台湾の思い出 南国での出会い 5 出張という名の一人旅 26話

夏休みの学校。
校舎内には誰もいない。。。のかな?

許可も取らず校舎内に上がり込み、そして彼女は教室に
入っていく。

いいのかな?
大丈夫なのかな?

まぁ、いいや。
怒られたら怒られたで。
そのときはそのとき。

私は彼女に続いて教室に入る。

木製机が並んでいた。
ぼろぼろの机だ。

ひとつの机に2つの椅子。

「どうぞ」
彼女が座るように促してくれた。

「うん」
私が座ると彼女は横にある椅子に腰掛けた。
ニコニコしている。

彼女がカバンのジッパーを開け、中から本を取り出した。

「はい、これを使って下さい」
「うん、ありがとう。何これ?」

「テキストです。本屋へ行く時間がなかなか無くて。。。
勉強を始めるのが遅くなってしまってごめんなさい」

彼女は私の為に本屋でテキストを買ってきてくれたのだ。

「ありがとう!」
とても嬉しかった。

「これ、実は台湾の子供、子供といっても幼稚園児くらいの
小さな子達が使うものなんです。bo po moと呼ばれている発
音記号のようなもの。これを覚えられると中国語の発音も少
し楽になるかと思って。。。。」

台湾では発を表す記号があり、その形と音を分かり易く解説し
てあるテキストが小さな子供用に売られているのだ。

「簡単かなぁ~。見た事もない記号だし。これ覚えないとダメ
なの?」
初めてみる記号に早くもギブアップ寸前の私。

「簡単ですよ~」と彼女がいたずらっぽく笑う。

「うそだ~、これ難しそうだよ~~」と私がふざけた感じでテキ
ストをパラパラとめくると、それを見て彼女が笑う。

「外国人のあなたには少し難しいかも知れませんね。でも、参考
程度でも良いので。こういう音があるんだなって覚えておくだ
けでも。。。」

「ありがとう。覚えてみるよ」

彼女がカバンから1冊のノートと1本のペンを取り出して私に手渡す。
これも私の為に買っておいてくれたらしい。

なんて優しいのだろう。
17歳の子なのにとても気が利く。

「どんな事から勉強しましょうか?」と彼女。
「いつ、どこで、何をするとか基本的な事から教えて欲しい。多少は
分かるようにはなってきたんだけどさ」

「はい、分かりました。では会話形式で進めてみましょうか?あなた
が知りたいのにどう聞いて良いのか分からない。そんな事から始め
てみましょう」

「うん、ありがとう」

「何時にどこへ行く」
「いつ、誰と会う」
「どうしてこうなってしまうのですか?」

良く工場で使う会話を中心に、これまでの経験で困った場面を思い出
しながら、彼女に「この場合はどう聞けば良いかな?」と質問し、彼
女がそれに答える。

会話しながら彼女が漢字で文章を書き出してくれる。
綺麗な文字、そして意思の強さを感じさせる文字だ。

それに比べて。。。私の文字はひょろひょろしているなぁ~(笑)

台湾で使われている漢字は古典的なものが多く、あまり略されていな
い。
良くこんな難しい漢字を。。。と愕然とさせられた。

「難しい漢字が多いんだね。字画も多いし。これ、台湾の人は覚えてる
の?」と質問をすると

「う~ん、全部は無理ですよ。あれ?どういう漢字だったかな?とか、
どう書いたっけな?なんて思ってしまいます」と彼女が説明してくれ
た。

説明を聞きながら、こんな可愛い顔しているのに、いかつい漢字を発音
してるんだな~などと下らない事を想像したりもした。

中国語の発音
日本語にはない音があり、また四声という音がやっかいだ。
トーンを間違えてしまうと全然違う意味になる。。というか伝わらない。

何度も何度も練習する。

「違います!」
「ちょっと違います」
「う~ん、ちょっと違います」

彼女の発音を耳で聞き、同じ音を再現しているつもりなのに。。。
現地の人が聞くとこうも違うものなのか

大学の頃、関西方面の学友にふざけた関西弁で話しかけると「全然違う
やん!」なんて言われた事が思い出された。

何度発音しても「違います」というやり取りが続き、仕舞には2人で大
笑いしてしまった。

こんなに発音しても、1回もOKが出ないのだから。。。緊張の糸が切れて
しまった。

本気で勉強する気なんてなかった中国語だったけど、意外と集中してしま
い、気が付くと日が暮れかかっていた。

そのとき。。。ガラガラガラガラ
と教室のドアがスライドした。

私と彼女は驚いてスライドしたドアの方を向いた。

「そろそろいいかい?」
そこにはおじいさんが立っていた。

宿直の先生か用務員さんなのか?
そろそろ学校に鍵を掛ける時間だとのこと。

「好 謝謝」(はい、分かりました)と彼女が答えた。
「好 謝謝」と私も後に続いた。

テキストをカバンに仕舞い、早足で教室を出た。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 4 出張という名の一人旅 25話

