ヨガにおける煩悩

こんにちは。

このブログを書いている2019年6月24日は週明け月曜日。
先月から毎週月曜日は午前中のヨガクラスに参加するようになった。

私にとってはややキツめのポーズを取るクラスなのですが、それはそれで面白い。
出来なかったり、出来たとしても結構キツかったりするのだけど、出来ても出来なくても、トライしている自分を楽しむ。

キツい場合はどこがどうキツいのか? キツかったのか?
出来ない事が分かれば対応策としてピラティスでインナーを鍛えたり、インストラクターに質問したりして次のトライに繋げていく。

週末のんびりと過ごし、やや鈍った身体を揺り起こす時間としても、私にとってこのクラスは必須になりつつある。

クラスが始まってからインストラクターから興味深い話を聞く事が出来た。

ヨガにおける煩悩について。

大晦日、お寺で108回の鐘を鳴らして煩悩を洗い流す、なんて話は良く聞きますよね。

ヨガにも煩悩という概念があり、それは大別して5つに分ける事が出来るそうです。

仏教の煩悩もこの5つを深堀りした流れから生まれた考え
煩悩

1 無知
2 自我意識
3 貪欲
4 嫌悪
5 生命欲

からなるそうです。

1 無知
例えば何かを失敗した際、「なんでこんな単純な間違いをしてしまったんだろう。私って馬鹿だな」「も~、いっつもいっつも同じミス連発。私って全然成長しない!」とか。真面目日本人は特に自分を責めてしまいがちだと思います。

でも、それも自分なんだと認めてあげることによって、自分を責める事から離れる事が出来る。

短期的には間違いかも知れないけど、後々、良い経験だったと思える時が来るかも知れない。

少し自分に対して俯瞰した視点を保ち、優しく接してあげる。

自分を知ることと自分との付き合い方を知るだけど、また違った生き方が出来るのではないでしょうか?

2 自我意識
自分はこういうもの、こういう人だと自然と信じてしまっている。
それが良いことなのか?
逆に悪いことなのか?
を意識することもなく、考えることもなく思い込んでしまっている。

それが3の貪欲と4の嫌悪につながります。
「やっと手に入れたアニメキャラのフィギュア!」
「一生懸命働いてお金を貯めて、ようやく買えたブランドもののバッグ!もう一生大切にするよ!」
車や有名レストランでの食事など、誰もが経験したことがある喜びの一瞬。

でも、時間の経過と共に「まだあのフィギュアを買わないとコンプリート出来ないな」「このバッグと同じシリーズのポーチも買わなきゃな」なんて意識が頭を持ち上げてきます。

自分が好きなものに囲まれていたい。
俺はこの車に乗るに相応しい。
あの子が持っているブランドより私が持っているバッグの方が高級。。。

心から好きなものを手にした。
そこまでは良かったのに、そこから派生する欲望に心のコントロールを奪われてしまう。

4の嫌悪は好き嫌い。
生活の場、学校や職場でナゼか好きになれな人の存在。
遠ざけるだけでは飽き足らず、攻撃したり嫌がらせをしてしまったり。
ついついキツい言葉使いをしてしまい、相手を傷つけてしまう。
そんな自分に嫌気がさし、自分も傷ついてしまう。

5 生命欲
人は生きている限り他の生命をいただいて、次の世代へ命をつないでいく。
食べ物が十分に世に渡りきらなかった時代と違い、現代は飽食の時代とも言われて久しいですよね。

日本はとても恵まれた環境にあり、食べ物の確保に苦労するなんて事も減りました。

大量の食品が加工され販売されている。
消費者保護の面で仕方がないのでしょうけど、大量の食品が破棄されている。

「長く生きていたい」という人間が生き物として持っている本能も煩悩として考えられるそうです。
「もっと生きていたい」
「いつまでも健康でいたい」

だからと言って他の生命を無駄に奪い続ける。
他人を蹴落としてでも収入を増やし、豊かな生活を実現する。それが世の中だとふんぞり返っている。

どの感情、思考も人が生きている限りは切り離せないものですよね。

私も長く生きて新しい時代の空気に触れてみたいし、2045年のシンギュラリティ以降の世界を見てみたい。
ならば出来るだけ健康でいたい。
美味しいものを食べていたい。

