2019/05/10 金曜日はリラックス

こんにちは。

10連休が明けた週。
長い休みの間に仕事が溜まっていた人、連休中も忙しかった人。
十分な休暇が取れた人。
人それぞれの過ごし方をしたのではないかと思う。

どのような過ごし方をしたとしても身体に疲れを感じている人は多いことでしょう。

そんな1週間を過ごしたあとに迎えた金曜日。

リラックス系のヨガクラスに参加してきた。

インストラクターさんは身体に詳しく、ポーズが身体の度の部分にどう効いて、どのような効果が得られるのかを分かり易く説明してくれる。

15人ほどの参加者中、私以外の全員が疲れを感じているという状況もあり、脳を休める事に意識を向けた内容となった。

とても便利な時代に生きている。
移動は電車やバス、車。
短時間で遠距離移動が出来る世の中。
運動不足解消が叫ばれるくらい身体の負担が少なくなっている筈なのに、なぜか疲れを感じている人が増えているそうだ。

仕事や人間関係、家庭環境。
仕事中もオフの時間もゲームやSNSでネットに繋がり、人の評価や優劣に気を使う毎日。

身体というより脳が疲れているのではないか?とインストラクターさん。

ヨガのクラスの間でも「うまくポーズを決めたい」「今日は身体が思うように動かない。どうしてだろう?」など、人それぞれではあるが、何かを考えたり解決しようとして脳はフル稼働してしまう。

私も「ヨガが終わったら仕事に戻ろう」とか「自分の目標って何だろう?」なんて考えながらヨガに取り組む事もある。
これはこれで良い答えに出会えたりもするのだけど。

脳が働いてしまうのは仕方がないのだが、その負担を少しでも減らしてみようという話であった。

ポーズを決めている最中、様々な考えや思いが浮かび上がるけど、「そう感じている自分を受け入れる」「そう考えている自分を受け入れる」それだけで十分。

それが難しかったりするのだけど、私は呼吸に集中し、やや俯瞰した場所から自分を眺めるような感覚でヨガに取り組んでみた。
意識的に自分がボ~とした状態にしたかったので、視線を窓の外に向けてみたら、これが良い作用をもたらしてくれた。

インストラクターの声を聞きながら、窓外の空を眺め、自分の呼吸に耳を澄ます。
インストラクターの姿を見る事が出来ないので、時々ポーズを間違えていたと思うけど、そんな事はどうでもいいや!と思いながら、ポーズを取っていく。

時間の経過と共にとても心地よくなっていく。

このクラスでは難易度の高いポーズは取らないのだが、今日はとてもゆっくりと優雅なポーズが多かった。

クラスの終盤、ボルスターという棒状のクッションに背中を乗せ、腕と方をだらりと下げて胸を開くポーズを取ったのだが、これが特に気持ち良かった。
もう少しで寝る寸前。

そして仕上げのシャバーサナヘ。
「死体のポーズ」と呼ばれるポーズで、どのクラスでもこのポーズを最後に取ってクラスが終わる。

ただマットの上に仰向けに寝るだけ。
意識的に呼吸することなく、ただただ寝る。
5分程度の短時間だが、意識が半分以上飛んでしまうことが多いのだ。

今回も同様、意識が遠くなってしまった。

脳が何かを意識したとしても触れずにしておく。
そうすることで脳も解放されるのだろうか?

多くのタスクを1度にこなすことを嫌う、マルチタスクで働くと脳が疲労するとも聞く。
脳の働きを止める事は出来ないし、そんなことをしたら大変なことになってしまう。

呼吸すること、ポーズを取ること、五感を通して何かを感じること。
タスクを絞り込み、脳が淡々と過ごせるようにしてあげる。
結果、脳のストレスが解消するのかも。

私の場合はヨガだけど、流れる川を眺めたり、芝生や公園のベンチで横になり、ただ空を見上げたり、目をつぶり耳を澄ませて周囲の音を受け止める。
そんな時間を持つだけでも、もしかすると脳をリラックスさせることが出来るかも。
結果、蓄積した疲労、そう感じてしまっている疲労感から解放される。

ボケ~とする時間。
短時間でも良いので日常に取り入れてみては如何?