台湾の夏休み

その期間、工場にバイトで働きに来ていた地元の女子高生。
海外留学経験もないのに綺麗な発音で英語を話す女の子。

彼女の勧めもあり、中国語を勉強することになった。
そして先生は彼女。

中国語を勉強する気になった。。。というと嘘になってし
まうかも知れない。

彼女が先生を引き受けてくれる事になった翌日。

「ねぇ、中国語の勉強はいつから始める?どこでやろうか?」
と言い出せず。。。そして彼女からも具体的な話はないまま
仕事が終わってしまった。

彼女は2人の妹を連れて、「バイバイ」と手を振り自転車に
乗り、工場から去ってしまった。

なんだよ~
こっちから切り出さないと彼女も答えようがないじゃん!
と自分に腹が立った。

もしかすると彼女はその場の勢いで先生を引き受けるなんて
言ってしまったんじゃないかな?
と不安に思ったりもした。

初めて会う外国人に彼女が親切に中国語を教える理由なんてな
いよなぁ。。。。

と浮かない表情でホテルに帰った。

その翌日の朝。

いつものように妹2人を連れて彼女が工場へ出勤してきた。

「早!」(おはよう)と声を掛ける。
「早!」(おはよう)と彼女は笑顔を見せてくれた。

でも肝心な話が出来ないまま仕事が始まってしまった。

よし、昼休みになったら切り出そう。。。。何も言えず。
よし、午後の仕事が始まる前に聞いてみよう。。。何も言えず。
虚しく時間だけが過ぎて行く。
言い出せない自分が情けなく思えた。

18時。
午後の仕事の終わりを告げるベルが工場内に響き渡る。

はぁ~、終わっちゃったよ~。
何も言い出せないまま今日も虚しく終わっていくのかぁ~~~
バッカじゃないの!と自分に腹が立っていた。。。

そのとき
ツンツンと私の背中を突く指の感触。

振り返ると。。。

「時間、ありますか?」
彼女がいた!!

「あっ、あるよ!」いきなりの事で少し焦った。

「じゃあ、勉強しましょう」

「やっ、たった~~!」と大喜びする事もなく、
「あぁいいよ」なんて大人ぶった返事をした。
心臓が大きく動いているのを感じた。

馬鹿だな~
晩強だよ。勉強するだけなのに何故こんなに心臓が。。。
一体あの時、私はどんな表情をしていたのだろう。

「行こう」と彼女が自転車に乗る。
「う、うん」と私は彼女に続いてペダルをこぎ出した。

工場付近の道は道幅が狭い割に車の交通量が多かった。
工場や農家、住宅街でもあったからだろうか。

その為、私は彼女と並んで自転車を漕ぐことが出来ず、
ただ彼女の後に付いて走るしかない。

一体、どこで勉強をするのだろう?

毎朝サイさんの工場へ通う道を走っていた。

10分ほど走ると。。。。学校に到着した。
私が宿泊しているホテルから2ブロックほど離れた小学校だ。

「ここで勉強するの?」と聞くと彼女は振り返ってニコリと
笑った。

「今は夏休みだよね?学校に入れるの?」と聞いた私の質問
には答えず、彼女は校門から校庭へ入っていく。

「だっ、大丈夫なの?」と聞いた。
振り返りもせず、彼女はずんずん校舎へ向かって歩いていく。

校舎の門は開け放たれていた。
下駄箱が設置されたスペースで靴を脱ぎ、彼女は勝手に校内
へ上がってしまった。

私も靴を脱ぎ、彼女を負った。
廊下がひんやりとした。

ガラガラガラ。。。。。
少し先にある教室のドアをスライドさせる音。
「こっちです」と彼女が笑顔で呼びかけてきた。

「う、うん」
私は彼女の方へ歩みを進めた。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 3 出張という名の一人旅 24話

サイさんの工場

朝になるとパートのおばさん達やってくる。
夏休みなのでバイトの子供達もやってくる。

朝から大声や笑い声。
大らかな笑顔を見ているだけで楽しくなってくる。
言葉も分からないのに、私も一緒になって笑ってる。

トントン
「?」
誰かが肩を叩いた。

振り返ると彼女だった。

「おはよう」と私
「おはようございます」と彼女
小さな、でも芯の強さが伝わってくる彼女の声。

この時間、この短い時間が毎朝の楽しみになっていた。

「あのぉ。。。」
「うん?何?」

「あのぉ。。。。。。。」
「どうしたの?」

「中国語、勉強した方が。。。。中国語を勉強した方が
いいですよ」

うわぁ!
痛いところを突いてきたなぁ~

苦笑を浮かべながら
「うん、そうだよね~。でも難しいよ~。テレビの字幕を見
ながら勉強したりはしてるんだけどさ。みんなの会話を理解
するまでは。。。。」と話したところで

「ハハハハッ」
と彼女が笑い出した。小さな笑い声だった。

「みんなが普段話しているのは台湾語ですよ。中国語じゃあ
りません」

「えっ?そうなの?中国語じゃないの?」
中国語と台湾語の存在は知っていたけど、公教育では中国語
を教えていると聞いていたので、普段の会話は中国語なのか
と思っていた。

「ここはローカルな町でおばさん達は年齢層が高い。なので
普段の会話は台湾語なんです。私?私は台湾語も分かるけど
学校の友達とは中国語です。世代や住む地域によって、どち
らを使うか分かれますよ。南部の人達は比較的台湾語を好む
人が多いです。ここ竹南だと。。。う~ん、半々くらいかな」

「そうなんだ」

「はい。でも、お仕事の事を考えると中国語の方が良いと思
いますよ。シンガポールなどの中華系の人達も同じ言葉を話
してますから」と彼女はハキハキとした口調で説明をしてく
れた。

「そうかぁ~。。。。勉強した方がいいかな」と大してその
気もないのに私はそう答えた。

「はい。絶対に勉強した方が良いです。台湾の事、もっと深
く知る事が出来ると思うんです。あなたには台湾の事、もっ
と知って欲しい」

確かにご飯は美味しいし、ややお節介だけど人は優しいし。
台湾を好きになり始めてはいた。でも、中国語、難しいんだ
よな~。。。熱心に勧めてくれる彼女には悪いけどあまり気
が進まなかった。

「あのぉ。。。。。」
「うん?どうしたの?」

「もし。。。もし良かったら、私が教えます。私があなたに
教えます」

彼女が中国語を。。。??
教えてくれる。。。???

