台湾の思い出 香港社長 1 出張という名の一人旅 30話

台湾の夏休みが終わり、工場から子供達が
いなくなった。

相変わらずパートのおばちゃん達に笑い声が工場内
で飛び交っている。

日本にある本社からはファックスがあり、取引先で
あるコンビニチェーン全店での導入日が決まったと
の内容だった。

導入日に商品が店頭に並ばないなんて事はあっては
ならない話。

サイ社長とも細かい打ち合わせをして、台湾から日
本へ輸出する船便の日程から逆算し、この工場から
商品を出荷する日、運送会社を決めていく。

おばちゃん達と冗談まじりの会話を交わしながら、
仕事が滞らないよう、彼女達の気持ちが緩まないよ
う連帯感を深める。

仕事はやや遅れ気味だったので、夕方5時に一旦ラ
インを止め、協力者を募り、夜6時から8時までの
2時間、ラインを動かす事にした。

普段のコミュニケーションが上手く行っていたから
なのか、パートさん全員が協力を申し出てくれた。

1日も遅らせることが出来ない。

気持ちが引き締まる。

そんなある日、工場へ1本の電話が掛かってきた。

電話に出たサイ社長が「日本のあんたの上司からだ
よ」と受話器を私に向けた。

「はい、もしもし」
「よっ、元気?」
「はい、お陰様で」

元気?って。。。あんたが何も打ち合わせをしてこな
かったから、こっちは大変な目に合ったんだそ!

そんな事は言えないので電話口で愛想笑い。
情けない。。。

「実は今、台北にいるんだよ。これから来なよ」
「えっ?これから台北にですか?」

「うん。久々に飯でも食べようよ。美味いもん食べて
元気出して、仕事頑張って欲しいからさ」
「はぁ~。。。でも、仕事が。。。」

「大丈夫だよ、1日くらい。紹介したい奴もいるからさ。
業界に顔を売る、覚えてもらう。これも仕事だぞ」

なにがこれも仕事だぞだよ~。肝心な仕事してね~じゃん!
とも言えず。。。情けない。

「はい。分かりました。これからバスで向かいます。」
「オフィスで待ってるからさ。ホテルも予約してあるから
今夜はゆっくり酒でも飲もう」
「はい、ありがとうございます」

オイオイオイオイ、仕事、間に合わなくなっちゃうよ~。

サイ社長に事情を話すと
「大丈夫だよ。サラリーマンは大変だよね。工場の事は任
せて、たまには都会の空気を吸ってきなよ」

サイ社長の笑顔が後押しを受け、私は台北行きのバスに乗り
込んだ。

竹南から台北までは高速バスで2時間弱。
午後早い時間だったので台北市内も空いていて、夕方までに
は台北オフィスに到着することが出来た。

オフィスの重い鉄の扉を開くと台湾オフィスの社長テイさん
とスタッフのワンさんが笑顔で迎えてくれた。

その奥に私の上司が椅子に腰掛けていた。
私の顔を確認すると手を上げて「早かったね!」と声をかけ
てくれた。

「1人で大丈夫だった?君の頑張りは凄いよ。感謝してる」
それが本音なのかどうか分からなかったけど、悪い気がしなか
った。

「じゃあ少し早いけど食事に行こう」
あれ?打ち合わせも何もしないの???

しないのだ。
この人、本当に仕事しない。

「今夜はステーキハウスに行こう。本店は日本の六本木にある
店でさ。ステーキが美味しいんだよ。そこで知人と待ち合わ
せしてるんだ。もう長い付き合いでね。信頼出来る友人でも
ある。君に紹介しておきたいと思ったんだ」

タクシーに乗り込み、比較的高級ホテルが並ぶエリアへ向かっ
た。

10分ほどで店に到着し店内へ。

「お~い、着いたよ!」と上司が手を上げて大きな声を出す。
先に到着していた男性がこちらを確認し、笑顔で手を上げた。

あれ?
日本人じゃないのか。
台湾の人だ。
誰かに似ている。。。。

そうだ!
私がまだ小学生の頃に人気だった香港映画、ミスターブーの
主役、マイケル・ホイに似てる!

上司の後について、私はマイケル・ホイのそっくりさんが座
るテーブルへ向かった。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 8 出張という名の一人旅 29話

彼女が工場に来なくなってすでに1週間以上が経過した。

相変わらず彼女の姿は工場にない。

もう彼女は工場に来ない。
本当なのだろうか?