2019/05/08 体幹コントロールピラティスに参加

ヨガを習い始めてから感じるようになった体幹やインナーマッスルを鍛える必要性。

これは個人差があると思います。

私の場合、長年運動から遠ざかっており、また元々バランス感覚がやや欠けていたような自覚もありました。

一時期、日本に格闘技ブームが吹き荒れていた頃、ブラジリアン柔術を習っていたのですが、簡単にバランスを崩されたり、バランスを維持する体勢が苦手でした。

ヨガスクールに通い始めてからも、片足で立つポーズやバランスをキープするポーズに対して苦手意識が働いたり、実際体勢を維持するのがキツく、身体がプルプル、ユラユラするのを感じていました。

最近ではやや身体の揺れも抑えられるようになったように思いますが、せっかくヨガを習い始めたのだし、どうせなら少しでも綺麗にポーズを決めてみたい!と思い、ヨガをする身体作りのサポートとして体幹コントロールピラティスを受けてみることにしました。

インストラクターさんの指導に従い、お腹を意識しながら身体を動かしていきます。

体幹というワードを聞くと、どうしてもジムワーク的な内容を想像していたのですが、地味な動きを呼吸に合わせて取り組む内容で、汗まみれになるなんて事はなかったです。

しかしスポーツとは違い、身体の特定の部分のみを動かすパターンがあり、それが地味に難しかった。

例えば骨盤だけを動かすワークがあるのですが、どう動かして良いのか?果たして骨盤だけを動かす事が出来ているのか?が自覚出来ず、取り組みながら自問自答を繰り返すような状態だった。

クラス終了後にインストラクターから「大丈夫ですよ、ちゃんと動かせてましたから」と言ってもらえたものの、その動きを全く理解、自覚出来ないまま1時間のクラスが終わってしまった感じだった。

インストラクターさん曰く、慣れもあるので継続的に参加していけば、様々なワークを自覚出来るようになるそうだ。

腹筋を使ってバランスを取ったり、半分空気の抜けたペニャペニャのボールを足に挟んで動いたり、ポーズを維持したり。
ゲーム感覚で取り組める動きもあり、ヨガとはまた違った楽しさを感じた。

ちょっと戸惑ってしまったこともあった。

呼吸。

ヨガの場合は鼻から吸って鼻から出す鼻呼吸なのだが、ピラティスの場合は鼻から吸って口から出す呼吸法。
呼吸のペースもヨガとは違い、やや早い間隔で呼吸をするのだ。

動きに気を取られていると、いつの間にか鼻呼吸になってしまっていた。

ヨガをするときのようにゆったりとした呼吸をしているとピラティスの動きや展開についていけないので、自分の呼吸をアジャストさせる必要性を感じた。

でも、これは慣れれば普通にアジャスト出来るだろう。

もう少しピラティスに参加する機会を増やしたのだが、仕事もあるので、週に1度の参加をキープするのが精一杯だろう。

ヨガをメインにして骨盤矯正とピラティスで身体作り。

少し俯瞰した視線で自分を眺め、内面と対話し、自分がどうなっていきたいのかを描きつつ取り組んでいきたいと思う。

また新しい楽しみが一つ増えた。

アーユルヴェーダの体質 私の場合 ピッタ

こんにちは。

ご存知の方も多いと思いますが、アーユルヴェーダには3つの体質があります。

ヴァータ
ピッタ
カパ

です。

2019年3月、出張先のバンコクを訪れた際、同市内にあるヨガスクールで専門のドクターに体質診断をしてもらいました。

診察と言っても普段我々が受ける健康診断のようなものではなく、触診がメインでした。

診察を受ける前、食生活や生活サイクルに関するインタビューがありました。

起床時間、食事を摂る時間やその内容。
定期的に運動をしているのか?
しているのであればどのようなスポーツか?