私は幸い物欲や所有欲が少なく、車や服、持ち物には興味があまりありません。

食べ物も高価で豪華なものはたま~にで十分。
普段は納豆や豆腐、野菜など質素な食べ物で満足いく食生活を送っています。

でも、人間ですからね。
煩悩を切り離して生きていくなんて事は無理です。

煩悩を持ってしまうこと自体は仕方がない。
でも、その煩悩を見つめ、受け止め、理解する。
理解出来なくとも煩悩の存在を認める。
そして流し去る。

煩悩が苦しみに変わり、私たち自身をコントロールする前に。

生きている限り煩悩から自由に生きる事は難しいと思います。
ごく少数の天才や超人を別にして。

自分たちの人生が少しでも自由である為に。
生まれてくる感情や煩悩を見つめ、距離を取って俯瞰する。

仕事とは別のライフワークとして。
私は少しでも煩悩の存在を意識し実感し、対処する方法をヨガを通して学びたい。

今日のクラスを終えたあと、そんなことを考えました。

日進月歩

こんにちは。

ややクラシカルな言葉をタイトルにしてみました。

毎日という訳ではないですが、私の場合、週に5~7時間、出来る時は8時間、ヨガのクラスに参加しています。

通い始める前は週に1度か2度参加出来ればと思ってましたし、通い始めた当初はそんなペースだったと思います。

ヨガに接するのは初めてで、ポーズはおろか呼吸さえままならないし、身体が「こんなことしなくていいよ」なんて感じの反応をしていたのを覚えています。

それまでの日常にはない動き、時間の過ごし方だったので、身体と脳が拒否反応を示していたのかも知れません。

シャバアーサナという単に仰向けになり寝るポーズがあるのですが、その体勢でさえ、背中を上手にマットに付けられない。。。なんて違和感もありました。

3週間、1ヶ月を過ぎた頃からでしょうか、徐々に身体も慣れてきて、呼吸も合わせられるようになり、「もう少し参加するクラスを増やしてみよう」「ヨガ以外の瞑想などにも触れてみたい」と自然と思うようになりました。

思い立ったが吉日。
という事で、すぐに参加するクラスを増やし、瞑想や骨盤矯正のクラスにも参加してみました。

「よし、やってやろう!」なんて意気込みは全くなく、本当に自然とそう思えたので、心の赴くままに行動してみたのです。

結果、週に4~5日ほどスクールに顔を出し、5~8つのクラスに参加しているようになりました。

受付スタッフさんからは「凄いですね!」と声を掛けられるようになり、名前も覚えられるようになり、良くクラスで顔を合わせる方と仲良くなり、食事に誘われるようにもなりました。

習い始めて4ヶ月ほど経過するとヨガへの興味が深まり、関連本を購入してヨガの考え、哲学に触れるようになりました。
そこから興味が広がり、空海に関する本も数冊読みました。

その頃になると、もう少しヨガの難度を上げてみたくなりました。
ポーズの基本的なこと、身体の位置や呼吸、どうしてそのポーズを取るのか?結果、身体にどう影響が出るのか?などなど、触れるほどに興味が増していったのです。

2019年6月現在では、難度の高いクラスへの参加が中心となり、リラックス系ヨガ、骨盤矯正、ピラティスをそれぞれ週に1度参加するようになりました。

骨盤矯正で身体の歪みを補正し、ピラティスでインナーマッスルを強化し、ヨガのポーズを支える身体を補強しています。

ヨガを習い始める前、仕事でよく訪れるタイのバンコクにあるヨガスクールへお邪魔し、アーユルヴェーダの施術を受けました。

その際、スクールのオーナーさんと話をさせていただく機会がありました。

ヨガに興味がある、ヨガを習ってみたいと話したところ、「その気持ちがあるなら習ってみたら。ヨガを習う事は良い習慣になると思うし、良い習慣は良い習慣を連れてくるから」と言われました。

彼女の言葉通り、ヨガがきっかけにして骨盤矯正やピラティスのクラスにも参加するようになりました。

ここでは書きませんが食生活や生活習慣、仕事への考え方や取り組み方なども変わってきました。

本来、自分が求めていたものやすでに持っていたものがヨガをトリガーにして顕在化してきたのかも知れません。

人は変われる。
人は本来多くの可能性を持って生まれてきている。

どちらでも良いし、どちらとも正解だと思う。

自分本来の姿に気づく。
自分本来の可能性に気づく。
気づいたら解放してあげる。

日々是成長。
日々是進化。
日々是覚醒。

言葉にするとプレッシャーになったり、自分自慢な響きが生まれてしまいますが、身体ってちゃんと反応してくれるんだなと思います。

可能性を広げてあげましょう。
身体と会話しましょう。
きっと返事をしてくれますから。

一喜一憂 それさえも楽しむ

こんにちは。

ヨガのクラスでは様々なポーズを学びますが、その中でもベーシックなポーズがあり、クラスやインストラクターが変わっても、必ず取るポーズや、その流れがあります。

ようやくベーシックなポーズの名前を覚え、インストラクターさんが「さぁ次は○○のポーズに行きましょう!」と声を掛けられると、「あぁ、あれだな」などと頭でポーズを思い浮かべる事が出来るようになりました。

私は暗記系が比較的苦手で、ポーズ名はうろ覚えだし、一連の流れで身体が覚えているポーズもあり、その場合はポーズ名を覚えていなかったりします。

それでもヨガを十分楽しめてますけどね。

学ぶ機会の頻度が高いポーズでも、「あぁ、今日は身体が反応してくれている」「今日は身体と呼吸の連動が素晴らしく、とても心地よいな」と感じる日がある反面、「あれ?前回は結構心地よかったのに今日はどこか違和感を感じるな」なんて日もあったりします。