頭の中で整理する時間が必要だった。

「えっ?いいの?」
「は、はい。大丈夫です。毎日は無理ですけど。。。。週に
2日位なら大丈夫です」

「なら教えてもらっちゃうかな!勉強したいと思ってたし」
そんな気なかったのに、そう答えていた。

瞬時にこのチャンスを逃していけない!そう思った。

胸の鼓動が高鳴っていた。
嬉しくて嬉しくて飛び上がりたい気持ちだった。
でも、私の方が年上だ。冷静に。。。なれないけど装わない
と!
と自分を落ち着かせてから

「どうしよう、その。。お礼というかさ。時給を決めようよ」
と大人っぽい取り決めを持ちかけると

「お、お金は要りませんよ。いただけないです。私、先生じゃ
ないし。。。」目を伏せた彼女。

「それじゃあ悪いよ。君の時間が。。。」
「だ、大丈夫。。。大丈夫ですよ!」
と私の言葉を小さな声で遮った彼女。

笑顔に力強い視線をこちらに向けていた。

「それじゃあお願いしちゃおうかな」
「はい。任せて下さい!」

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 2 出張という名の一人旅 23話

英語が話せる女の子。

彼女の存在に気が付いてからは、不思議と工場内で
すれ違う事が増えた。
いや、元々すれ違っていたのかも知れない。

すれ違いざまに「hello」と簡単な挨拶を交わすよ
うになった。

彼女の回りにはいつも2人の女の子がいた。
彼女よりもっと年下の、小学校3,4年生位の子達
だ。

妹だろうか。。。しかし顔が全然似ていない。
親戚の子だろうか。。。

ある日のこと。
サイさんが私の元に駆け寄ってきて何かを話し始め
た。
顔は強ばっていなかったけど、必死に何かを説明し
ている。
問題が起きているのだろう。

私は両手を広げて首を左右に振るしか出来なかった。
サイさんは顔を天井に向けて「どうすれば分かって
もらえるだろう」というような表情を浮かべていた。

その時だった。
あの子が近づいてきてサイさんに話しかけた。

サイさんが早口で何やら説明をし出した。
彼女はサイさんの言葉をひとつひとつ丁寧に聞き、
時々サイさんに質問をしていた。

ひと通りサイさんの説明を聞いた後、私の方へ顔を向
け、英語で状況を説明し始めた。

今となってはどんなトラブルだったかは思い出せな
いけど、生産を1次ストップせざるを得ないような
事だったと記憶している。

工場のラインを止め、私は台北オフィスへ電話し、
状況を日本の会社へファックスを送ってして欲しい
と伝えた。

助かった。
本当に助かった。

落ち着いた頃、私は彼女の側に行き「謝謝」と感謝
の気持ちを伝えた。

彼女は仕事の手を止め、静かに笑顔で答えてくれた。

台湾の片田舎で妹が出来たような。。。。
いや、そんな感覚では。。。。ない。

それから彼女と話す機会が日に日に増えていった。

彼女は竹南にある学校に通う高校2年生。
夏休み中、お小遣いを稼ぐために工場に働きにきて
いる。
一緒にいる女の子達は彼女の妹だった。

英語は英会話スクールなどで勉強している訳ではなく、
中学高校で勉強した程度だという。

「それにしては発音が綺麗だよね。留学経験でもある
のかと思ってたよ」

「えっ?私、私の英語に自信なんてないですよ~」と
小さく笑った。

かっ。。。。可愛い。

とても静かでシャイな女の子。

向こうからは決して話しかけてはこないけど、こちら
から話しかけると笑顔で応対してくれる。

小さな声で綺麗な英語を話す女の子。

始業前と終業後。

自転車置き場で良く会話をするようになっていた。

我々が会話する光景を見ているパートのおばちゃん達は

「台湾の女性は世界一だ。あんたもその子を日本へ連れ
て帰れ」と冗談を言ってくる。

「no no」と言いながらも自分の気持ちは。。。

それもアリかな。。。。

いかん!
ダメだろう!

相手は高校生だ。
でも。。。いい感じの子だよなぁ~

心の葛藤が芽生え始めてしまっている。

当時、私は24歳。
彼女は17歳。

年齢差はそうでもないけれど、社会人と学生だ。
しかも相手は外国人。

ない
ない
ない
あり得ないだろう。

必死だった。
必死で自分の気持ちにブレーキペダルを踏んでいた。

ブレーキをかければかけるほど、その思いが強くなっ
ていくのを感じていた。

つづく

台湾の思い出 南国での出会い 1 出張という名の一人旅 22話

台湾の夏休み。

近所に住む子供達までが工場に来て仕事をしている。

パートしている親の子供もいれば、自分たちだけで働きに来ている
子供達もいる。

高校生や大学生ではなく、小学生達だ。

日本だったら問題になっているだろう。

就業前は彼等の話し声や笑い声で工場内が賑わう。

何を話しているのか相変わらずサッパリ分からないけど、子供達の
笑顔を見ているだけで、こちらも楽しくなってくるから不思議だ。

数人の子供達が私に近づいてくる。

helloと声を掛けると一目散に逃げていく。

そしてまた戻ってくる。

声を掛けるとまた逃げて、また戻ってくる。

その集団の中の一人が1枚の紙を手に私に近づいてくる。

その紙を受け取る。

「何だろう?」と紙を広げてみる。

「你是那國人?」(あなたは何人ですか?)

と書いてある。

「我是日本人」(日本人だよ)
と変な発音の中国語で答えた。

子供達は顔を見合わせてニコニコとしている。

可愛いな。

そうこうしているうちに始業のベルが鳴り、仕事が始まる。

子供達も持ち場に付き、仕事を始める。

クリスマスツリーを入れる箱を組み立てる比較的単純な仕事が
中心だ。

笑顔が消え、真剣な表情で箱を組み立てていく子供達。

この子達の時給って幾らなんだろう?