塾の夏期講習が終わればまた出勤してくる可能性がある。。。
いや、その頃には夏休みも終わり、学校が始まっているだろう。

私だっていつまでも台湾に、この工場にいる訳ではない。

会えなく。。。なってしまう。。

夏休みも終盤に入った。
彼女の2人の妹達は相変わらず工場へ出勤している。
ちょくちょく話しかけているけど、相変わらず距離は縮まらない
ままだった。

その妹達が仕事をするのを長めながら、思いついた。
最後の手段。
あの2人の妹たちに彼女への手紙を託そう。

毎日持ち歩いているノートとペンを使って、彼女へ手紙を書き、
妹たちに届けてもらうことにしよう。

私は変わらず元気で過ごしていること。
勉強のお陰でサイさん達と中国語で会話が出来るようになったこと。
仕事の進行状況などを書いた。

そして

「もし私との勉強会の件でご両親から怒られていたとしたらごめん
なさい。でも、もしそうでなかったら、君に時間があるのなら、
また中国語を教えて欲しい」

と書いた。

けど

「君にもう1度会いたい」とは書けなかった。。。

相手が高校生だったから。。。いや、私にその一言を書く勇気がな
かっただけ。

工場の片隅で手紙を書き上げ、就業に2人の妹たちに近づいて手紙
を渡した。

「これ、お姉さんに届けてくれる?」

2人の妹たちは私を見上げ、表情を変えずに手紙を受け取り、コク
リと頷いた。

律儀な彼女のこと。
すぐに返事をくれるだろう。

1日
2日

待てど暮らせど返事は来なかった。

妹たちに手紙を託して3日後、私は妹たちに問いかけた。

「お姉さん、元気?」
コクリと頷く妹たち。

「そう。勉強してるの?」
再びコクリと頷く妹たち。

会話が続かない。
仕方がないな。

私の顔を無表情に見上げる妹たち。

「バイバイ」と笑顔で彼女達を見送った。

とうとう夏休みが終わり、子供達全員が工場から姿を消した。
2人の妹達の姿もない。

そして。。。彼女が工場に来る事はなかった。

小さな田舎町。
そのうちどこかで会えるかも。。。。

そんな微かな期待が叶う事はなかった。

食事をしたり映画を観に行ったり。。。誘ってみるべきだった
かな。

私が帰国したら会社に事情を話し、有給を使い、毎月彼女に会
いに来る。。。馬鹿な妄想をしたもんだ。。。

工場に来なくなる前に一言、さよならでもいいから何か言って
欲しかった。。。。

過ぎ去った時間は決して元には戻らない。

でも、彼女と勉強した小学校の校舎は町に。
彼女が用意してくれたテキストは私の手元に。
そして彼女と共に過ごした時間は私の記憶の中に存在し続けて
いる。

あの夏、台湾の片田舎で出会った南国美少女。

素敵な思い出。
ありがとう。

台湾の思い出 南国での出会い 7 出張という名の一人旅 28話

台湾の片田舎にある小さな工場で出会った
地元の高校生の女の子

彼女に中国語を教えてもらうようになって数週間
少し、ほんの少しだけ中国語での会話が出来るように
なっていった。

工場の社長サイさんや彼の息子ベイビーとも簡単な会話
を交わせるようになった。

難しい話は相変わらず筆談かそれでも分からない場合が
台北オフィスに電話した。

簡単な会話や冗談。
これだけでも人と人の距離はとても縮まるものだ。

ある日の朝、ベイビーが駆け寄ってきた。

「どうしたの?」と私が聞くと
「夏休みがもう終わる。終わったら、俺、軍に帰るんだ」と
ベイビー。

そうだった。
ベイビーは夏休みで帰省中だった。

「いつ?」
「明日」

私は目を大きく見開いて驚いた。
「明日?」
「そう。明日」

8月も中旬を過ぎたのだ。
そろそろ夏休みが終わりに近づいていた。

「そうかぁ~。寂しくなるな。せっかく仲良くなったのに」
「うん。でも俺、来年の夏には軍から戻れるからさ。その後は
親父の工場を手伝おうかなと思ってる。だから、また遊びに来
てよ」

「うん。必ず会いに来るよ。来年もまた仕事を発注する可能性
もあるしね。決まれば、また品質管理としてこちらにお世話に
なると思うからさ」

そんな会話を交わした。

「随分、話せるようになったね」とベイビー。

そう言われれば。。。ベイビーが話している内容が分かるし、
私も中国語で応えていた。

これも彼女が時間を割いて私に中国語を教えてくれた結果だ。
感謝しなくちゃな。

ベイビーと会話している間に始業を告げるベルがなる。

さて、仕事仕事。
今日も働くぞ~!

といつも彼女が座っている場所へ目を向ける。。。
あれ、いないな。
今日は休みかな?
体調を崩したりしてなきゃいいんだけどな。

翌日。
あれ?
また欠席だ。
体調崩しちゃったかな?
心配だ。

翌日。。。欠席。
翌々日も欠席。

どうしたんだろう?
なぜ彼女は来ないんだろう?

彼女の2人の妹達は相変わらず出勤している。

2人に近づき「ねぇ。お姉さんは?仕事には来ないの?」
と聞くと、2人は顔を見合わせた後、私の方を向き首を横に
降った。

「病気なの?」と聞いたが、首を横に振るだけだった。

あまり問い詰めてもと思い、作り笑顔で「バイバイ」と言って
見送った。

一体、彼女に何が起こったのだろうか?
もしかして見知らぬ外国人の私と2人っきりで学校に居ることが
両親にバレて出勤を止められてしまったのかな?