自分の身体のどこかが反応出来ていない。
内臓の調子がイマイチ。
脳が覚醒していない。

など、自分の身体や心、脳に関係している場合と、

天候
気温
その場の雰囲気

など、周囲の要因に反応してしまっている場合があるのだと思います。

ヨガは身体を動かすのと同時に考え方や感じ方なども学べます。

人間は感情を持った生き物。
自分の周囲で起きる現象に反応し、感情が生まれます。

「あれ、前回はうまくポーズが取れて心地よかったのになぁ」と思うとき、そのポーズを取った際に前回同様、心地よい瞬間が来るとか自分はあのポーズが上手く取れるようになっている、などなど、自分や状況に対する期待が膨らんでいるので、期待していた瞬間に巡り会えないと落ち込むほどではないにしろ、違和感を感じてしまいます。

嬉しさや怒り、寂しさや悲しさ。

感情が生まれた際、その感情をさらけ出してしまう場面もあります。
でも、その感情に引っ張られてしまった場合、短期的にはスッキリしたとしても、周囲の人を傷つけたり、騒がせてしまったり。。。吐き出した感情がまた自分の元へ戻ってくるような、そんな経験をしたことってありますよね。

感情が生まれるのは仕方がない。

例えば怒り。

怒っている自分を俯瞰して見つめる。
「なぜ私は怒っているのか?」
「何に対して怒っているのか?」
「どういう時に自分は怒りやすいのか?」

もう一人の自分が怒りに満ちている自分を冷静に見つめる。
そうすると自分という存在が浮き上がってきます。

「あぁ、私はこういう事をされるのが嫌いなんだな」
「私はこういう瞬間にイラッとするんだな」
などなど。

次は怒りの感情を自分から切り離す。

そして切り離した怒りを流し去る。

慣れないうちは難しいし、1度で流し去れない、心の奥底深くに沈んでしまう感情もあると思いますが、その感情が起こった際に、同じ過程を繰り返し、自分の感情に対処してみる。

そう簡単な事ではない場合もあります。
私も幾つかまだ流し去れていない感情があり、時々当時の事をリアルに思い出し、腹が立つこともあります。

でも、それらは過去に起きた事で、もう2度と自分には起きないことです。

そして何度かこの過程を繰り返していくうちに、「なんだぁ、こんな事で自分は腹を立てていたのか!」とそんな自分を可笑しく思う時が訪れるそうです。

確かに、まだ流し去れていない感情以外のものは笑い話のようになっていますし、心の中で解決出来たからなのかあまり覚えていなかったりもします。

感情を切り離して生きていくのは無理です。
私たちは人間なのですから。

感情を見つめ、どう対処するのか?
感情をコントロールするのは難しいですが対処は出来ると思います。

対処することに慣れてくると、感情自体を楽しめるようにもなると思います。

感情から受け取るストレスを少しでも軽減し、自分を癒やし、労りながら、優しく生きていく。

学ぶ事によって生き方が変わる。
学びは癒やしにつながる。

身体の左右差

こんにちは。

あなたは右利き、左利き?

私の場合、幼少期は完全な左利きだったようです。

左利きは何かと不便だろうと判断した両親が右利きにしようとしたけど
中途半端な右利きにしかならなったようだ。
(矯正出来なかったのか、その為の時間が無かったのか。。。?理由は不明)

モノを投げるのは左。
鉛筆や箸を持つのは右。

ヨガを学んでいる間、様々なポーズを取ると「あれ、同じポーズなのに左の方がバランスを取りやすい」とか「このポーズのン場合、右腕の方が可動範囲が広いみたいだ」なんて感じる事があります。

皆さんも日常生活において、同じような感覚を体験したことがあるのではないでしょうか?

身体の左右でバランスの差、可動域の差を感じた場合、より動く方、バランスの良い方でそうでない方を導くようにすると教わった。

教わったものの、まだ実際に身体に活かす事は出来ていない。
まだそのレベルには達していないから、アンバランスな状態を感じてはいても、どう対処したらよいのかが分からない。

でもこの先、もう少し身体が動くようになり、動かせるようになった際に向けて、インストラクターさんから習ったこの言葉を頭に片隅に置き練習に励む。

ほんの少しずつではあるけれど、身体が思うように動ける事も増えてきている。
硬いなりに関節や筋肉、神経が反応し、反応し合い、思い描く理想の動き、ポーズに向けて一歩一歩前進している。

勢いや筋肉の動きでポーズを取るのでは意味がない。
理想に近づく為に己のインテリジェンスを活かす事が重要。

インストラクターさんの師匠の言葉だそうだ。

とても地味な作業の積み重ねという過程が必要だろうから、すぐに答えを見いだして楽になってしまいたい我々には、やや困難な道のりである。

でも、継続は力なり。
何日後かは分からないけど、きっと身体が思い描いたポーズを取れるようになるはず。
その為にもクラスでポーズを取る際は毎回、「今回はもう少しこうしてみよう」とか「前回上手く身体が反応してくれたので、もう少し動きを深めてみよう」などテーマを持って取り組んでみることにしている。