そんな事を考えながら、私も仕事に取りかかる。

日本への納期はまだ先。
とは言え、日々納期は迫ってくる。

子供達がいる間に少しでも仕事を進めておきたい。

出来上がっているクリスマスツリーの検品を済ませ、パートの
おばさん達に「ok」と伝える。

おばさん達はクリスマスツリーを別の場所へ運び、子供達が組
み立てた箱に入れていく。

そして新たに出来上がったツリーが運ばれてくる。
検品して問題のないものをおばさん達に運んでもらう。

不良品も減ってきた。
パートのおばさん達も慣れてきたようで作業が早くなってきた。

順調順調。

彼等の働きっぷりを頼もしく思いながら仕事をしているときだ
った。

誰かが私の肩を叩く。

振り返ると
「これ、壊れてますよ」
と検品済みのクリスマスツリーを持つ女の子が立っていた。

「本当?ありがとう」
どこが壊れているのかチェックしようとすると

「ここ。このオーナメントの星が壊れてるんです」

クリスマスオーナメントの1部はカラス製。
ツリーの頂上にある星もガラスで出来ている。
その星が何かの拍子で欠けてしまったようだった。

「あっ、この星ね。ありがとう。見逃してたよ。助かった」

とここで気が付いた。

英語だ。
しかも綺麗な発音の英語。

「英語、話せるの?」
女の子に聞いてみた。

「はい。学校で習ってますから」

発音が。。。。綺麗だ。
自分の英語が恥ずかしくなるくらい、彼女の英語は綺麗だった。

彼女は周囲の子供立ちに比べると年齢が上、高校生くらいだろう
か?

華奢ではあるが、背は高い。
ショートカットがとても似合う女の子。

久々に英語を話す事が出来た嬉しさから、もう少し会話を。。。
と思ったけど、工場は稼働中だ。

次々とツリーが出来上がり、私の目の前に運ばれてくる。

「謝謝」と中国語でお礼を伝える
「不客気」(どういたしまして)
と笑顔で彼女が応えてくれた。

高校生くらいの子も働きに来ていたんだな。

それが彼女との出会いだった。

つづく

台湾の思い出 怖い話 4 出張という名の一人旅 21 話

真面目君

不気味だ。

いつまた現れるのだろうか。。。
不安が募る。
そして彼に対する嫌悪感が日に日に増していく。

こんな気持ちを抱えながら、この先もこの町にいなければならない
のだろうか?

そしてその不安は的中し、深刻化していく。

翌日の目覚めは最悪だった。
最終的には眠れたけど、もう明け方近くだった。

自転車で工場へ向かっている間も真面目君の顔を頭に浮かぶ。

工場でサイさん、ベイビーと挨拶を交わし、パートのおばさんたち
と意味のない会話をする。
忙しくなると真面目君の事は忘れられる。

仕事に集中しよう。
そう思った。

そして昼の休憩時間。

工場の外に出ると。。。。いる。
真面目君がヘルメットを持って待っている。。。。

ベイビーがいるので、工場の近くまでは近づいて来ないのだが不気味
だ。

真面目君からすぐに視線を外し、私はサイさんの家に入り、昼ご飯を
いただく。

が、味が。。。味が分からない。
真面目君の事が頭から離れず、ご飯の味を楽しめないのだ。

昼が終わり、工場へ戻るとき、恐る恐る真面目君が立っていた場所へ
視線を向ける。

いない。
真面目君の姿はなかった。

午後の仕事が終わり、工場を出る。。。いる。
手にはヘルメット。。。

なんという男だろう。

自転車の鍵を解除して、力一杯ペダルを踏む。
彼には視線を向けず、ペダルを踏んで彼の横を通り過ぎた。

追ってくるかな?
工場から少し離れた場所に自転車を止め、後ろを振り返る。

いない。
付いてこない。

良かった~。

しかし、翌日もその翌日も。。。。昼と夜、彼はそこにいた。

他人を無視するのも心地良いものではない。
無視すればするほど、心の中で彼の存在が大きくなっていく。

せっかくの台湾滞在が楽しめなくなっていた。

そんな日々が続き、私の心も疲弊していた。

その日。
いつものように真面目君は私を待っていた。
いつものように私は彼を無視してホテルへ戻った。

食事を済ませ、買い物を済ませ、ホテルで横になる。

テレビを見たり、日本から送られてきた雑誌に目を通したりし
ながらくつろぐ。。。くつろげない。

風呂を済ませ、「今夜はもう寝よう」と決め、部屋の電気を消
す。
疲れていたのだろう、その日は割とすぐに眠りにつけた。

ピンポーン
「?」

ピンポーン
「この部屋だな」

部屋の時計を見ると午前12時半だ。

誰だよ、こんな夜中に。
酔っ払った客が部屋を間違えているのかな。

部屋の電気をつけてベッドから起き上がり、ドアの方へ向かった。

そしてドアの穴から外を見る。。。背筋が凍った。。。。

いる
あいつが。。。真面目君がドアの外に立っている。

寝たふりして応対しないでおこう。
そう思い、ベッドに戻り布団を被る。

ピンポーン。。。。。
ピンポーン。。。。。

なかなか諦めてくれないな。
でも、反応しなければ帰ってくれるだろう
我慢我慢、もう少しの我慢。

ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン

徐々に回数が増え、鳴らす間隔が短くなっていく

ピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!