インタビューを紙に書き出したものを持ってドクターと対面。

ドクターはヨガのインストラクターも兼ねているインド人。
英語が出来ないとのことで、スクールの女性オーナーが通訳として同席してくれました。

指先や足の指をつまんで軽く圧を加える。
呼吸をするよう促され、脈拍を見ながら呼吸を繰り返す。
椅子から立ち上がり、部屋の手前から奥へ、奥から手前に何度か歩かされました。

歩き方や歩いている姿を見て何が分かるのだろうか?
そんな事を考えながら部屋の中を何度か往復しました。

診察結果はすぐその場で伝えられました。

私の体質はピッタ。

解説書によると消化と代謝の機能が強く、食欲は旺盛。
たくさん食べてもしっかり消化できるそうだが、食べ過ぎは良くないので節度を持ってとのこと。

10時から14時、22時から2時までが適した時間帯のようだが、夜は23時頃には寝てしまうし、10時から14時も特にアクティブという自覚もないので、この変の説明は良く分からない。

夏から秋にかけてより活発に動ける身体で、肉体的には30歳から60歳に良い状態になる。

この辺の説明に関しては正直ちょっと分からない事が多く、「そういう体質なんだ」と軽く受け止めておくことにした。

身体的な特徴としては、中肉中背、筋肉や皮膚がしなやかで柔らかい。
肌はつやがあり赤みがかっている。
若はげや若白髪になる人が多く、これはピッタ体質の人は頭に血が上りやすく、皮膚を温めてしまう傾向があり、この反動で毛髪に影響が出てしまうかららしい。
若はげという事を含め、身体的特徴は合っているような。

食欲は旺盛で消化する力も強い。
反面、お腹が減るとイライラする。

排泄は多い
暑さに弱い。
冷たいものを好む。

これも合っているように思います。
ただ、冷たいものはあまり摂らなくなっていて、普段は暖かいお茶、白湯、常温の水を飲んでます。アイスはほとんど食べなくなりました。

精神的な特徴は頭脳明晰で物事を論理的に考え分析するタイプ。
リーダー気質。
心身のバランスが取れている時は喜びに満ちた態度を取る。
誰でも気持ちの良い時は多少ゆとりのある態度言動になると思うけど、ピッタの人はよりそういう傾向が強いということなのだろうか?

正義感が強すぎるので、精神的なバランスを失っている時は自分と反対の立場にいる人や意見を遠ざける、押さえ込む傾向があるそうだ。
これはちょっと自覚があるかな。
今はそうでもないけど、若い頃は確かにそんな傾向が強かった。

ピッタだからと言って100%ピッタの体質、精神、肉体的特徴が出るという事ではなく、3つの体質の中でよりピッタの傾向が強く出るということだし、年齢や環境などにより体質も変化するので、あまり囚われ過ぎないようにとの説明も受けた。

生きている自分自身を中心にしながら、ぼんやりと3つの体質を意識する、その傾向を生活に取り入れる感じで良いのだろう。

ドクターからは身体の持つポテンシャルの80%位は使えているし、神経と筋肉の連動や身体の動かし方も良いと伝えられた。
今と同じ生活パターン、食生活やヨガや散歩などを継続していくようアドバイスを貰えた。

ただ気になるのは呼吸が浅い傾向があるので、ヨガを通して呼吸法を学ぶなど改善すれば更に強い身体を作り上げる事が出来るとのこと。

呼吸って意外と出来てないものだな、とヨガを習い始めた際に感じ、それ以降は比較的意識していたけど、まだまだ改善の余地ありってレベルだったのだ。

まぁ、余地ありって事は改善する可能性、伸び代があるってことだから。

今度、ヨガや瞑想の時間を積み重ねていく過程で、意識しながら取り組んでみたいと思う。

知れば知るほど奥深いヨガとその周辺の世界。

楽しみは尽きない。

2019/05/06 アーユルヴェーダ講習会に参加する 1

今年のGWは10連休。

その間に平成が終わりを告げ、新しい元号である令和が始まった。

連休中、イレギュラーになった時間割に合わせ、出席出来るクラスにだけ参加。
人の移動が増えるこの時期に外出したくない私は、もう少しどっぷりとヨガに浸っていたかったのだけど、会う機会が減ってしまった友人知人と会ったりする場を設けたり、参加するクラスで良く会うスクール仲間と食事に出かけたり。