ヨガを習い始めてから意識するようになった感じ方や考え方。
それらは自分のビジネスに取り組む姿勢にも反映されるようになったように感じる。

まだ大きな結果に結び付いた訳ではないのだけど、以前は短期間に結果が出ないと放り投げてしまったり、何かと言い訳を付けて活動を止めてしまったりすることが多かった。

でも、最近は違うのだ。
地道な作業、地道な仕事をコツコツと継続出来る、積み上げていく事が出来るのだ。

短期的に数字に結び付かなくても、仕事を積み上げていくとある地点でポツポツと結果に結び付くことも経験出来るようになってきた。
この小さな結果を実感出来るようになったのも収穫なのだ。

結果が出てもそうでなくても、最低限、自分がコミットした場所までは仕事を継続してみる。

結果に結びつかなくても、トライした経験は残るので、新たに何かに取り組む際には経験として活かす事が出来る。
そう、ステップアップした自分に出会えるのだ。

ヨガも仕事もトライから得られるアウトプット。
結果に結びつかないなら理由を考える。
考えたら改善して再トライ。
常にたゆまぬトライアル。

仕事は以前から好きだったけど、最近は更に面白さを感じるようになってきた。

さて、来週も新たなトライアルに挑戦だ。

アヒンサー 非暴力

こんにちは。

今日もヨガスクールに行ってきました。

2つのクラスに参加。

前半はピラティス。
初心者向けの内容で主に体幹を刺激する内容になってます。

ヨガの鼻呼吸と違い、鼻から吸って口から吐く呼吸を繰り返すのですが、ようやく
慣れてきました。
参加した当初は呼吸の切り替えがうまくいかず、ワークの間に戸惑う場面が多々あったのですが、今でもところどころで間違えるものの、以前に比べれば随分慣れてきました。

2つ目はリラックス系のクラス。

クラスが始まる前、インストラクターさんがヨガに関する話をしてくれます。

今日のお題は「アヒンサー」でした。

アヒンサー。
サンスクリット語で「非暴力」を意味する言葉なのだそうです。

ガンジーやガンジーに影響を受けたキング牧師などを通して非暴力主義という言葉や考え方に触れられた方も多いのではないでしょうか?

仏教やヒンズー教、ジャイナ教などにより、非暴力の考えをどこまで広げるのかに差があるようですが、余り難しい話は避けることにします。

インストラクターさんからお題の提供がありました。
「日常、自分がイラッとする瞬間を振り返ってみた場合、自分にはある傾向があるのではないか?それを感じ取ることは出来ますか?」というもの。

各人それぞれ、イラッとするボタンを押すスウィッチのようなものが存在するのかも知れません。

私の場合はスマホ片手にノロノロ、フラフラ歩いている人が自分の前を歩いている場合、または私に向かって歩いてくる場合、とてもイライラします。

急に立ち止まる人、進行方向を変える人にもイラッとします。

イラッとする程度ですが、タイミングによっては「この馬鹿!」と言ってしまったり、舌打ちしてしまったり。。。。

反応してしまった瞬間の数秒後に、そんな自分に嫌悪感を感じたりします。

あんな反応しなくてもよかったんじゃない?ってね。

イラッとする場面を思い出し、「あぁ、自分はこういう事に対してイラッとするんだな」と思いながら、イラッとしている自分に向き合う事を繰り返していくうちに、段々と自分を俯瞰する視点に立つ事が出来、イラッとしている自分を笑ってしまう事も出来るそうです。

現時点では非常に困難ですが、瞑想を通して客観視したり、日々の繰り返しで自分のスゥィッチを押すアクションを収める事が出来るかも知れない。

イライラする自分に嫌悪感を抱く、あの不快な感覚から解放される可能性があります。

不愉快な感情を抱いている時間を減らす事が出来れば、人生をもっと豊かに生きられる。

自分の感情をコントロールするのは困難でしょうが、受け止め方を変えていくことは出来るような気がします。

今、この瞬間からイラッとした自分に対する対処法を学んでみようと思います。

日々、実践の繰り返し、積み上げが大切ですからね。

ではでは。

バランスと柔軟性   今の自分の課題です

こんにちは。

今日は2つのヨガクラスに参加してきました。

1時間目(正確には75分)は先週に引き続き、身体の柔軟性をテーマにした
ポーズを幾つか学んできました。

足の付け根から身体を折り曲げる。
その際、背中を丸めないようにする。

身体の硬い私はどうしても背中を伸ばす事が出来ず、毎回苦労しています。

先週、インストラクターさんから「座位の場合、腰を折り曲げる事を最優先したいので、膝を折り曲げ、マットから浮かしてしまって構いませんよ。膝を曲げれば腰骨が立ち、背筋を伸ばす事も可能になると思いますので」とアドバイスを受けた。

今週も同じポーズにトライする機会があり、インストラクターさんに言われた通り、膝を曲げながら腰骨を立たせて、足の付け根を引き込むよう意識しながら、身体を2つ折りしてみた。