連打している。
その音からは怒りを感じる。

枕で耳を被い、音が聞こえないようにするけど限界がある。

そして鳴り止まないチャイムの音。

時計を見ると午前1時。。。もう30分もチャイムを鳴ら
している真面目君。

それから15分。
午前1時15分になっていた。

「もう限界だ!」
彼に対する嫌悪感を怒りが超えていた。

ドアに向かい、勢いよくドアを開ける。

一瞬、真面目君が驚いたのが分かった。
その次の瞬間、ヘルメットを差し出し
「一起吃飯」(一緒にご飯、食べに行こう)

「ふざけるな!」
日本語で大声を出した。
その後、何を言ったかは覚えていない。

大声で叫び続けた。
彼に対する怒りにまかせ、叫び続けた。

そしてフロントドアの方向へ指を向け、「出ていけ!」と
怒鳴り散らした。

真面目君は不満そうな表情を見せた。
「せっかく誘ってやったのに。。。」とでも言いたげだった。

そしてヘルメットを持ちながら、フロントへ向かった。

私はドアを閉めた。
怒りを。。。怒りを抑えたい。
なんで夜中にこんな大声を出さなきゃならないんだ。

30分ほど過ぎただろうか。
少し冷静さを取り戻した私はフロントへ行く、彼が来たらホテル
へは入れないようにして欲しいとお願いした。

「お友達じゃないんですか?」と聞かれた。
「奇奇怪怪な男だよ」と答えた。

先ほどの大声も聞こえていたのだろう。
ホテルも対策を取ってくれた。

ようやく以前のように楽しく働く日常を取り戻した。

その後、彼の姿を見かける事はなくなり、工場の外で立っている
事もなくなった。

2回ほど部屋の電話がなり、受話器を取ると
「一起吃飯」(一緒にご飯に行こうよ)
との誘いがあったけど、彼からの電話はつながないようホテルに
お願いをした。

なんという執念。

ストーカーなんて言葉のない時代だったけど、ストーカーは存在
していた。

ピンポーン
ピンポーン
「ご飯、ご飯一緒に食べようよ。。。。」

今日もどこかで真面目君が誰かの家のドアベルを鳴らしているの
かも知れない。。。。

そう思うと鳥肌が立つ。

台湾の思い出 怖い話 3 出張という名の一人旅 20話

昼ではなく夜に現れた真面目君

表情ひとつ変えず、手にはヘルメット。。。

強い嫌悪感と拒否感が沸き上がった。

「今天累」(今日は疲れてる)
とややふてくされた表情を作り、真面目君に伝える。

が、その場から動く気配はなく、手にヘルメットを持ったまま。

見かねたベイビーが真面目君に何やら話をしてくれた。

表情を変えずベイビーの話を聞いていた真面目君はそのままの
表情でバイクのエンジンをかけ、どこかへ立ち去った。

助かった~

ベイビーに「謝謝」と言うとベイビーは人差し指で自分の頭を指し
「アタマ コンクリ」と言った。
(台湾語で頭がどうにかしている。。。という意味。台湾の人は日本
語だと思っているらしい)

自転車でホテルに戻り、少し休んでから晩ご飯に出かけた。
場所はホテル近くにある掘っ立て小屋を利用した食堂だ。

ここはチャーハンが美味しい。
そして水餃子も!

冴えないご主人と美人の奥さん2人で切り盛りしている、小さくても
繁盛しているお店。

当初、私の事を香港人だと思っていたようだ(笑)

言葉は通じないが、いつも笑顔で接客してくれ、お会計も少しだけマ
ケてくれる。

食べながら「好吃」(美味しい)と親指を立てる私を、笑顔でウンウ
ンとうなずきながら、2人楽しそうに何やら話していたのが、今でも
印象に残っている。

食事を終え、小さな商店で紙パック入りのオレンジジュースを買う。
この商店も行きつけになっていた。

店番の女の子が笑顔で何やら話しかけてくれるけど、全然意味が分か
らない。

言葉は分からなくても、いつもの顔があったっりすると行きつけにな
るものだ。

「バイバ~イ」と手を振る。
愛嬌のある女の子。

2~3分歩いてホテルに戻る。

風呂に入り、ベッドに横になりテレビのスウィッチをオンにする。
見るのは台湾のMTVだ。

地元台湾歌手の歌が流れるのとき、歌詞に合わせて漢字の字幕が画面
したに映し出される。

歌を聴きながら、それらの言葉がどう発音されているのかを聴くのだ。

視覚と聴覚の両方で中国語に触れる。
台湾滞在中、少しでも言葉を覚えてサイさんやベイビー、工場の人達
と交流したい。
そんな思いが強くなり、思いついた勉強法だった。

字幕を目で追いながら歌を聴き、少しリラックスしていると部屋の電
話が鳴った。
電話を取り上げるとフロントからだった。

「お知り合いの方がいらしてますよ」
「はい、ありがとう」
と電話を切る。

ベイビーが遊びに来たのかな?と思いながらフロントへ向かった。

フロントの勤務する女性が私に気が付き、「お友達がいらしてます」と
笑顔で話しかけ、手を「私の友達」の方へ向けた。。。。

背筋が凍った。。。。

真面目君が立っているのだ。

なんでここが。。。。あっ、初対面の時、ここに宿泊している事をアウ
トレイジな男に話し、それを真面目君は聞いていたのだ。

相変わらず手にはヘルメット。

怒りがこみ上げてきた。
こんなところにまで。。。。

フロント勤務の女性達の目があり、ここで感情を爆発させたくないと思
い、真面目君の肩に手を置いて、フロントロビーから2人で外に出た。

エレベーターで1階に下りてから

「今天我累」(今日は疲れている)と話す。
真面目君は表情ひとつ変えず、ヘルメットを私の目の前に差し出し。

そして小さな声で「一起吃飯」(一緒にご飯食べよう)と言った。

気色悪い。。。。
言葉は良くないが、それが私の正直な気持ちだった。

なんなのだ、この男は。。。。毎日職場に現れ、ついにはホテルにまで
。。。

「今日は行かないよ。悪いけど帰ってくれ」

差し出したヘルメットを私に向けたまま表情を変えず、帰る素振りも
見せない真面目君。

私はそんな真面目君に背を向けエレベーターのボタンを押し、真面目君
をそこに残して部屋に戻った。
真面目君は追っては来なかった。

フロントの女性達が「友達とお出かけするんじゃなかったの?」と聞い
てきた。
その場の雰囲気を壊したくなかった私は「少し話があっただけなんだ」
と答えて部屋に戻った。