1週間。彼女は出勤して来なかった。

もし私との事で彼女が両親から怒られているとしたら申し
訳ない。。。。

それとも病気か何かかな。。。。

なぜ彼女は来なくなってしまったのか。。。。
理由を知りたい。

彼女が来なくなって8日目。
意を決してサイさんに切り出した。

「サイさん、あの英語が話せる女の子。最近、来なくなっちゃった
ね。病気かなにかなの?何か聞いてない?」

「そう言われれば。。。。いや、何も聞いてないよ」
サイさんは何も聞いてない。
しかも彼女が休んでいることに気が付いてなかった様子。。。。

「ほ、ほら、彼女は英語が得意でさ。何か問題があった時、彼女が
いてくれると助かるじゃない」と適当な理由を続けた。

「そうだな。困るよね。ちょっと電話してみる」
とサイさんが受話器を上げながらノートをめくる。

工場で働いている人たちのリストで住所と電話番号が書いてあるら
しい。

ノートを確認しながら電話のボタンを押す。

しばらくしてサイさんが話し出す。
彼女の実家と繋がったようだ。

早口に聞こえる中国語でしばらく話していたサイさんが受話器を下ろ
した。

「彼女のお父さんが言うには塾の夏期講習が始まったので、勉強に集
中させる。だからもう工場には来ないって」

一瞬、いや、もっと長い時間、私は言葉を失った。

つい1週間ほど前まで、いつも工場に来ていた彼女。
夕方の小学校校舎で中国語を教えてくれていた彼女。
いつも近くに感じていた彼女の笑顔。

一瞬にして全てが過去になってしまったような。。。
その事実を受け入れる事が出来ない私。。。。。。。

もう。。。会えないのかな。。。?

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 6 出張という名の一人旅 27話

台湾の夏休み

町の小さな小学校の校舎を使って始まった中国語教室。

生徒は私、24歳 日本人
先生は高校生 17歳 台湾人

授業は仕事が終わった後、工場から自転車で学校に移動して
から始まる。

用務員(宿直の先生?)が学校を閉めるまでの1時間弱。

早足で教室を出て、下駄箱で靴を履いて校庭に出た。

「あぁ、びっくりした。まさか人がいるなんて」
「はい」

「教室を勝手に使って大丈夫だったのかな?」
「大丈夫ですよ」

「本当?」
「多分。。。ですけど」

台湾。
この辺はとても大らかだ。

会話をしながら校門へ向かう。

午後7時。
まだ蝉が鳴いている。

「ありがとう。遅くまで付き合ってもらちゃって。。。大丈夫?」
「はい。大丈夫ですよ」

このまま時間が止まってくれないかな。。。
まだ彼女と話がしたかった。

「一人で帰れる?」
日本に比べると電灯が少ない台湾の田舎町
彼女が心配だった。。。そしてもう少し一緒に居たかった。

「はい。大丈夫ですよ。学校から帰るのは、いつもこれくらいの
時間になりますから」

「そう。じゃあ、ここで。また明日、工場でね」
「はい。また明日、工場で」

校門で彼女を見送り、私は晩ご飯を食べに屋台街へ自転車で移動した。

翌朝、工場で彼女と再会。
「早」(おはよう)
「早」(おはようございます)
いつもの笑顔で挨拶を返してくれる彼女、そしてその後をニコリとも
せず付いて歩く2人の妹たち。。。。全然慣れてくれない。

その日は彼女が忙しかったのか中国語教室はなし。
翌日もなし。
翌々日。。。ツンツンと私の背中をつつく彼女。

「時間、大丈夫ですか?」
「もちろん!」

週に2~3回。
開催曜日は決めず、彼女の都合に合わせて小学校の校舎で勉強会は開か
れた。

勉強もしたけれど、お互いの家族のこと、そして将来のことも話すよう
になっていた。

彼女は勉強が大好きで、高校を卒業したら台北にある大学に進学したい
という夢を持っていた。
経済学部か経営学部への進学を希望していた。

私の大学時代の話もした。
アメリカやヨーロッパ、タイへの旅行経験。

大学で勉強した事は就職して役に立っているのか?
どうして今の会社に就職したのか?
なんて事を聞かれたりもした。

「これからも今の会社で働き続けるのですか?」
「あと1~2年お世話になったあと、辞めるつもりだよ」

「どうして?」
「会社、自分で会社を作ってみたいんだ」

「へ~、そうなんですね」
「うん。細かい事は何も決めてないんだけどね」

「そうだ」
私がやや大きな声を出して彼女を見た。
少し驚いた彼女。

「名前、まだ名前を聞いてなかったね」
「あっ、そうですね。私もあなたの名前を知らない」

英語でYOUを使っていると名前を呼ばなくても会話が成立してしまう。

「じゃあ、教えて貰ってもいい?」
「はい、もちろんですよ」

お互いに名前を教え合う。

「MY NAME IS ○○○○」
「MY NAME IS ○○○○]

今ひとつピンと来ない。

「漢字、漢字ではどう書くの?」と私が聞いた。

まずは私がノートに私の名前を書いた。
「へ~、全部台湾にある漢字ですね。でも、読み方が。。。全然違う。
変なの、ははは」と言って彼女が笑った。

彼女の名前も書いてもらった。
日本でも使われている漢字だが、使う頻度はとても低い。
そして字面だけでは男性なのか女性なのか全く分からなかった。

「こっちが名字だよね?」
「はい。台湾では一文字の名字が多いんですよ。だから、これが私の
名字です」

「ねぇ、名字で呼べばいい?」と私が聞くと
「あっ!私にはもうひとつの名前があります」

台湾人は名前の他にもうひとつ、あだ名とはまた違う呼び名を持って
いる人が多い。
台湾語や中国語で親しみのある名前や英語名、日本語を勉強している人
は日本人の名前を使っていたりする。