先週同様、綺麗に身体を折りたたむ事は出来なかったけど、膝を曲げ腰骨を立たせ、背骨を伸ばす動きにた対応出来るうようになっていた。

先週、同じポーズを取ろうとした際、マット上に伸ばした足がガクガク、プルプルと震えたのに対し、今週は多少身体が慣れ、頭でポーズをイメージ出来ているからなのだろうか、足が大きく震えるような事もなかった。

折り曲げて天井を向いている膝も足の付け根を手前に引き、足の踵を遠くへ伸ばすような意識を持ってトライしてみる。

やはりまだまだ足が真っ直ぐ一直線になることはなかったけど、先週感じた「これは駄目だな」という感覚とは違う受け止め方になっていた。

時間は掛かるだろうけど、真っ直ぐになるな、という感覚だ。

別のインストラクターさんの話
「生徒さんの質問あるあるなんだけど、私は身体は硬いのですが、先生みたいに身体が柔らかくなるのでしょうか?という質問って本当に多いんです。ハッキリ言いますね、なります!私も身体が硬かったし、同じような悩みを持っていた生徒さん達は今ではすごく柔軟性のある身体になってますよ。」

身体の硬さを受け止め、固定観念に縛られることなく、柔軟性ある身体になった自分をイメージ、ビジュアライズしながら、日々の練習を積み上げていく。

スクールに通う事がルーティーン化した反面、通う目的やクラスで学ぶ事の目標に商店を合わせられなくなっていた私にとって、良い動機付け、モチベーションの維持につながった。

そして今日のクラスでは、更なる高み、その一端を見せられたのだ。

座位とは違う立ちポーズではあるけれど、先週トライしたポーズ同様、足の付け根の動きを意識したポーズを学ぶことになった。

両足を揃えてマットに立ち、足の内側に力を入れ、腰骨を立たせて背骨を伸ばす。
片足に体重を預け、もう一方の足を持ち上げて、その足の裏を身体を支えている足のウチ太ももに当てて立つ。

安定した後、両手を身体の両サイドから広げるように持ち上げて、一番上で両手を合わせる。

その体勢で安定出来たら、頭の上で両手両腕を広げ、胸を空に向ける。

このポーズは比較的簡単に出来たのだが、問題はその後のポーズだ。

再びマットの上に両足立で立つ。
片方の足(右足)の膝から持ち上げるようにして一本足で立ち、持ち上げた右足裏を右手で持ち、その手で足を更に持ち上げ、右側に開く。安定したらその体勢のまま顔を左側に向ける。

足を持ち上げるまでは出来るのだが、持ち上げた足が一直線になることはなく、なんとも格好悪い体勢のまま、バランスだけは何とか維持出来ているので、一本足で立ち続ける事が出来てしまっている。。。。あぁ、格好悪い!

「座位で取ったポーズを思い出して下さ。足の付け根を手前に引くようにして、踵を遠くへ押し出すようにしてみて下さい」とインストラクターさん。

バランスを維持しながら柔軟性も求められる。
私に取って新たな課題が見つかった瞬間だ。

難しいポーズ。
でも、出来たら心地よさそう。

多分、インストラクターさんも地道な練習の末、難解なポーズを決めながら、体勢を維持出来るようになり、今も練習を続けている成果の賜なのだろう。

よし!
時間が掛かってもクリアしよう!!

子供の頃、出来そうにない事はすぐに諦めていた自分。
いや、つい最近までそんな正確のまま生きていたように思う。

でも、今は違うのだ。

仕事をしていても感じるのだけど、結構地道な仕事を積み重ねていけるようになっているのだ。

上手くいかない場合が多いのだけど、自分で決めた事なのだから、最低限最初に設定したゴールはクリアしよう。
その過程で改善出来る点が見つかれば、すぐに改善してみよう。

結果重視ではないけれど、結果が出れば心地よいだろうし、その瞬間を感じてみたい。

出来ない自分を認めながら、どうすれば出来るようになるのか?

ヨガを通して変化しつつある自分。
ヨガだけではなく、仕事でも、このブログを書くことでも、「あれ、自分は変わったかも?」と感じる場面が多くなってきている。

不思議なもので、欲というか、この過程を結果に結び付けたくなってきている。

無理強いすることなく、自然に自分が変わりつつあるので、ストレスを感じて自分が自分に疲れてしまうことも、今のところないようだ。

面白い事になってきた。

これからの自分が楽しみで仕方ない。

ただ重力に身を任せるだけでなく。。。

こんにちは。

6月がスタートしましたね!

休日がない。
梅雨入りする月。

ジューンブライドなる目出度い言葉はあるけれど、一般的にはなんとなくどんよりとした月。。。そんなイメージが強いのでしょうか?