これだけ拒否するれば、もう来ないだろう。
来る筈はない。。。
来ないよな。。。

来る。。。かな。。。。

つづく

台湾の思い出 怖い話 2 出張という名の一人旅 19

午前11時30分
工場の昼休みが始まる時間だ。

今日のご飯は何だろう?
サイさんの家でいただくお昼ご飯。
これがちょっとした楽しみになっている。

美味しい水餃子はほぼ毎日食卓に並ぶ。
あんなに食べても全然飽きが来ない。

サイさんが笑顔で
「吃飯 吃飯 !」(ごはん ごはん!)
と話しかけてくれる。

「謝謝!」と答え、サイさんの後について工場の門を出た。

工場の外に1台のバイクが止まっている。
誰だろう。。。
良く見ると昨日ご飯を一緒に食べた真面目君だ。

サイさんと打ち合わせでもあるのだろう。

サイさんが真面目君に話しかけ、何やら会話している。

サイさんが振り向き、私に何か話している。

全然分からない。

真面目君がバイクから降りて私に近づき、バイク用のヘルメット
を手渡す。

えぇ?どういう事???

サイさんは笑顔で「一起去 吃飯!」(彼と一緒に昼ご飯食べてきな)
と言っている。

あっ、そういう事かぁ~
前もって言ってくれれば良いのになぁ。
まぁ、こういうところも台湾風なんだな。

そう思い、サイさんとのお昼をキャンセルし、真面目君のバイクの後
ろに座る。

今日はアウトレイジ男はいない。
ということは会話が。。。。
言葉が通じないし、この真面目君は口数が少ない。。。まぁ、ご飯を
食べてれば自然と話も出てくるだろう。

前日とは違う店に案内してくれた。
ここも台湾料理。
昨日と同じくビールでコップを洗う真面目君。

メニューを見せられるけど何の料理か全然分からないので
「都 ok 」(何でもいいよ)と答える。

3~4品の料理が運ばれてきた。
箸を伸ばし、料理をいただく。

う~ん、ここも美味しい!
地場の美味しい店。
小さな町だけど、まだまだたくさんあるのだろうな~

その後に起きる悲劇など知るよしもない。
のんきに食事を楽しんだ。

食事が終わり、真面目君がバイクで工場まで送ってくれた。
会話はほぼなく食事しただけで終わってしまったけど、真面目君の
印象は悪くない。

また食事に行くチャンスがあれば、そのときまでにもう少し中国語
を勉強しておこうかな?

サイさんの工場に戻り、午後の仕事スタート。

翌日
午前11時30分
さ~て、今日はサイさん名物水餃子が食べられるかな~
と期待して工場の門を出た。

またバイクが止まっている。
手にヘルメットを持った真面目君だ。

今日も来てくれたのか!

サイさんが行ってきな!とジェスチャーで促す。
そして真面目君のバイクにまたがり、竹南の中心部へお昼ご飯。

翌日。
午前11時30分。
工場を出る。。。。。いる。。。真面目君が待っている。

せっかく来てくれたんだし。。。今日も真面目君とご飯に行くか。

翌日もその翌日もお昼に工場を出ると真面目君が待っている。

そんな日々が2週間ほど続いたある日。
その日は大雨が降っていた。

お昼休みが始まる。
さすがに今日は来ていないだろう。。。。いる。
カッパを着て手にヘルメットを持った真面目君が。。。。

毎日毎日工場の外で待たれている事に対して窮屈な思いが募って
きていた。

「下雨、不要去外面」(雨だから外には行きたくない)
と伝えるが、
「没問題」(問題ないよ)と真面目君。

いやいや、君は問題ないのだろうけど。。。こっちの事も考えて
よ。

冷たいと思われても仕方ないやと思い、私はサイさんの家に入っ
た。

サイさんの家で食事をしている間、仕事をしている間、真面目君
の事が頭の片隅にある。

真面目君の行動に対する拒否感が芽生え始めていた。

18時
工場の仕事が終わった。

ベイビーが「雨が止んだよ。また明日ね。」と話しかけてきた。

「明天見!」(またね)と手を振り、工場の外へ。。。。

いる。。。。
真面目君がヘルメットを手に。。。。私を待っている。。。

つづく

台湾の思い出 怖い話 1 出張という名の一人旅 18

ある日、2人の男がサイさんの工場を訪ねてきた。

サイさんの取引先で、今回私が所属している会社がオーダーした
クリスマスツリーの箱の製造を請け負っている、町の小さな工場
の人らしい。

サイさんが手招きをする。
私と彼等を引き合わせてくれた。

1人はちょっとチンピラ風の。。。映画アウトレイジに出てきそ
うな雰囲気の男。

もう1人は髪を7-3にキッチリと分け、黒縁メガネをかけた、
いかにも真面目そうな男。

「 hello, nice to meet you 」
チンピラ風のの男がにこやかに手を差し出す。
英語だ。

「英語、話せるの?」と聞くとアウトレイジな男がニコリと微笑
みながら「あぁ、以前は貿易会社で仕事をしていたんだよ。その
会社、倒産しちゃったんだけどさ」と答えた。

