英語の先生


ある日、その男はふらりと台湾の田舎町に現れた。

「英語の先生」
私の友人たちはみな、彼のことをそう呼んでいた。

「夏休みの長期休暇を利用して台湾を1周しています」
台北出身の彼はそう話していたそうだ。

長身でイケメン。
清潔感のある服装。

気取ったところは全くなく、誰とでも気さくに話をする。

教師という仕事柄、話し慣れているようで、楽しい話題を次々に
提供し、みんなを楽しませ、笑わせる。

アメリカやヨーロッパに行った話など、友人たちは興味深そう
に聴いていた。

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「英語の先生」は1日中、私の友人の店にいた。
私の友人、アシェンの店。

気さくなアシェン。
言葉使いはやや乱暴だけど誰にでも優しい。

アシェンは旅人である英語の先生が気に入り、まるで幼なじみかの
ように近い距離感で接していた。

「そうだ。お前、英語出来るんだよな?」
アシェンのいとこのピーナッツが私に話しかけてきた。

「あぁ。少しだけどね」
と答えるまもなく

「こいつさ、俺の友達の日本人なんだよ。英語が話せるんだ」
とピーナッツが大声で「英語の先生」に話しかけた。

「英語の先生」は私の方を笑顔を向け、片手をふわると持ち上げて
「 HELLO 」挨拶してくれた。

ちょっと話をしてみようかな?
そう思った私は椅子から立ち上がり、「英語の先生」に近づいた。

「いろいろな国へ旅をしたことがあるようですね。私も旅が好きで
 学生の頃は欧米を回ったりしたんですよ」
そう話しかけてみた。

「うん?へぇ~欧米諸国を旅したんだね。凄いなぁ」
英語の先生はそう答えてくれた。
答えてくれたけど、返事は素っ気なく、会話はそこで途切れてしま
った。

その後も何度か英語で話しかけたりしたけれど、「英語の先生」の
答えはいつも素っ気ないものばかりだった。

私にはあまり関心がない様子だった。
先生とは言え、彼も人間だ。
好き嫌いがあっても仕方ない。

そう思った私は「英語の先生」に話しかけるのを控えた。

「英語の先生」は人気者で、常に誰かから話しかけられたり、話し
かけたり。
彼の周りはいつも笑い声で溢れていた。

アシェンも嬉しかったのか、商売そっちのけで「英語の先生」との
時間を楽しんでいた。

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「おい、みんな。今晩時間あるだろ?英語の先生と一緒に晩飯食いに
 行こうゼ!」

ピーナッツが呼びかけた。

「いいね」
「行こう行こう!」
「あの鍋屋が美味しくて良いんじゃない?」

「お前も来いよ。時間あるだろ?」
ピーナッツが私を誘ってくれた。

「あぁ、いいよ」

英語の先生との微妙な距離感を感じつつも、みんなとの食事は楽しそう。
私も参加することにした。

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仕事が終わり、アシェンの店に集合。
英語の先生は1日中、アシェンの店に居たようだ。

「よし、鍋屋へ行くか!」
ピーナッツがみんなに店の場所を教える。

「乗れよ」
私はピーナッツのバイクの後ろに乗った。

英語の先生はアシェンのバイク。
アシェンはとても嬉しそうな顔をしていた。

合計10台ほどのバイクで鍋屋へ向かう。

排気ガスが気になるけど、暖かい空気をバイクで走る爽快感がそれを
忘れさせてくれた。


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鍋屋に到着。
丸いテーブルに10人ほどが座り。
2~3種の鍋とビールを注文。