ちなみに後年仲良くなった台湾の友人、黄君はイエローを呼ばれていた。
その黄君とタイに行った際、タイ人の友達が面白がって彼をグリーンと
呼んでいた。

呼ばれたい名前を作ったり、選んだりするようだ。

「へぇ。どんな名前?」
「あの~、秘密ですよ」

「えっ?秘密。。。なの? 名前だよね?」
「はい。私が私に話しかける時に使っている名前。。。なんです」

なんだそれ?と思ったけど顔には出さなかった。

「で、なんて名前?」
「ヴィクトリアです!」と満面の笑みを浮かべて彼女が教えてくれた。

ヴィクトリア!
まだ幼さの残っている高校生にしては重厚な名前だった。

吹き出しそうになったけど、表情には出さず「そうなんだ~」と軽く
うなずいた。
大切にしている名前なのだろうから

「秘密の名前。知っているのは私とあなただけです。だから工場では
絶対にこの名前で呼ばないで下さい」

「えっ?あぁ。。うん、分かったよ」
じゃあ、なんて呼べばいいんだよ。。。(笑)

そんな話をしている間にも、私の心が彼女に引き寄せられていく。

彼女を日本へ連れて帰れと言っていた工場のおばちゃん達の顔が頭に
浮かぶ。。。彼女を。。。日本へ。。。連れて帰る。。。

もし彼女と付き合う事になったら、月に1度台湾に来よう。。来られ
るかな?

会社に事情を話して月に1度金曜を含めた土日3連休を貰えば何とか
なるな。

チケット代。。。無駄使いを止めれば月に1度台湾に来るチケット
くらいは買えるだろう。

彼女はこれから大学だから、結婚は早くても5年後になるな。。。

いやいや、その前に軽くデートだろ。
週末、台北へ。。。遠いか、遠いな。
まずは隣町の新竹なら電車で片道約30分も掛からない。
そうだ新竹で映画でも観て、食事して。。。

何も始まっていないのに、私の頭の中では未来へ向けて想像が大きく
なっていく。。。馬鹿だったな。。。今も馬鹿なままだけど。

楽しかった。
そんな馬鹿な想像を含め、彼女の事を想う時間、工場で挨拶を交わす
時間、学校での中国語教室。

全てが楽しかった。
夢のような時間が続いた。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 5 出張という名の一人旅 26話

夏休みの学校。
校舎内には誰もいない。。。のかな?

許可も取らず校舎内に上がり込み、そして彼女は教室に
入っていく。

いいのかな?
大丈夫なのかな?

まぁ、いいや。
怒られたら怒られたで。
そのときはそのとき。

私は彼女に続いて教室に入る。

木製机が並んでいた。
ぼろぼろの机だ。

ひとつの机に2つの椅子。

「どうぞ」
彼女が座るように促してくれた。

「うん」
私が座ると彼女は横にある椅子に腰掛けた。
ニコニコしている。

彼女がカバンのジッパーを開け、中から本を取り出した。

「はい、これを使って下さい」
「うん、ありがとう。何これ?」

「テキストです。本屋へ行く時間がなかなか無くて。。。
勉強を始めるのが遅くなってしまってごめんなさい」

彼女は私の為に本屋でテキストを買ってきてくれたのだ。

「ありがとう!」
とても嬉しかった。

「これ、実は台湾の子供、子供といっても幼稚園児くらいの
小さな子達が使うものなんです。bo po moと呼ばれている発
音記号のようなもの。これを覚えられると中国語の発音も少
し楽になるかと思って。。。。」

台湾では発を表す記号があり、その形と音を分かり易く解説し
てあるテキストが小さな子供用に売られているのだ。

「簡単かなぁ~。見た事もない記号だし。これ覚えないとダメ
なの?」
初めてみる記号に早くもギブアップ寸前の私。

「簡単ですよ~」と彼女がいたずらっぽく笑う。

「うそだ~、これ難しそうだよ~~」と私がふざけた感じでテキ
ストをパラパラとめくると、それを見て彼女が笑う。

「外国人のあなたには少し難しいかも知れませんね。でも、参考
程度でも良いので。こういう音があるんだなって覚えておくだ
けでも。。。」

「ありがとう。覚えてみるよ」

彼女がカバンから1冊のノートと1本のペンを取り出して私に手渡す。
これも私の為に買っておいてくれたらしい。

なんて優しいのだろう。
17歳の子なのにとても気が利く。

「どんな事から勉強しましょうか?」と彼女。
「いつ、どこで、何をするとか基本的な事から教えて欲しい。多少は
分かるようにはなってきたんだけどさ」

「はい、分かりました。では会話形式で進めてみましょうか?あなた
が知りたいのにどう聞いて良いのか分からない。そんな事から始め
てみましょう」

「うん、ありがとう」

「何時にどこへ行く」
「いつ、誰と会う」
「どうしてこうなってしまうのですか?」

良く工場で使う会話を中心に、これまでの経験で困った場面を思い出
しながら、彼女に「この場合はどう聞けば良いかな?」と質問し、彼
女がそれに答える。

会話しながら彼女が漢字で文章を書き出してくれる。
綺麗な文字、そして意思の強さを感じさせる文字だ。

それに比べて。。。私の文字はひょろひょろしているなぁ~(笑)