「 do you speak english ? 」
もう1人の真面目君に聞くと、びっくりしたような表情で手を振
った。

真面目君は見たまんま。
いかにもって感じの真面目君だった。

箱に関する話をしているとき、アウトレイジな男が「ねぇ、昼は
どうしてるの? 時間があるなら一緒にご飯でもどう? 美味し
い店があるんだよ」と食事に誘ってくれた。

サイさんやベイビー、そしてチェン。
少しずつ台湾の友達が増え始めていたので、彼等とも仲良くなり
たくなった。

幸い、アウトレイジな男は英語が出来るので会話にスムーズだ。

「本当?嬉しいな。台湾の料理、美味しいよね」とお誘いを受
けることにした。

午前中の仕事が終わると、工場の外に2人の男が立っていた。
暑い中、待っていてくれたようだ。

近づくと真面目君が表情を変えずにヘルメットを差し出してきた。
バ、バイクで移動かぁ~
ちょいと怖いな。。。と思いつつヘルメットを受け取り、被る。
臭いなぁ~~~

真面目君が運転するバイクの後部座席に座り、田舎町をバイク
で疾走した。

鋭い夏の日差しに焼けた肌を掠めていく冷たい風が心地良かっ
た。
台湾に来て初めて乗ったバイクだった。

2台のバイクが向かった先は小さな小さな台湾料理屋さんだっ
た。

店の中はテーブルが5つ。
あとはカウンター席だ。

良く分からない台湾料理が運ばれてくる中、当時は日本であま
り見かける事がなかった羽根付き餃子が運ばれてきた。

「ここの餃子は美味いんだよ。さぁ、食べて食べて」
アウトレイジな男が気さくに勧めてくれる。

「ビールでいい?」
おいおい昼間だよ。しかも飯食ったら工場で仕事するんだから

「コーラでいいよ。酒、飲めないから」

そう答えておいた。

小料理屋の奥さんがビール2本とコーラを運んできた。
真面目君が受け取り、3つのコップのビールを注ぐ。

慌てて「 no no ! 」と言って、ビールを注ぐのを止めさせよ
うとしたら、真面目君が「分かってる」というような顔をして
ビールを注ぐ手を止めた。

コップ3分の1位注いだビールをコップをクルクル回して泡立
てる。
そしてコップの中のビールをポィっと店の床に捨てた。

エッ!
一瞬驚いた。
店の人、怒るんじゃないかと不安になった。
けど、店の人は特に気にしていない。

ビールでコップを洗ったのか!
しかも泡立てて。。。(笑)

羽根付き餃子に箸を伸ばす、口に運ぶ。。。。う、美味い!
言い方は悪いけど、こんな小汚い店なのに味は絶品!

1人だったら絶対に入らない店。
現地の人達と一緒だから知る事が出来る地元の美味い店、美味
い品!

アウトレイジな男は香港での勤務経験もあり、仕事の話からつ
まらない冗談まで幅広い話題と独特の話術で場を盛り上げてく
れる。
真面目君が時折ニッコリとして話を聞いている。

昼休みは90分。
「そろそろ工場へ戻らないと」と私が切り出す。

「そうだね。サイ社長に怒られちゃうよね。送っていくよ」と
アウトレイジな男が言いながらお会計を済ませてくれた。

送ってくれるのは良いけれど、この2人、結構飲んでたな。
でも、工場に帰るにはこの2人のバイクに乗るしか手がないの
で仕方なく真面目君のバイクに2ケツした。

酔っ払い運転に慣れているのだろうか?
無事、サイさんの工場まで戻ってこれた。

「ありがとう。楽しかった。料理も美味しかったよ」とお礼を
言うと、「良かったらまた食事しようよ。今度は晩ご飯でも。
この町は小さいけど、美味しい店はまだまだあるんだよ」とア
ウトレイジ。

「嬉しいな!是非誘ってよ」と宿泊しているホテルの電話名前
を告げ、部屋番号を書いた紙を渡した。
当時はまだ携帯もスマホもない時代だった。

「 ok, see you 」とアウトレイジには英語で。「再見」と真
面目君には中国語で別れを告げた。

あまり表情を変えない真面目君が笑顔を見せて、コクリとうな
ずく。

2人は手を振りながら、なぜかヘルメットを被らずに走り去っ
て行った。。。。

楽しかったなぁ~
あの羽根付き餃子、なんだあんなに美味いんだろう。
そしてまた新しい友達が出来た!

台湾でどんどん友達が増えていく。

心が躍っていた。。。。。この時はまだ、翌日から起きる恐怖
の日々を知らなかったから。。。。

つづく

台湾の思い出 親友チェンとの出会い 2 出張という名の一人旅 17

日本語が出来る台湾人。
専門学校で教師を務めるチェンとの出会い。

チェンはほぼ独学で日本語を学んだという。

特にきっかけがあったという訳ではなく、おじいさん、そして
彼のお父さんも日本語で話す事が出来る、家庭内で日本語が当
たり前のように存在していたそうだ。

親から日本語の勉強を勧められた訳でもなく、家庭内に置いて
ある書物、父親が良く聴いていた日本の歌。テレビで放映され
ている日本のテレビ番組を見ているうちに、平仮名、片仮名が
書けるようになり、話せるようになっていたという。

チェンが言う。
「ベイビーはこの専門学校で私の生徒でした。先日、ベイビー
から久々に電話があり、ウチの工場に日本人がいるけど、中国
語が話せない。毎日仕事ばかりしていてつまらなそうにしてい
る。先生、友達になってくれないか?との内容でした。」