後半は徐々に参加するクラスを増やし、連休明けからは受講するクラスを変えてみたり増やしてみたりする予定。

連休最終日の今日はスクールで開催されたアーユルヴェーダ基礎編の講習に参加してみた。

アーユルヴェーダ
古代インドで発祥した総合的な医学体系で、生命な寿命に関する知恵、知識を今に伝えている。

人として生き物として自分はもちろん、他者や他の生物の命を大切にする事を基本に生きていく。
その過程で健康であること、富を得ること、願望を叶えること。
そして解脱することを目的とした学問でもある。

ヨガを学ぶ過程で身体や心の変化を感じ取り、以前から聞いた事のあるこのアーユルヴェーダに関して興味を持ち始めた。

今日の講習に参加する前、すでにアーユルヴェーダとの接点は生まれていた。

仕事で訪れるタイはバンコク市内にあるヨガスクールでアーユルヴェーダマッサージやシラットハラ、そして自分の体質を知る触診を受けたりしていたのだ。

今日の講習は基礎編なので、アーユルヴェーダとは何か?
その基礎の基礎、入り口を学ぶ場という内容だった。

アーユルヴェーダにおける生命とは
肉体
精神

の3つから構成されるもの。

その生命が持つ五感に対し、正しく触れることが重要とされる。

五感のバランスを保つ為に必要とされることのひとつに正善行為というものがあるそうだ。

汚い言葉を使わない、嘘をつかない、他人を陥れないなど、私たち日本人が子供の頃に親や道徳のクラスで学んだ事と同じだ。

嘘に関して新鮮だった話があった。

「嘘も方便」などと言われ、時と場合によっては嘘も使い方次第でその場を納めたり、他人を傷つけずに済む場合があるという教えがあるが、アーユルヴェーダではそのような嘘も使わない方が良いという。

1度嘘をついてしまうと、その嘘を突き通す必要に迫られる可能性が高く、いつかばれてしまうのではないか? いつまでこの嘘をつき通さなければならいないのか?というプレッシャーが心と身体に影響を与え、バランスを崩してしまうから。

確かに相手の事を考えての嘘、空気を読んでの嘘をついた場合でも、嘘をついた自分、ついてしまった自分に対して納得出来なかったり、相手に対して申し訳ない感情を抱いてしまったり。。。心の省か不良を起こすことって多いと思う。

ではどうすれば良いのか?
幾つか方法、手段があると思うのだけど、アーユルヴェーダでは沈黙するのも一つの選択肢になると教えているのだそうだ。

言葉は便利な反面、相手を傷つけてしまう場合もある。
嘘をついた事により、その場を丸く収まったとしても根本的な解決にはほど遠かったり、一時しのぎの嘘でそれが相手にバレバレだったり。

言葉は準備の出来ている相手に簡潔に正しく使うもの。

迷っている相手に対してバッサリと切り捨てるような事はしない。
不安を更に強めるような事は言わない。
例えそれが真実であったとしても。

相手に受け入れる準備が出来ているのか?
受け入れる度胸、度量があるのか?
そしてどのような流れで、伝え方、言葉で伝えるべきなのか?

そんな配慮が必要なのだろう。

医学ではあるけど哲学でもあるアーユルヴェーダ。
身体の事や食事の事だけではなく、人のあり方も学べる裾野の広さもある。

それだけに習得するのにはかなりの時間と経験が必要になるようだ。
人が100年生きるとして、3回生まれてきたとしても学べない。
そんな風にも言われているそうだ。

次回はアーユルヴェーダの基本となる3つの体質に関して書いてみたいと思う。

瞑想を習慣化 2

瞑想中に意識が飛ぶ、または抜けるような感覚。
そして前のめりに倒れそうになる。。。

そんな経験をし、気持ちや精神を集中出来ることなく、初めて参加した瞑想クラス
が終わりました。

着替えを済ませ、スクールから出ようとするとヨガのインストラクターが見送りの為、入り口付近に立っていてくれました。

「ありがとうございました」
優しい笑顔で接してくれます。

「ちょっと聞いてもいいですか?」
このまま不安な気持ちを抱えてスクールをあとにしたくない。。。
そんな気持ちが強く、インストラクターに話を聞いてもらうことに。

「瞑想中、何度か意識が飛ぶような事があり、その度に身体から力が抜け、姿勢を崩す。それも前のめりに通れそうになるような。これって私の身体に何か問題があるものなのでしょうかね?」