台湾で使われている漢字は古典的なものが多く、あまり略されていな
い。
良くこんな難しい漢字を。。。と愕然とさせられた。

「難しい漢字が多いんだね。字画も多いし。これ、台湾の人は覚えてる
の?」と質問をすると

「う~ん、全部は無理ですよ。あれ?どういう漢字だったかな?とか、
どう書いたっけな?なんて思ってしまいます」と彼女が説明してくれ
た。

説明を聞きながら、こんな可愛い顔しているのに、いかつい漢字を発音
してるんだな~などと下らない事を想像したりもした。

中国語の発音
日本語にはない音があり、また四声という音がやっかいだ。
トーンを間違えてしまうと全然違う意味になる。。というか伝わらない。

何度も何度も練習する。

「違います!」
「ちょっと違います」
「う~ん、ちょっと違います」

彼女の発音を耳で聞き、同じ音を再現しているつもりなのに。。。
現地の人が聞くとこうも違うものなのか

大学の頃、関西方面の学友にふざけた関西弁で話しかけると「全然違う
やん!」なんて言われた事が思い出された。

何度発音しても「違います」というやり取りが続き、仕舞には2人で大
笑いしてしまった。

こんなに発音しても、1回もOKが出ないのだから。。。緊張の糸が切れて
しまった。

本気で勉強する気なんてなかった中国語だったけど、意外と集中してしま
い、気が付くと日が暮れかかっていた。

そのとき。。。ガラガラガラガラ
と教室のドアがスライドした。

私と彼女は驚いてスライドしたドアの方を向いた。

「そろそろいいかい?」
そこにはおじいさんが立っていた。

宿直の先生か用務員さんなのか?
そろそろ学校に鍵を掛ける時間だとのこと。

「好 謝謝」(はい、分かりました)と彼女が答えた。
「好 謝謝」と私も後に続いた。

テキストをカバンに仕舞い、早足で教室を出た。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 4 出張という名の一人旅 25話

台湾の夏休み

その期間、工場にバイトで働きに来ていた地元の女子高生。
海外留学経験もないのに綺麗な発音で英語を話す女の子。

彼女の勧めもあり、中国語を勉強することになった。
そして先生は彼女。

中国語を勉強する気になった。。。というと嘘になってし
まうかも知れない。

彼女が先生を引き受けてくれる事になった翌日。

「ねぇ、中国語の勉強はいつから始める?どこでやろうか?」
と言い出せず。。。そして彼女からも具体的な話はないまま
仕事が終わってしまった。

彼女は2人の妹を連れて、「バイバイ」と手を振り自転車に
乗り、工場から去ってしまった。

なんだよ~
こっちから切り出さないと彼女も答えようがないじゃん!
と自分に腹が立った。

もしかすると彼女はその場の勢いで先生を引き受けるなんて
言ってしまったんじゃないかな?
と不安に思ったりもした。

初めて会う外国人に彼女が親切に中国語を教える理由なんてな
いよなぁ。。。。

と浮かない表情でホテルに帰った。

その翌日の朝。

いつものように妹2人を連れて彼女が工場へ出勤してきた。

「早!」(おはよう)と声を掛ける。
「早!」(おはよう)と彼女は笑顔を見せてくれた。

でも肝心な話が出来ないまま仕事が始まってしまった。

よし、昼休みになったら切り出そう。。。。何も言えず。
よし、午後の仕事が始まる前に聞いてみよう。。。何も言えず。
虚しく時間だけが過ぎて行く。
言い出せない自分が情けなく思えた。

18時。
午後の仕事の終わりを告げるベルが工場内に響き渡る。

はぁ~、終わっちゃったよ~。
何も言い出せないまま今日も虚しく終わっていくのかぁ~~~
バッカじゃないの!と自分に腹が立っていた。。。

そのとき
ツンツンと私の背中を突く指の感触。

振り返ると。。。

「時間、ありますか?」
彼女がいた!!

「あっ、あるよ!」いきなりの事で少し焦った。

「じゃあ、勉強しましょう」

「やっ、たった~~!」と大喜びする事もなく、
「あぁいいよ」なんて大人ぶった返事をした。
心臓が大きく動いているのを感じた。

馬鹿だな~
晩強だよ。勉強するだけなのに何故こんなに心臓が。。。
一体あの時、私はどんな表情をしていたのだろう。

「行こう」と彼女が自転車に乗る。
「う、うん」と私は彼女に続いてペダルをこぎ出した。

工場付近の道は道幅が狭い割に車の交通量が多かった。
工場や農家、住宅街でもあったからだろうか。

その為、私は彼女と並んで自転車を漕ぐことが出来ず、
ただ彼女の後に付いて走るしかない。

一体、どこで勉強をするのだろう?

毎朝サイさんの工場へ通う道を走っていた。

10分ほど走ると。。。。学校に到着した。
私が宿泊しているホテルから2ブロックほど離れた小学校だ。

「ここで勉強するの?」と聞くと彼女は振り返ってニコリと
笑った。

「今は夏休みだよね?学校に入れるの?」と聞いた私の質問
には答えず、彼女は校門から校庭へ入っていく。

「だっ、大丈夫なの?」と聞いた。
振り返りもせず、彼女はずんずん校舎へ向かって歩いていく。

校舎の門は開け放たれていた。
下駄箱が設置されたスペースで靴を脱ぎ、彼女は勝手に校内
へ上がってしまった。

私も靴を脱ぎ、彼女を負った。
廊下がひんやりとした。

ガラガラガラ。。。。。
少し先にある教室のドアをスライドさせる音。
「こっちです」と彼女が笑顔で呼びかけてきた。

「う、うん」
私は彼女の方へ歩みを進めた。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 3 出張という名の一人旅 24話