私は別に台湾での生活がつまらない訳ではなく、また孤独を感
じてもいなかったのだが、初めて訪れた台湾で友達もなく過ご
している私を見ていたベイビーが心配してくれ、日本語が出来
るかつての恩師、チェンに電話を掛けてくれたのだ。

「ご飯でも食べに行きませんか?」
チェンが食事に誘ってくれた。

「あまり美味しくないかも知れないけど、和食でも食べに行き
ましょう」と私に気を使ってくれた。

ベイビーは父の仕事の手伝いがあるとのことで工場に向かった。
私はチェンの車に乗って学校から少し離れたエリアへ移動した。

移動する車の中でチェンが演歌の歌を流す。
「日本の歌、私は好きなんです」

古い演歌だ。
子供の頃に聴いた事があるような、ないような。。。

食事をしながら、お茶を飲みながらチェンとの会話は終わる事
なく続いた。

「これは内緒の話ですよ」
初対面の私にチェンは秘密の話をしてくれた。

専門学校で教師をしながら、週末は住宅設計の仕事をしている。
公務員なのでバレたら首になる。

将来はどうしても設計の道で食べていきたいので、学校には内
諸でフリーとして設計の仕事を請け負っている。

仕事を宣伝することは出来ないのだが、設計した仕事は好評で、
気に入ったクライアントが次のクライアントを紹介してくれる
ので、仕事は途切れることなく入ってくるそうだ。

家は代々資産家の家系でお金には不自由していない。

教師として生徒に技術を教えるのも好き。
設計の仕事のキャリアも積んでいきたい。

貪欲に好きな事を追求しているチェン。
当時サラリーマンだった私にはキラキラと輝いて見えた。

「もうひとつ秘密があります」
チェンは話を続けた。

担当するクラスには経済的に苦しい環境にある子供がいる。
その中で一生懸命勉強している生徒を選び、個人的に学費の補
助をしているのだという。
補助と彼は言っていたが、学費のほぼ全額を彼が納めているの
だという。

「私は幸い裕福な家庭に生まれ、幸い2つの好きな仕事をする
事が出来てます。まぁ、バレたらクビになってしまうけど(笑)
だから、稼いだお金の一部は社会に還元したいのです。

「真剣に勉強したい生徒を応援する。
それも私に与えられた使命です。」

卒業後も社会に馴染めず会社努めが出来ない元生徒を1~2人
選び、彼の事務所で雇い、平日、彼が動けない時に設計図を運
んだり、資材の発注や業者への連絡などをしてもらう。

元生徒達は少ないけど給料を貰いながら、人との関わりを学び、
社会になれていく。
もちろん、他でバイトをする事も出来るので生活していくのに
十分なお金を稼ぐ事は出来ている。

大体1~2年で事務所を卒業してもらい、チェンの知り合いの
会社などへ就職の斡旋もしているのだという。

「チェン、君は凄いね!」
心からそう思い、その思いを口にした。

「ありがとう。でも、当然のこと。私は誰かを助けるのも好き」

真面目なばかりではなく、チェンはお酒もカラオケも大好き。
社交ダンスも上手い。

毎週末、私はチェンと新竹の街で会い、食事をし、バーで酒を
飲み、カラオケやダンスホールへ連れて行ってもらった。

チェンの周囲にはいつも大勢の人達が集まってくる。
元生徒たち、同級生や幼なじみ。

台湾のカラオケボックスが広いので、いつも20人くらいで大
騒ぎ。

遊びが終わるとチェンは隣町の竹南まで車で送ってくれるのだ
が、相当飲んでいるので危険を感じる事もあったけど、私も若
かったので、それを楽しんだりもしていた。

ある日、バーで飲んだ後、いつものようなチェンが車を運転し
て私をホテルまで送ってくれていた時の出来事。

後ろでサイレンを鳴らしながらパトカーが近寄ってきた。

警察だ!
チェンも私も酒を飲んでいた。

「チェン、パトカーだよ。捕まっちゃうね」と言うと、チェン
は「大丈夫」とニコニコしている。

「大丈夫って。。。パトカーが追いかけてきてるし、逃げ切れ
ないよ。どうするつもり?」と私が聞く。

「今から私は日本人、あなたも日本人。彼等が何を聞いてきて
も分かりません、ごめんなさいとだけ応えてね」

そんな方法が通用するのかな~?
半分呆れながら、それも面白そうだと思い、チェンの言う通り
にしてみることにした。

車を止めるとパトカーも止まり、2人の警察官が出てきた。

車のドアの窓をコンコンと叩き、窓を開けるように促された。

チェンはニコニコしながら窓を開ける。

警察官が何かを言っているけど、当然私には理解が出来ない。

チェンが「ごめんなさい。私たち日本人。中国語、分かりま
せん」

警官が何かを言う度にチェンは同じ台詞を繰り返す。

警官も引き下がらず、英語で「パスポート、パスポート!と
パスポートを見せるよう要求をする。

それでもチェンは「何ですか?何ですか?どうしよう、分か
りません。ごめんなさい」と繰り返す。

私も両手を広げ「分かりません」と繰り返していた。

こんなことして警察署に引っ張られるんじゃないかな?と不
安に思ったりしたけれど、警官2人が「ゴー、ゴー!」と怒
りながらパトカーに戻ってしまった。

パトカーが停車している我々の車を追い越して行った。

チェンは笑いながら手を叩く。
「ね、大丈夫だったでしょ?」

大丈夫だったでしょって。。。(笑)

当時の台湾はとてもおおらか。
今では通用しないと思いますので、真似をしないように願い
ます。