台湾の思い出 香港社長 3 出張という名の一人旅 32話

台北で私の上司に紹介されたミスターブー。。。
いやいや、小野田社長に誘われて、ホテルのラウンジで
話をうかがうことに。

大阪の本社は弟さんに管理を任せ、単身香港でオフィスを
開き、中国での生産に乗り出しているという話だ。

「ウチは大阪で代々続くおもちゃメーカーなんよ」
小野田社長の話が続く。

興味深い話に私の興味もかき立てられた。

「2年ほど君の会社にお世話になって、その時に散々遊んだ
からな~。もう遊びはいらん。仕事、男は仕事せにゃな」

お~。
小野田社長、格好良い!

東京にある私が在籍していた会社で2年間の修行を終えて
大阪へ戻った小野田社長。

猛烈に仕事をしたそうだ。
朝から晩まで仕事して、取引先へ通い、商談をたくさんま
とめた。。。でも、一向に楽にならなかったそうだ。

その原因は。。。。
「ウチの親父や」

どれだけ売上を伸ばしても酒と女が大好きな小野田社長の
お父さんが会社の金庫からお金を持ち出して、飲みに出て
しまう。

業界が縮小しているにも関わらず、派手な遊びから抜け出
す事が出来なかったらしい。

会社の金庫や銀行口座はいつもギリギリ。
月末の支払いなどはヒヤヒヤの連続だったそうだ。

そしてある日。。。突然お父様が亡くなってしまった。

まだ30歳そこそこだった小野田社長が社長に就任。
銀行に勤務していた弟を会社に向かえての再出発。

お父さんを亡くした悲しみは大きかったけど、会社を建て
直すチャンスでもあった。
弟と当時会社に残ってくれた社員たちで必死に働いた。
そして始まった快進撃。

取引先を次々に開拓し、弟に経理を任せて、香港へ。
中国国内のメーカーと接触、生産を委託し、コストを下げ
つつ日本の品質を教えていく。

見る間に力を付けていく中国企業。
日本の要望にも応えられるようになっていく。
仕事が増え儲けが増えると中国人経営者との信頼も深まっ
ていく。

小野田社長に快進撃を見て、台湾での生産から中国へシフ
トするメーカーも増えていく。
その過程で小野田社長に舞い込む相談も増えていく。

「だったらウチに任せない?完璧な仕事したるで」
小野田社長の決め台詞。
香港で受注する仕事も日に日に増えていったという。

独学で習得した中国語も大いに武器になったそうだ。

「結構話しちゃったな。俺の話ばかりやったけど。ごめん
な」

「いえ、とても刺激になりました。こんな話、なかかな聞
けないですよ。ありがとうございました」

もう少し話を聞いていたかったけど、小野田社長は翌日の
飛行機で香港へ戻るのだ。

忙しい人だなぁ。
この業界に入って始めて出会った仕事をする人。
ちょっとリスペクト。

小野田社長がホテルのエントランスまで送ってくれ、タクシ
ードライバーに私が宿泊しているホテル名を告げる。
流暢な中国語で台湾人とのやり取りも難なくこなしていた。

格好良いなぁ~。

ミスターブーなのに
マイケルホイなのに

格好良い。

翌日、私と私の上司が宿泊しているホテルのロビーに下りて
いくと小野田社長が待っていた。

「最後やからな。君と飯、食べよ思うてな」と小野田社長。
「オイオイ、ウチの新人を引き抜くなよな」と上司が笑いな
がら小野田社長の胸を突く。

3人でホテルのお粥セットをいただいた。

1時間後、小野田社長は空港へ。
私と上司が見送りに出た。
颯爽とタクシーに乗り込む小野田社長。

「ほな、また会おうや。香港、1度見にこいや。美味しいもん
食べ行こうな!」
手を振りながら去って行った小野田社長。

ミスターブーが香港へ。。。。

「君はどうする。オフィスへ行く?」と上司。

「いえ、工場へ戻ります。心配なので」と答え、私は台北駅へ
向かった。

さて、俺も仕事しよう!
男は仕事だよな!

駅で切符を買い、電車に飛び乗り田舎町の竹南へ。。。。。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です