瞑想中、私に起きた出来事を説明し、質問してみました。

「初めての瞑想でその経験が出来るのは良いことかも知れませんよ」

「エッ?これでいいの?」
安心したと同時に身体に緊張が解けていくのを感じました。

「それは問題ですね。すぐに病院へ行って下さい」なんて言われたら、どうしようと思ってましたからね(笑)

インストラクターの話では、瞑想中は身体を動かさず呼吸を繰り返しているだけなので、身体の代謝が落ちていく。
最初は怖いかも知れないけど、慣れていくしかないし、慣れていくものらしい。

雑念に囚われてなかなか集中出来ないと思ってトライしていた瞑想ですが、意外と集中出来ていたということなのかな?

その後も月1の瞑想クラスに数回参加。
やはり何度も意識が抜ける感覚に襲われてます。

すぐには慣れなかったけど、最近は「またか。もう1度意識を集中するところの立ち返ろう」という感じで対処出来るようになりました。

実際、身体的な問題は起きてませんし、健康診断を受けても問題を多少抱える年代の平均よりやや健康な状態との結果でした。

インストラクターの話では瞑想は経験を積めば積むほど効果が出てくる。
出来れば20分位は続けた方が良いけど、日常の隙間時間、例えば仕事の合間や電車で移動中の時間など。
細切れの時間を利用して瞑想する時間に充てていく。

確かに忙しいといいながら、スマホでどうでも良い情報を見て10分以上過ごしてしまう、なんて事がありますもんね。

理由もなくイライラしてしまった時、電車で移動する機会があれば、席に座り軽く目を閉じて瞑想する。

隙間時間を使いつつ、でも、もう少し瞑想をする時間を確保したい。
そう思った私は、朝起きて散歩に出る前の10分を瞑想に充てることにしました。

起床後、うがいをして白湯を飲み、トイレに行き、着替えを済ませる。
ゆっくりと身体を目覚めさせながらこれらの行動をするので、約10分掛かります。
その後約10分、ヨガの定番ポーズで身体の代謝を上げ、血流を促します。
寝起きなので、これもゆっくりと厳しくないポーズだけ取り組みます。

その後、瞑想に入ります。

当初は5分間の瞑想からトライ。
たった5分。
YOUTUBEなどでMVを1本見るのとほぼ同じ時間。
これなら無理なく取り組めるだろう。。。と思ったのですが。。。。

瞑想に集中出来るよう、スマホでアラームを設定しました。
「まだかな?」と時間が気になり、目を開けて時計を見てしまわないように。

5分。。。
意外と長く感じました。
元々集中力のない私です。
すぐに動きたくなってしまいました。
でも、何とか5分間座り続けました。

目を開けた瞬間「はぁ~疲れた」
5分間座り続けた後の正直な感想です。

瞑想に触れる前は「自分は瞑想に向いているだろう」と思い込んでいましたが、ちょっと向いてないのかな?などと思うようになりつつ、その後も毎朝5分間の瞑想を続けていました。

「早く5分経ってくれ」
「まだかな?そろそろだろう?」
全然集中してません。

それどころか、「今朝は疲れてるから寝たまま瞑想しよう」と横になって目を閉じて瞑想するなんてことも。

時間に対する感覚をごまかしながら、それでも毎朝5分間の瞑想を継続していました。
2~3週間を経過したころからでしょうか、5分間がとても短く感じられるようになりました。

目を閉じ、一定のリズムで呼吸をする、その呼吸に集中する。
相変わらず雑念が浮かんでは消え。。。。。。を繰り返していましたが、5分間がとても短く感じられるようになったのです。

5分間の瞑想に慣れてきたので、倍の10分にトライしてみよう!
と言う訳で、時間を10分にしてみました。

長い。。。5分の倍だもんなぁ~
これが瞑想時間を10分にした初めての日に感じたこと。

目を瞑っているので、一体どれくらい時間が経過したのか全く分からない。
いつになったら終わるのか。。。。
やはり5分間の瞑想に戻そうかな。。。。いや、それは嫌だな。