そんな6月の月初め。
今日は午前中のヨガクラスに参加。

このインストラクターさんのクラスに参加するのは3回目。

初めて参加したのは4ヶ月位前。

もう少しヨガを深く学ぼう、ヨガに触れる時間を増やそう!
と意気込んで参加したものの、難易度の高いポーズが多く、当時スクールに通い始めて3ヶ月ほどの私は正にケチョンケチョン(笑)

もっと基礎を学んでから出直そう。。。かな。。。?
と、かなり消極的な気持ちでクラスをあとにした。

多分、インストラクターさんは当時の私を覚えていない。
なので、「今日で2回目です」という顔で参加した。

先週リベンジ的な気持ちで参加した際は、思ったより身体がついていってくれ、所々で心地よい気持ちになれたりもしたので、先週に引き続き参加。

まずは呼吸からスタート。

先週末からオーダーが入ったり、問い合わせがあったり。
私用で母の実家へ行ったりもしたので、やや気ぜわしく迎えた月曜日だったけど、呼吸をじっくりゆっくり繰り返すことによってヨガモードに入る。

「クラスに参加している75分間は自分の為の時間」
そう気持ちの針を振り切る事が出来た。

ヨガでは立ちポーズの際、足の裏を使って立つことを意識するよう指導される。
誰だって足の裏で立っているのだけど、足の裏の感覚を脳に伝えていることが出来ているのか?足の裏で自分の体重を支えている感覚を持てるのか?など、様々な点を意識するよう指導されるのだ。

習い始めの頃は足の裏の感覚を十分に活かす事が出来ていなかったので、というか意識していないから感覚も眠っているような状態だったのだと思う。

今では少しだけ、足裏のいろいろな場所でマットを感じる事が出来るようになっているし、足の指もある程度使えるようになってきた。

足裏の感覚が眠りから覚めると、マットの上に立つのがとても心地よい。

足の裏全体をペタッ!とマットに付けたり、足指を踏ん張って土踏まずを持ち上げたり。

今日のクラスではそんな足裏の感覚を使い、マットに立つこと。
立つだけではなく地球を足裏で押すよう意識を持って立つよう指導があった。

2本の足を大きく広げ、両腕を広げながら状態を反らしたり、やや不安定な体勢でポーズを維持する事があるのだが、このとき、両足でしっかりとマットを踏む。そして地球を押し返すような力強さを意識してみる。

地球を押し返す。
大袈裟な表現のようだけど、ポーズを意識している際、特に不安定な体勢でポーズを取っている間にこのアドバイスが素直に自分の心に届いてくる。
何となく、本当に何となくなのだけど、地球を押し返す事が出来たような気がした。
その感覚を上手く生かせたからか、ちょっと難しいポーズをいつもより上手く、そして長く維持出来た。
気持ちもぶれず、そのポーズを維持している間、そしてその間の呼吸がとても心地よかった。

地球や重力というとても一人の人間では逆らえないような圧倒的な存在、自然。
自然や宇宙に生かされている事に感謝しつつ、より主体的に自分の存在、自分の場を意識していく。

私は独立していて、一人で仕事をしているのですが、各取引先との関係は良好で、ストレスをほぼ感じることなく、とても良い環境で仕事が出来ているのですが、少し自分の仕事、というか仕事のスタンスを変えてみたいと感じています。

上手くいっている仕事を壊す必要はないので、既存の仕事はそのままに、お客様のリクエストに応えつつ、彼等にとって、彼等のエンドユーザーにとって、もっと有効な、彼等に喜ばれるような提案をもっともっと提出していきた。

自分の仕事をSNSなどで発信し、これまで知り合う事のなかった方々と知り合うキッカケを作っていけたら。。。

地球や重力=今の自分の仕事
地球を押し返す=自分の視点を活かした新たな仕事、新たな提案。

頭では理解していたつもりでも。
すでにやっていたつもりでも。
意外に出来ていなかったり、行動が中途半端で効果が出ていなかったり。

よし、ここはひとつ、地球を押し返してみよう!

そんな気持ちで今の仕事に対して新鮮な目線をもって取り組んでみる。
上手くいっている仕事をベースに新しい企画を乗せてみる。

今後、自分と社会、マーケットの関係性を考える上でも、非常に学びの多いクラスであった。

仕事もヨガも、次のステップ、ステージへ向け、日々地道に取り組んで、まずは小さな成功を積み重ねていこう。

無理 出来ない とは思わない方が良い 言わない方が良い

こんにちは。

昨日の投稿、柔軟性からの続きになります。

クラスが終わったあと、インストラクターの元へ行き、身体の硬い私が上体を折り曲げるポーズを取る際に気を付けるべき点を改めて質問してみた。

ひと通りの説明、解説を受けたあと、私が「子供の頃から身体が硬いので難しいですね~」と言う言葉を聞いてから、「あぁ、出来ないとか無理とか思わない方が良いですよ」とインストラクターさん。

彼女の言葉には幾つかの意味が含まれているのだと思う。

ポーズにトライする前から「自分には出来ない。無理だ。」と思考停止状態になると、ポーズを取るために働かせるべきインテリジェンスが働かない。

よって、骨格や筋繊維の方向、向き、筋肉から脳への信号、脳から筋肉への信号が働かない。

「脳と身体は密接に繋がっている」とインストラクターさん。

思った瞬間にすぐキツメのポーズが出来るようにはならないけど、綺麗なポーズを決めている自分を想像しながらポーズを取ってみる、トライを繰り返す。

そうだ。
ビジュアライゼーション!!