サイさんの工場

朝になるとパートのおばさん達やってくる。
夏休みなのでバイトの子供達もやってくる。

朝から大声や笑い声。
大らかな笑顔を見ているだけで楽しくなってくる。
言葉も分からないのに、私も一緒になって笑ってる。

トントン
「?」
誰かが肩を叩いた。

振り返ると彼女だった。

「おはよう」と私
「おはようございます」と彼女
小さな、でも芯の強さが伝わってくる彼女の声。

この時間、この短い時間が毎朝の楽しみになっていた。

「あのぉ。。。」
「うん?何?」

「あのぉ。。。。。。。」
「どうしたの?」

「中国語、勉強した方が。。。。中国語を勉強した方が
いいですよ」

うわぁ!
痛いところを突いてきたなぁ~

苦笑を浮かべながら
「うん、そうだよね~。でも難しいよ~。テレビの字幕を見
ながら勉強したりはしてるんだけどさ。みんなの会話を理解
するまでは。。。。」と話したところで

「ハハハハッ」
と彼女が笑い出した。小さな笑い声だった。

「みんなが普段話しているのは台湾語ですよ。中国語じゃあ
りません」

「えっ?そうなの?中国語じゃないの?」
中国語と台湾語の存在は知っていたけど、公教育では中国語
を教えていると聞いていたので、普段の会話は中国語なのか
と思っていた。

「ここはローカルな町でおばさん達は年齢層が高い。なので
普段の会話は台湾語なんです。私?私は台湾語も分かるけど
学校の友達とは中国語です。世代や住む地域によって、どち
らを使うか分かれますよ。南部の人達は比較的台湾語を好む
人が多いです。ここ竹南だと。。。う~ん、半々くらいかな」

「そうなんだ」

「はい。でも、お仕事の事を考えると中国語の方が良いと思
いますよ。シンガポールなどの中華系の人達も同じ言葉を話
してますから」と彼女はハキハキとした口調で説明をしてく
れた。

「そうかぁ~。。。。勉強した方がいいかな」と大してその
気もないのに私はそう答えた。

「はい。絶対に勉強した方が良いです。台湾の事、もっと深
く知る事が出来ると思うんです。あなたには台湾の事、もっ
と知って欲しい」

確かにご飯は美味しいし、ややお節介だけど人は優しいし。
台湾を好きになり始めてはいた。でも、中国語、難しいんだ
よな~。。。熱心に勧めてくれる彼女には悪いけどあまり気
が進まなかった。

「あのぉ。。。。。」
「うん?どうしたの?」

「もし。。。もし良かったら、私が教えます。私があなたに
教えます」

彼女が中国語を。。。??
教えてくれる。。。???