呼吸に集中するハズが、呼吸の回数で時間を数えるようになってしまったり。

でも、10分間を短く感じるようになったのです。

雑念が浮かんだら浮かんだまま。
消そうと思ったら雑念を流す。
しばらく呼吸に集中していると新たな雑念が生まれる。。。の繰り返しではあるのですが、苦しくないのです。
苦痛に感じなくなってきました。

今でも10分間の瞑想を続けていますが、10分間は割と早く過ぎ去ってしまいます。

以前は待ちわびていたスマホのアラーム音ですが、今ではその音に驚かされる位、集中している時があります。

4月になり桜が開花し、街は春っぽい景色になってきました。
今、楽しみにしていることがあります。

それは毎朝の散歩でお世話になっている神社の境内で瞑想すること。

ヨガスクールに通う前、境内のベンチに座り、瞑想もどきな事をしていましたが、今では鼻呼吸も出来るし、10分間は気が散らずに過ごせるようにもなってきました。

暖かくなれば広い空間で、外の空気に触れながら瞑想したい。
季節を感じてみたい。
それが楽しみでなりません。

そして瞑想する時間も15分、20分と長くしていきたいと思っています。

瞑想を習慣化した今、より深く瞑想に取り組みたい。
そしてその先の自分にどんな出来事、変化が起きるのかを見てみたい、感じてみたいと思っています。

ヨガと同じく瞑想も初心者ですが、日々繰り返し取り組んでいれば、少しずつですが身体が慣れてきます。

いきなり大きな変化を感じる天才もこの世には存在するのでしょうけど、私は私です。他者の存在は意識せず、まずは日々の積み重ねを感じていたい。
それを楽しんでいたい。

楽しみがある人生って良いものです。

瞑想を習慣化 1

私が通っているヨガスクールでは様々なクラスがあり、目的や修練度、気分によってクラスを選択、受講することが出来ます。

通い放題会員の私は興味の赴くまま、気の向くまま、幾つかのクラスを定期的に参加しています。

1ヶ月ほど前から朝の習慣として生活に取り入れるようになった瞑想もそのひとつ。

スクール入会の前、クラスの内容の説明を受け、スケジュールを渡された際に目に止まったのが「瞑想」

とても神秘的な響き、印象があり、ヨガスクールに通うと決める前までは、通えるエリア内にあるお寺での座禅会に参加してみようかな?なんて考えた事がありました。

きっかけは毎朝の散歩の際に訪れる神社。
神社内に小さな広場があり、そこの幾つかのベンチが置かれています。

ある日、ベンチに腰掛け、目を閉じて静かに座ってみると、とても心地よい気分になりました。
それから神社へ行った際はベンチに座り、短時間ですが、目を閉じてゆっくりする時間を持つようになりました。

このときは瞑想の取り組み方など全く知らなかったので、鼻から息を吸って口から出すというデタラメな瞑想でした。
でも、そんなデタラメな瞑想でも気持ちが良かったんですよねぇ。

スクールに通い始めて約1ヶ月後、ようやく瞑想クラスに参加する機会を得ました。

スクールで開催されている瞑想クラスは月の最終週に1度だけ開かれるので、そのタイミングを逃してしまうと翌月の最終週まで待たなければなりませんので、スケジュールを調整する必要がありました(汗)

瞑想クラスと言っても1時間15分のクラスの大半はヨガのポーズを取る練習です。
ラスト20分間で瞑想をする内容になってます。

参加前、75分間も瞑想出来るか?と勝手に不安に思っていたのですが、20分と聞いて少し安心しました。

と言うのも、神社で自己流瞑想してみると、数分間何も考えず、目を瞑っているって結構大変なものだと実感していたからなのです。

クラスが始まり、インストラクターから瞑想に関する話、進め方に関する説明があります。

季節や気温などにより、取るポーズは変わるそうです。
クラス内で取るポーズは私が参加している初心者向けクラスとほぼ同じで、初心者の私にも取り組み易い内容です。

45分間ほど様々なポーズを取ったあとは、仰向けになって寝る状態で取るシャヴァアーサナを10分ほど。
これがまた気持ち良い!