比較的得意なポーズの場合、自分のメンタルもポジティブな状態にあるので、このビジュアライゼーションがとり積極的に機能する。

それがいざ、自分の不得意な分野の事になると、すっかり忘れてしまい、「自分には難しい」というややネガティブな思考が働き、その思考が言葉となって口から滑り出してしまう。。。。

これは気をつけたい。

出来ても出来なくてもトライする。
その瞬間を楽しむ。
下手でもいいじゃん!

無理に楽しむ方向へ自分を向かわせるのではなく、やや俯瞰した視点から自分を眺める。

そう思いながら、今日はピラティスのクラスに参加。

ピラティスのクラスでも足裏を伸ばすワークがあった。

この季節の気候に合わせた身体作りをするからか、ヨガもピラティスも比較的同じようなポーズ、ワークが多くなる。

周囲の人とやや違う形になってもいいじゃないか!

昨日のヨガクラスで習ったように、膝を曲げて腰骨を立たせ、足の付け根から状態を折り曲げてみる。
震えそうになる足を押さえつけるように踵をヨガマットに押しつけて、その力を利用して状態を折り曲げてみる。

昨日と大して変わらない角度でしか曲がらなかったけど、気持ちは随分楽になったというか、自分のトライアルを楽しめた。

なんとかなるんじゃない?
なんて思ったりもした。

新しい事にトライすると課題が見つかる。
課題から目を反らすのも、克服する為に知性を使ったり、工夫をする。
そのどれもアリなのだろう。

私は克服するという選択肢を主体的に選択した。

週に5~8時間、ヨガスクールに通うようになり、それが当たり前になっていく過程で、ただ単に「そこにいる自分」に気だるさを感じるようにもなってきていた。

あれ?
ヨガってもっと楽しくなかったっけな?

マンネリ打破したい。
そんな気持ちで参加していたクラスで見つかった課題。

本来、生きているのなら当たり前な筈の主体的な判断と選択。
今、読んでいる「7つの習慣」がそのヒントを送ってくれたような気がする。

もっとヨガに触れてみたい。
もっとヨガの深い部分を知りたい。

ややマンネリな時期は数週間だっただろうか?
今はその時期を突破、完全に突破したと感じる。

スクールに通うのが更に楽しくなってきた。

ヨガと出会えて本当に良かった。

柔軟性 

こんにちは。

今日もヨガスクールへ行き、2つのクラスに参加。

1つ目のクラスでは股関節の使い方を重点的に学ぶ。

生まれつき。。。なのかどうかは分からないけど、物心ついた頃、小学1、2年の頃には自分の身体の硬さを自覚していたように思う。

前屈しても手の指が地面に届かない。
座って足を開いての前屈でも腰が曲がらず、指先が足の爪先からはほど遠い位置で
留まっている。
周囲を見回してみても、こんなに身体の硬い同級生は見当たらなかった。

ヨガでは絶対的な条件ではないものの、柔軟性が求められるポーズがたくさんある。

今日学んだ座位でのポーズの幾つかは、私にとっては大きな課題となっているものであった。

座って両足を伸ばし、90度位の幅に足を広げる。
その足幅のまま上体を床に近づけていくのだが。。。。曲がらない。

腰から曲げてしまう、と言うかそれしか身体を曲げる方法しか思い浮かばない、身体が記憶していないので、いつも同じような体勢で身体を前に進める事が出来ない。

あまりの身体の硬さにインストラクターが助け船を出してくれた。

無理に足を伸ばさず、膝を曲げ、まずは座骨で立つことを優先させてみて下さい。
爪先は両外側にダラリと下げず、踵を支点にして床を押し、爪先を天井へ向ける。
そうすることにより、座骨が立ち、足の付け根の関節が曲がりやすくなる。

のだそうだ。

彼女の指導のまま、膝を曲げ、座骨で立つ。
踵で床を押し、爪先を天井へ向ける。
その後、足の付け根から身体を折るようにして上体を床に近づけてみる。

しかし。。。。すぐに足が外側を向いてしまい、膝から下がプルプルと震え出す。

同じように身体を使う座位のポーズを幾つか教えてもらったのだが、今日は全く動けなかった、ポーズが取れなかった。
正に惨敗。

とは言え、精神的なショックなどは受けることもなく、プルプルしている自分の足を見て笑ってしまう心の余裕はあった。

でも、克服していきた課題ではある。

クラスの後、インストラクターさんの元へ行き、座位ポーズについて幾つか質問をした。

男性は骨格の作りの問題もあり、両足先が外側を向いてしまう傾向が強い。
女性に比べると身体の硬い男性が多い。

その為、座位を習得するのに苦労する傾向が強いそうだ。

でも、出来ない事ではない。

ではどうすれば良いのか?
どうアプローチすれば良いのか?