頭の中で整理する時間が必要だった。

「えっ?いいの?」
「は、はい。大丈夫です。毎日は無理ですけど。。。。週に
2日位なら大丈夫です」

「なら教えてもらっちゃうかな!勉強したいと思ってたし」
そんな気なかったのに、そう答えていた。

瞬時にこのチャンスを逃していけない!そう思った。

胸の鼓動が高鳴っていた。
嬉しくて嬉しくて飛び上がりたい気持ちだった。
でも、私の方が年上だ。冷静に。。。なれないけど装わない
と!
と自分を落ち着かせてから

「どうしよう、その。。お礼というかさ。時給を決めようよ」
と大人っぽい取り決めを持ちかけると

「お、お金は要りませんよ。いただけないです。私、先生じゃ
ないし。。。」目を伏せた彼女。

「それじゃあ悪いよ。君の時間が。。。」
「だ、大丈夫。。。大丈夫ですよ!」
と私の言葉を小さな声で遮った彼女。

笑顔に力強い視線をこちらに向けていた。

「それじゃあお願いしちゃおうかな」
「はい。任せて下さい!」

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 2 出張という名の一人旅 23話

英語が話せる女の子。

彼女の存在に気が付いてからは、不思議と工場内で
すれ違う事が増えた。
いや、元々すれ違っていたのかも知れない。

すれ違いざまに「hello」と簡単な挨拶を交わすよ
うになった。

彼女の回りにはいつも2人の女の子がいた。
彼女よりもっと年下の、小学校3,4年生位の子達
だ。

妹だろうか。。。しかし顔が全然似ていない。
親戚の子だろうか。。。

ある日のこと。
サイさんが私の元に駆け寄ってきて何かを話し始め
た。
顔は強ばっていなかったけど、必死に何かを説明し
ている。
問題が起きているのだろう。

私は両手を広げて首を左右に振るしか出来なかった。
サイさんは顔を天井に向けて「どうすれば分かって
もらえるだろう」というような表情を浮かべていた。

その時だった。
あの子が近づいてきてサイさんに話しかけた。

サイさんが早口で何やら説明をし出した。
彼女はサイさんの言葉をひとつひとつ丁寧に聞き、
時々サイさんに質問をしていた。

ひと通りサイさんの説明を聞いた後、私の方へ顔を向
け、英語で状況を説明し始めた。

今となってはどんなトラブルだったかは思い出せな
いけど、生産を1次ストップせざるを得ないような
事だったと記憶している。

工場のラインを止め、私は台北オフィスへ電話し、
状況を日本の会社へファックスを送ってして欲しい
と伝えた。

助かった。
本当に助かった。

落ち着いた頃、私は彼女の側に行き「謝謝」と感謝
の気持ちを伝えた。

彼女は仕事の手を止め、静かに笑顔で答えてくれた。

台湾の片田舎で妹が出来たような。。。。
いや、そんな感覚では。。。。ない。

それから彼女と話す機会が日に日に増えていった。

彼女は竹南にある学校に通う高校2年生。
夏休み中、お小遣いを稼ぐために工場に働きにきて
いる。
一緒にいる女の子達は彼女の妹だった。

英語は英会話スクールなどで勉強している訳ではなく、
中学高校で勉強した程度だという。

「それにしては発音が綺麗だよね。留学経験でもある
のかと思ってたよ」

「えっ?私、私の英語に自信なんてないですよ~」と
小さく笑った。

かっ。。。。可愛い。

とても静かでシャイな女の子。

向こうからは決して話しかけてはこないけど、こちら
から話しかけると笑顔で応対してくれる。

小さな声で綺麗な英語を話す女の子。

始業前と終業後。

自転車置き場で良く会話をするようになっていた。

我々が会話する光景を見ているパートのおばちゃん達は

「台湾の女性は世界一だ。あんたもその子を日本へ連れ
て帰れ」と冗談を言ってくる。

「no no」と言いながらも自分の気持ちは。。。

それもアリかな。。。。

いかん!
ダメだろう!

相手は高校生だ。
でも。。。いい感じの子だよなぁ~

心の葛藤が芽生え始めてしまっている。

当時、私は24歳。
彼女は17歳。

年齢差はそうでもないけれど、社会人と学生だ。
しかも相手は外国人。

ない
ない
ない
あり得ないだろう。

必死だった。
必死で自分の気持ちにブレーキペダルを踏んでいた。

ブレーキをかければかけるほど、その思いが強くなっ
ていくのを感じていた。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 1 出張という名の一人旅 22話

台湾の夏休み。

近所に住む子供達までが工場に来て仕事をしている。

パートしている親の子供もいれば、自分たちだけで働きに来ている
子供達もいる。

高校生や大学生ではなく、小学生達だ。

日本だったら問題になっているだろう。

就業前は彼等の話し声や笑い声で工場内が賑わう。

何を話しているのか相変わらずサッパリ分からないけど、子供達の
笑顔を見ているだけで、こちらも楽しくなってくるから不思議だ。

数人の子供達が私に近づいてくる。

helloと声を掛けると一目散に逃げていく。

そしてまた戻ってくる。

声を掛けるとまた逃げて、また戻ってくる。

その集団の中の一人が1枚の紙を手に私に近づいてくる。

その紙を受け取る。

「何だろう?」と紙を広げてみる。

「你是那國人?」(あなたは何人ですか?)

と書いてある。

「我是日本人」(日本人だよ)
と変な発音の中国語で答えた。

子供達は顔を見合わせてニコニコとしている。

可愛いな。

そうこうしているうちに始業のベルが鳴り、仕事が始まる。

子供達も持ち場に付き、仕事を始める。

クリスマスツリーを入れる箱を組み立てる比較的単純な仕事が
中心だ。

笑顔が消え、真剣な表情で箱を組み立てていく子供達。

この子達の時給って幾らなんだろう?

そんな事を考えながら、私も仕事に取りかかる。

日本への納期はまだ先。
とは言え、日々納期は迫ってくる。

子供達がいる間に少しでも仕事を進めておきたい。

出来上がっているクリスマスツリーの検品を済ませ、パートの
おばさん達に「ok」と伝える。

おばさん達はクリスマスツリーを別の場所へ運び、子供達が組
み立てた箱に入れていく。

そして新たに出来上がったツリーが運ばれてくる。
検品して問題のないものをおばさん達に運んでもらう。

不良品も減ってきた。
パートのおばさん達も慣れてきたようで作業が早くなってきた。

順調順調。

彼等の働きっぷりを頼もしく思いながら仕事をしているときだ
った。

誰かが私の肩を叩く。

振り返ると
「これ、壊れてますよ」
と検品済みのクリスマスツリーを持つ女の子が立っていた。

「本当?ありがとう」
どこが壊れているのかチェックしようとすると

「ここ。このオーナメントの星が壊れてるんです」

クリスマスオーナメントの1部はカラス製。
ツリーの頂上にある星もガラスで出来ている。
その星が何かの拍子で欠けてしまったようだった。

「あっ、この星ね。ありがとう。見逃してたよ。助かった」

とここで気が付いた。

英語だ。
しかも綺麗な発音の英語。

「英語、話せるの?」
女の子に聞いてみた。

「はい。学校で習ってますから」

発音が。。。。綺麗だ。
自分の英語が恥ずかしくなるくらい、彼女の英語は綺麗だった。

彼女は周囲の子供立ちに比べると年齢が上、高校生くらいだろう
か?

華奢ではあるが、背は高い。
ショートカットがとても似合う女の子。

久々に英語を話す事が出来た嬉しさから、もう少し会話を。。。
と思ったけど、工場は稼働中だ。

次々とツリーが出来上がり、私の目の前に運ばれてくる。

「謝謝」と中国語でお礼を伝える
「不客気」(どういたしまして)
と笑顔で彼女が応えてくれた。

高校生くらいの子も働きに来ていたんだな。

それが彼女との出会いだった。

つづく

台湾の思い出 怖い話 4 出張という名の一人旅 21 話

真面目君

不気味だ。

いつまた現れるのだろうか。。。
不安が募る。
そして彼に対する嫌悪感が日に日に増していく。

こんな気持ちを抱えながら、この先もこの町にいなければならない
のだろうか?

