

2つ目のクラスは「ヨガニドラー」という瞑想系のクラスだ。
1時間のクラス中、前半は比較的緩やかなポーズを取っていく。
身体に負担の少ないポーズが多いので初心者でも付いていける内容になっている。

ポーズを取りながら、身体をほぐし、呼吸を整え、徐々に後半の「寝たままヨガ」に備えていくような流れ。

程よく身体をほぐした後、マットの上に仰向けに寝る。

ただ単に寝るのではなく、インストラクターの導きによって、手足に軽く力を入れたりもする。
そして一連の動きが終わったあと、自分が願うこと、願望、欲しいものなどを思い浮かべ、心の中で思い浮かべる、言葉にする。

「なりたい自分」
「どうしてそうなりたいのか?」
を自分に問いかけていく。

「バッグが欲しい」
「車が欲しい」
などの物欲系の願いでもよいそうだ。

瞑想状態で自分の欲しいものを思い浮かべる事により、それを実現する為にどうすれば良いのか?を思案すると比較的物事が実現し易くなるという。

ブームになった「引き寄せの法則」に近いものがあるのだろうか?

願う=夢が叶う
という事はなかなかない事だと思うのだが、思う事によりその方法、案を考える、意識することによりそれを現実として受け止めるようになり、現状の自分に対して違和感を覚える。
そして自然とアクションを起こすようになれる。
小さなアタックを繰り返す事により経験が重なり、小さな結果が重なり、より物事がうまく運べるようになる。
それが願望実現のプロセスだと解釈している。

時々、このクラス「ヨガニドラー」に参加しているのだが、横になって5分後くらいには完全に寝落ちしてしまう。

10人~15人の参加者の中でそんなに簡単に寝てしまうのか?と思われる方もいると思う。

それが意外と簡単に寝れてしまう。
中にはイビキをかいている人もいるくらいだ。

寝ても構わないクラスなのだが、インストラクターからは寝ないコツのようなものがあるとの説明があった。

横になり目を瞑ったあとは脳が様々な事を思い浮かべるようになる。
夢や今夜の晩ご飯のこと。来月の海外旅行こと。。。
人それぞれだとは思うが、ゆっくりとではあるがリラックス状態の中で脳の動きは継続する。

思い浮かんだ情景や感情、気持ちなどを少し俯瞰した視線で眺める。
考えや感情を持った自分を冷静に眺めるもう一人の自分を持つ。

人は感情の生き物などと言われるように、生きていると感情とは切っても切れないもの。
でも、その感情に付いていってしまうと人を傷つけてしまったり、モノを壊したり、不愉快な思いを抱え込んでしまったり。。。。。

他人を不愉快にしてしまうし、結局自分も不愉快になる、自分を傷つけてしまうことになる。

少し俯瞰したところから、そういう状態にある自分を冷静に眺め、受け止める、受け流すことにより、もう少し心地よく人生を生きていけるようになるのではないか?

怒っていたり悲しんでいたりする自分を否定する必要はない。
それはそれで無理があるし、そんなことをしたらどこかで歪みが生まれ、結局未来の自分にしわ寄せがくるのではないか?

そんな話を意識しながらマットに横になり、インストラクションに導かれ。。。結果、寝落ち為てしまった。。(笑)

「難しいなぁ。。」なんて思う必要はない。
昨夜は4時間しか寝てなかったから、多分寝てしまうだろうと予測しながらクラスに参加していたのだし。

でも、少しずつではあるけれど、自分の起きつつある変化を感じている。

自分に対して余裕を持つことが出来るようになってきている。
余裕が出来ると細々とした事に対して腹を立てたりしなくなるし、他人を許せるようにもなってくる。

人間なので、時には頭に来ることもあるし、それに対して汚い言葉を吐いてしまうこともある。

でも、すぐに「言わなきゃ良かった」「今のなしね」と撤回訂正するし、口にする頻度は随分減っている。

無理してポジティブになっているのとも違う、もっと心地よい状態。

果たしてこの変化はヨガや瞑想に取り組んだ結果なのか、単なる老化現象なのかはまだ分からないし、最後まで分からないかも知れない。

でも確実に変化が起きているし、その変化を受け止めていたい。

少し柔和になった自分。
そして仕事に対して以前より前向きになっている自分もいる。

ヨガスクールに通う前とは明らかに違う自分。
でも、子供の頃の自分はこんな感じだったような。。。。

なんとも不思議。