クラスで受けた説明の重複になってしまうが、腰骨を立てることを最優先。
なので、腰骨が立つ体勢になるまで膝を曲げてしまって構わない。
腰骨が立つことにより、足の付け根の関節が折れるようになるので、その体勢を維持しながら足の付け根から上体を床に近づけてみる。

身体がその動きに慣れてきたら、徐々に足を伸ばすことに意識を集中していく。
それには反復練習とそれにかける時間が必要。

説明通りには全く動けていない現状ではあるが、膝を曲げ、爪先を天井へ向け、踵で地面を押しながら足の付け根から上体を曲げてみると、そうしなかった場合と比べ、いくらか上体が曲がるような感覚はある。

練習練習、反復練習。

練習という字を見る、言葉を聞くと苦手な事を克服しなければならない!なんて感覚に囚われがちだが、それに執着し過ぎない事が大切だし、反復をしている間は楽しくて仕方がない。

今晩、明日に上体が驚くほど曲がるようになることはないだろう。
でも、毎日少しずつ反復することで、少しずつだけど、身体がその動きを覚えていくのだはないか?

そして今よりももっと上手に座位のポーズが取れるようになったら、どんなに楽しいか?
もっともっとヨガが楽しくなっているに違いない。
そう確信が持てるのだ。

曲がっても曲がらなくても。
出来ても出来なくても、とにかく楽しい。
心から楽しめる。

私にとってヨガはそんな存在だ。

変に熟れず、変にルーティーン化せず。
常に変化していく。
変わっていく身体を楽しむ。
変わっていく身体と共に自分の考えや生き方、価値観も変わる。

ヨガ。
本当に楽しい。
ヨガに出会えて本当に良かった。

心からそう思う。

執着を手放す

こんにちは。

今日は週明け月曜日。

参加するクラスを少しずつ変えていく。
ここ最近のテーマ。

これまでは比較的癒やし系、身体を休める、心を落ち着けることに重点を置いたクラスに参加してきたのだけど、ヨガに触れていくうちに段々とヨガとの距離が変わってきた。

もう少し深い部分でヨガとつながりたい。
学びたいという気持ちが強くなっている。

気持ちの変化の表れか、ポーズを深く学ぶクラスへの参加を増やしている。

初心者向けではあるものの、私にはちょっと厳しいポーズもある。
しかし、厳しいポーズを取ったあと、とても心が落ち着く。
ほんの少しずつ、でも、それは自分勝手な解釈なのかも知れないけど、以前よりポーズがしっかりと取れるようになってきている。。。そんな実感も湧いてきている。

そして何より楽しいのだ。

今日も午前中にクラスに参加し、ポーズの取り方を学んだ。

クラスが始まる前にインストラクターからこんな話を聞いた。

執着を捨てる。

もっとお金が欲しい、お金さえあれば。。。
もっと頭が良ければ。。。
もっと顔が良ければなぁ。。。。

生きている限り、よほど悟った人でなければ、そんな風に思う自分を感じる事が多々あることだろう。

個人的な話で恐縮だが、現在、ネットでの販売を増やそうと毎日孤軍奮闘しているものの、なかなか反応が得られない。

せっせと商品を増やしてみても思うような結果に結び付いていない。

なんとかしなければ。。。。と少し焦ったりもしている。

ヨガに関しても、もっと上手くなりたい、綺麗にポーズを決めたい、でも今の自分が取れるポーズは美しくない。。。もっと練習して上手くなりたいのに。。。

ヨガを習い始めて、いや、習い始める前から「執着を捨てる」という言葉は聞いていて、自分の仕事やヨガの時間は自分の中にある執着から距離を取る、そんな意識でいたものの、向上心や達成感を求める気持ちが執着心を呼び覚ましてしまう。。。ちょっと皮肉な展開になっている。

執着する気持ちから少し距離を取る。
分かっているつもりでも、なかなか難しいものだ。

まだ未熟な自分に出来ること。
それは執着心を持っている自分を俯瞰して見つめることだろうか?

うまくポーズを取りたい。
それは執着心を生むことなのかも知れないが、反面、その気持ちがあるからこそ、ヨガに集中出来る。

もっと商品を売りたい!
その気持ちがあるからこそ、慣れないPCでの仕事、ネットでの仕事に取り組み、日々飽きることなく、諦めることなく地道に仕事に取り組む事が出来ている。

慣れない仕事で効率は悪いけど、不思議と嫌いな訳ではないし、こうして誰も読んでいないブログを書き続ける事も出来ている。

執着している自分を自覚しつつ、そんな自分を楽しむ。

難しいポーズや柔軟性が求められるポーズが苦手で、フラフラ、グラグラするけれど、それでももっとヨガと触れあいたいと思う。

そう、楽しいのだ。
楽しくて仕方がないのだ!

この楽しいという感覚があると、執着心を忘れる事が出来るのかも知れない。

ポーズは取れても取れなくてもいい。
失敗してもいい。
トライしたければトライするし、無理なら出来る範囲のポーズを維持する、時にはポーズから自分を解放して休む。

周囲と比べない、自分と向き合う贅沢な時間を心から味わう。

面白すぎるヨガ。
だからこそ、もっと深く関わりたいし、深い部分を学んでいきたい。
今はその気持ちを大切に見守りながら、参加するクラスを楽しんでいきたい。

さて、明日もスクールへ行くぞ!
あっ、これって執着心?(笑)