日本語が出来る台湾人。
専門学校で教師を務めるチェンとの出会い。
チェンはほぼ独学で日本語を学んだという。
特にきっかけがあったという訳ではなく、おじいさん、そして
彼のお父さんも日本語で話す事が出来る、家庭内で日本語が当
たり前のように存在していたそうだ。
親から日本語の勉強を勧められた訳でもなく、家庭内に置いて
ある書物、父親が良く聴いていた日本の歌。テレビで放映され
ている日本のテレビ番組を見ているうちに、平仮名、片仮名が
書けるようになり、話せるようになっていたという。
チェンが言う。
「ベイビーはこの専門学校で私の生徒でした。先日、ベイビー
から久々に電話があり、ウチの工場に日本人がいるけど、中国
語が話せない。毎日仕事ばかりしていてつまらなそうにしてい
る。先生、友達になってくれないか?との内容でした。」
私は別に台湾での生活がつまらない訳ではなく、また孤独を感
じてもいなかったのだが、初めて訪れた台湾で友達もなく過ご
している私を見ていたベイビーが心配してくれ、日本語が出来
るかつての恩師、チェンに電話を掛けてくれたのだ。
「ご飯でも食べに行きませんか?」
チェンが食事に誘ってくれた。
「あまり美味しくないかも知れないけど、和食でも食べに行き
ましょう」と私に気を使ってくれた。
ベイビーは父の仕事の手伝いがあるとのことで工場に向かった。
私はチェンの車に乗って学校から少し離れたエリアへ移動した。
移動する車の中でチェンが演歌の歌を流す。
「日本の歌、私は好きなんです」
古い演歌だ。
子供の頃に聴いた事があるような、ないような。。。
食事をしながら、お茶を飲みながらチェンとの会話は終わる事
なく続いた。
「これは内緒の話ですよ」
初対面の私にチェンは秘密の話をしてくれた。
専門学校で教師をしながら、週末は住宅設計の仕事をしている。
公務員なのでバレたら首になる。
将来はどうしても設計の道で食べていきたいので、学校には内
諸でフリーとして設計の仕事を請け負っている。
仕事を宣伝することは出来ないのだが、設計した仕事は好評で、
気に入ったクライアントが次のクライアントを紹介してくれる
ので、仕事は途切れることなく入ってくるそうだ。
家は代々資産家の家系でお金には不自由していない。
教師として生徒に技術を教えるのも好き。
設計の仕事のキャリアも積んでいきたい。
貪欲に好きな事を追求しているチェン。
当時サラリーマンだった私にはキラキラと輝いて見えた。
「もうひとつ秘密があります」
チェンは話を続けた。
担当するクラスには経済的に苦しい環境にある子供がいる。
その中で一生懸命勉強している生徒を選び、個人的に学費の補
助をしているのだという。
補助と彼は言っていたが、学費のほぼ全額を彼が納めているの
だという。
「私は幸い裕福な家庭に生まれ、幸い2つの好きな仕事をする
事が出来てます。まぁ、バレたらクビになってしまうけど(笑)
だから、稼いだお金の一部は社会に還元したいのです。
「真剣に勉強したい生徒を応援する。
それも私に与えられた使命です。」
卒業後も社会に馴染めず会社努めが出来ない元生徒を1~2人
選び、彼の事務所で雇い、平日、彼が動けない時に設計図を運
んだり、資材の発注や業者への連絡などをしてもらう。
元生徒達は少ないけど給料を貰いながら、人との関わりを学び、
社会になれていく。
もちろん、他でバイトをする事も出来るので生活していくのに
十分なお金を稼ぐ事は出来ている。
大体1~2年で事務所を卒業してもらい、チェンの知り合いの
会社などへ就職の斡旋もしているのだという。
「チェン、君は凄いね!」
心からそう思い、その思いを口にした。
「ありがとう。でも、当然のこと。私は誰かを助けるのも好き」
真面目なばかりではなく、チェンはお酒もカラオケも大好き。
社交ダンスも上手い。
毎週末、私はチェンと新竹の街で会い、食事をし、バーで酒を
飲み、カラオケやダンスホールへ連れて行ってもらった。
チェンの周囲にはいつも大勢の人達が集まってくる。
元生徒たち、同級生や幼なじみ。
台湾のカラオケボックスが広いので、いつも20人くらいで大
騒ぎ。
遊びが終わるとチェンは隣町の竹南まで車で送ってくれるのだ
が、相当飲んでいるので危険を感じる事もあったけど、私も若
かったので、それを楽しんだりもしていた。
ある日、バーで飲んだ後、いつものようなチェンが車を運転し
て私をホテルまで送ってくれていた時の出来事。
後ろでサイレンを鳴らしながらパトカーが近寄ってきた。
警察だ!
チェンも私も酒を飲んでいた。
「チェン、パトカーだよ。捕まっちゃうね」と言うと、チェン
は「大丈夫」とニコニコしている。
「大丈夫って。。。パトカーが追いかけてきてるし、逃げ切れ
ないよ。どうするつもり?」と私が聞く。
「今から私は日本人、あなたも日本人。彼等が何を聞いてきて
も分かりません、ごめんなさいとだけ応えてね」
そんな方法が通用するのかな~?
半分呆れながら、それも面白そうだと思い、チェンの言う通り
にしてみることにした。
車を止めるとパトカーも止まり、2人の警察官が出てきた。
車のドアの窓をコンコンと叩き、窓を開けるように促された。
チェンはニコニコしながら窓を開ける。
警察官が何かを言っているけど、当然私には理解が出来ない。
チェンが「ごめんなさい。私たち日本人。中国語、分かりま
せん」
警官が何かを言う度にチェンは同じ台詞を繰り返す。
警官も引き下がらず、英語で「パスポート、パスポート!と
パスポートを見せるよう要求をする。
それでもチェンは「何ですか?何ですか?どうしよう、分か
りません。ごめんなさい」と繰り返す。
私も両手を広げ「分かりません」と繰り返していた。
こんなことして警察署に引っ張られるんじゃないかな?と不
安に思ったりしたけれど、警官2人が「ゴー、ゴー!」と怒
りながらパトカーに戻ってしまった。
パトカーが停車している我々の車を追い越して行った。
チェンは笑いながら手を叩く。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
大丈夫だったでしょって。。。(笑)
当時の台湾はとてもおおらか。
今では通用しないと思いますので、真似をしないように願い
ます。