到着早々、フルスロットルでビールを飲み始める仲間たち。

ノンストップで食い、飲む。
場の雰囲気も熱を帯びる。

喧嘩しているかのように冗談を言い合う。
ジャンケンで負けた方が一気飲み。
腕相撲。

笑いと大声が絶えない。

子供みたいな連中と過ごす時間は無条件で楽しかった。

数時間が経過したころ
「悪いね。そろそろ店を閉めたいんだけど」と鍋屋の主人。

「もうこんな時間かよ!」
「明日も仕事だしな。そろそろ帰ろう」
「会計会計!」

合計金額を割り勘。
台湾では経済力のある人間がその場の会計を引き受けるのが普通
だけど、みな同世代。
落ち始めていた経済を身に染みて感じている仲間達だ。

財布を取り出し。
お金をテーブルに載せているそのときだった。

「あれ?財布を忘れちゃったよ~」
と英語の先生。

「バッグに入れた筈なんだけどなぁ」
小さなバッグから中身を乗り出し、確認するも財布が出てこない。

「いいよいいよ。ここは俺が出しておくからさ」
アシェンが英語の先生の分のお金もテーブルに出した。

「悪い。今日だけ貸して。明日も店に行くからさ。その時にお金
 は返すよ」

「うん。それで良いよ」

「アシェン、男前!」
「アシェン、良かったな。良い友達が出来て!」

みんな、アシェンを祝福するかのような、ちょっと大袈裟な言葉
を掛ける。
照れながらも嬉しそうな顔をしているアシェン。

「よし、そろそろ解散だ!楽しかったな!明日も頑張ろうゼ!」
ピーナッツがそう呼びかけて、楽しい食事会が終了。
仲間たちはみな、バイクに乗って帰宅の途についた。

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翌日の夕方。
アシェンの店に行ってみた。

みんなが集まっていた。
いつものことだ。
でも、雰囲気が少し違っていた。

「どうしたの?」
「うん?う~ん。。。。英語の先生が現れないんだよ。。。」
とピーナッツ。

「本当?毎日来てたのにね。何かあったのかな?」
と私が聞くと

「俺たちも心配になって彼が宿泊していると言ってたホテルに行
 ったらさ、そんな人は宿泊してないって。。。」

「えっ?どういうこと???」

「多分、あいつ。。。英語の先生じゃない」
ピーナッツがそう言うと
「うん。違うな。もうこの街にはいないよ。きっと」
と別の仲間が続けた。

「じゃあ、アシェンが出した昨日の金は返ってこない?」
「無理だろう」
ピーナッツが悔しそうな顔をしながら、そう答えた。

アシェンは口を真一文字にして下を向いたままだった。
悔しそう。。。というよりは悲しそうな顔をしていた。

ピーナッツが
「今、こいつに聞いたら毎日昼夜の弁当。そしてジュースやお茶
 代もアシェンが出していたんだって」


「アシェン、馬鹿だからお金も貸してたらしいよ。たばこも買っ
 てあげたんだって!」
と別の友達が訴えるように大声を出した

「本当かよ?」
私が聞くとアシェンは小さく無言で頷いた。

「ったくよ~。人の気持ちをなんだと思ってるんだよ!」
ピーナッツが吐き捨てるようにそう叫んだ。

「金を返さないなんて。。。。アシェンの気持ちを考えろ
 っての!」
別の友達がそう続けた。

アシェンは少しサボり癖があるけれど、人には優しい奴だった。
そこをつけ込まれたのかも知れない。

重苦しい雰囲気がアシェンの店に満ちていた。


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数日後の新聞に
「詐欺師逮捕」という記事が新聞に掲載されていた。

顔写真も出ていた。
あの「英語の先生」だった。

台湾全土で詐欺を働いていたらしい。
「私は英語の先生だ」と名乗っては人に近づき、少額のお金を借りては
逃げるを繰り返していたようだ。

少額なので警察に相談する被害者は少なかったらしい。
欺された方は悪くはないのだが、欺されたという事実を受け入れがたい
し、何となく格好悪い。

そんな被害者の心理を分った上での犯罪手口。

これは私の推測だけど、あの「英語の先生」は英語が話せない。
私が英語で話しかけても返す事が出来なかった。
だから私には話しかけてこないし、微妙な距離を空けていたのではないか
と。

ある日突然現れた旅人。
そんな彼を受け入れ、食事やドリンクの世話をしたアシェン。
昼過ぎから夜まで店にいる旅人を帰すこともなく時間を過ごしたアシェン。

アシェンは彼の事を友達だと思い、これからもずっと付き合っていくもの
だと思っていたはずだ。

そんなアシェンの気持ちを足蹴にして、お金を欺し、時間を奪い、気にす
ることもなく街を逃げ出した「英語の先生」

アシェン、悔しかっただろうな。。。

アシェンはしばらくショックを受けていたけれど、すぐに本来の明るさを
取り戻した。

回数は少なくなったけど、今でも連絡を取り合っている。

お店は随分前に閉め、今では建築現場で重機の操縦をして
家族を養っている立派なお父さんになっている。




おわり




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