そしてその不安は的中し、深刻化していく。

翌日の目覚めは最悪だった。
最終的には眠れたけど、もう明け方近くだった。

自転車で工場へ向かっている間も真面目君の顔を頭に浮かぶ。

工場でサイさん、ベイビーと挨拶を交わし、パートのおばさんたち
と意味のない会話をする。
忙しくなると真面目君の事は忘れられる。

仕事に集中しよう。
そう思った。

そして昼の休憩時間。

工場の外に出ると。。。。いる。
真面目君がヘルメットを持って待っている。。。。

ベイビーがいるので、工場の近くまでは近づいて来ないのだが不気味
だ。

真面目君からすぐに視線を外し、私はサイさんの家に入り、昼ご飯を
いただく。

が、味が。。。味が分からない。
真面目君の事が頭から離れず、ご飯の味を楽しめないのだ。

昼が終わり、工場へ戻るとき、恐る恐る真面目君が立っていた場所へ
視線を向ける。

いない。
真面目君の姿はなかった。

午後の仕事が終わり、工場を出る。。。いる。
手にはヘルメット。。。

なんという男だろう。

自転車の鍵を解除して、力一杯ペダルを踏む。
彼には視線を向けず、ペダルを踏んで彼の横を通り過ぎた。

追ってくるかな?
工場から少し離れた場所に自転車を止め、後ろを振り返る。

いない。
付いてこない。

良かった~。

しかし、翌日もその翌日も。。。。昼と夜、彼はそこにいた。

他人を無視するのも心地良いものではない。
無視すればするほど、心の中で彼の存在が大きくなっていく。

せっかくの台湾滞在が楽しめなくなっていた。

そんな日々が続き、私の心も疲弊していた。

その日。
いつものように真面目君は私を待っていた。
いつものように私は彼を無視してホテルへ戻った。

食事を済ませ、買い物を済ませ、ホテルで横になる。

テレビを見たり、日本から送られてきた雑誌に目を通したりし
ながらくつろぐ。。。くつろげない。

風呂を済ませ、「今夜はもう寝よう」と決め、部屋の電気を消
す。
疲れていたのだろう、その日は割とすぐに眠りにつけた。

ピンポーン
「?」

ピンポーン
「この部屋だな」

部屋の時計を見ると午前12時半だ。

誰だよ、こんな夜中に。
酔っ払った客が部屋を間違えているのかな。

部屋の電気をつけてベッドから起き上がり、ドアの方へ向かった。

そしてドアの穴から外を見る。。。背筋が凍った。。。。

いる
あいつが。。。真面目君がドアの外に立っている。

寝たふりして応対しないでおこう。
そう思い、ベッドに戻り布団を被る。

ピンポーン。。。。。
ピンポーン。。。。。

なかなか諦めてくれないな。
でも、反応しなければ帰ってくれるだろう
我慢我慢、もう少しの我慢。

ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン

徐々に回数が増え、鳴らす間隔が短くなっていく

ピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!

連打している。
その音からは怒りを感じる。

枕で耳を被い、音が聞こえないようにするけど限界がある。

そして鳴り止まないチャイムの音。

時計を見ると午前1時。。。もう30分もチャイムを鳴ら
している真面目君。

それから15分。
午前1時15分になっていた。

「もう限界だ!」
彼に対する嫌悪感を怒りが超えていた。

ドアに向かい、勢いよくドアを開ける。

一瞬、真面目君が驚いたのが分かった。
その次の瞬間、ヘルメットを差し出し
「一起吃飯」(一緒にご飯、食べに行こう)

「ふざけるな!」
日本語で大声を出した。
その後、何を言ったかは覚えていない。

大声で叫び続けた。
彼に対する怒りにまかせ、叫び続けた。

そしてフロントドアの方向へ指を向け、「出ていけ!」と
怒鳴り散らした。

真面目君は不満そうな表情を見せた。
「せっかく誘ってやったのに。。。」とでも言いたげだった。

そしてヘルメットを持ちながら、フロントへ向かった。

私はドアを閉めた。
怒りを。。。怒りを抑えたい。
なんで夜中にこんな大声を出さなきゃならないんだ。

30分ほど過ぎただろうか。
少し冷静さを取り戻した私はフロントへ行く、彼が来たらホテル
へは入れないようにして欲しいとお願いした。

「お友達じゃないんですか?」と聞かれた。
「奇奇怪怪な男だよ」と答えた。

先ほどの大声も聞こえていたのだろう。
ホテルも対策を取ってくれた。

ようやく以前のように楽しく働く日常を取り戻した。

その後、彼の姿を見かける事はなくなり、工場の外で立っている
事もなくなった。

2回ほど部屋の電話がなり、受話器を取ると
「一起吃飯」(一緒にご飯に行こうよ)
との誘いがあったけど、彼からの電話はつながないようホテルに
お願いをした。

なんという執念。

ストーカーなんて言葉のない時代だったけど、ストーカーは存在
していた。

ピンポーン
ピンポーン
「ご飯、ご飯一緒に食べようよ。。。。」

今日もどこかで真面目君が誰かの家のドアベルを鳴らしているの
かも知れない。。。。

そう思うと鳥肌が立つ。