その後、起き上がり座禅を組んでいよいよ瞑想に入ります。

目を瞑り、まずは呼吸を一定にして、しばらくそのペースで進めた後に呼吸を深めます。
気持ちや精神が落ち着いたら閉じた目線を鼻先に向けるイメージで更に精神を安定、深めるようにします。

ここまでは比較的簡単なのですが、その後は様々な事が頭に浮かんできます。
仕事のこと、人間関係のこと、人によっては抱えている様々な問題。。。。

な~んだ、全然集中してないじゃん!と思われるかも知れませんが、インストラクター曰く、それで構わないのだそうだ。

人間の脳はそもそもそういう造りになっているし、いきなり無の境地に達するなんて、よほどの天才でもない限り無理でしょう。

初めての取り組みではありましたが、姿勢を維持、呼吸ペースも変わらず座禅を組めていました。
少しずつですが気持ちのブレもなくなってきました。

身体が少し慣れてきたかな?と思った辺りのことです。
身体がグクッとなり、前のめりに倒れそうになりました。

一瞬の事なのでとても驚きましたが、そのまま倒れ込むよような事はなく、姿勢を戻し、瞑想を続けました。

しかし、気を失うような感覚。
貧血などで倒れる経験をした事がない私には比較するような症状がなく、ちょっと怖さを感じてしまいました。

知らなかっただけで、身体に問題を抱えているのではないか・・・?
そんな不安な思いが身体を被い、「早く20分経過しないかな~、経過してくれ」なんて気持ちが大きくなっていきました。

そんな気持ちに支配されると時間の経過が遅く感じられるようになり、最後の数分間はやや苦痛を感じる展開になってしまいました。

私の身体は大丈夫なのか?
問題がないとしても瞑想に向いてないのではないか?
瞑想って怖い・・・・

そんな事を考えていたら20分が経過。

インストラクターの指導に従い、目を開けて瞑想状態から普通の状態に戻ってきました。

「やっと終わった・・・良かった」

私にとって初めての瞑想体験はこんな感想と共に終わったのです。

つづく

ヨガを始めて4ヶ月。体重が減っていました

こんにちは。

価値観や食習慣が変わると、とても分かり易い変化が現れます。

体重が減っていたのです。

私は自分の体調管理などには無頓着。
体重は毎年1度健康診断を受ける際に図るだけ。
そこで計った体重も覚えていない位、自分の身体に関しては無頓着です。

身体に関する事ばかりではなく、仕事の目標設定も細かくしないし、好きな散歩でさえ、1日に何歩歩いたかに関心はありません。

万歩計アプリで歩数の記録は続けてますが、そのアプリも確認したりしなかったりします。

ある日、約3ヶ月振りに取引先へお邪魔した際のこと。

「あれっ、随分痩せたんじゃない?」と取引先スタッフさんに声を掛けられました。
他のスタッフさんも寄ってきて「本当だ!小さくなってる気がする」と言われました。

自分の顔は毎朝ヒゲを剃る際に見る程度。
じっくり観察する訳でもないし、毎朝見ている顔なので、微妙な変化には気がつく筈がありません。

でも、言われてみればボトムスがややユルユルになっているような。。。
ベルトの穴が合わなくなってきたような。。。

そう言われると気になるものです。
帰宅したら体重計に乗ってみよう。。。と思ったものの、元々そういう事に関心がないので、その日は体重計に乗らず。

それから約2週間後、家電屋さんに言った際に体重計が売られていたのを目にした際、新たに体重計を購入する事にしました。
家の体重計は20年ほど前のもので、果たして正確な体重が表示されているのか怪しかったので。

一番新しい体重のデータは昨年(2018年)の10月、健康診断で計ったもの。
確か病院から診断結果が届いていたハズ。

机の引き出しの中で診断結果を伝えるデータを発見。

体重は68.5キロ。
私の身長は164センチなので、やや太り気味。
「体重を落としましょう。必要な食生活改善策やエクササイズを案内します」なんて書いてありました。

学生の頃は別ですが、10年ほど前は75キロほどあったような記憶があるし、それ以降は毎年68キロを維持していたので、それが普通だと思ってました。
でも、診断書に目を通すと「やや太りすぎ」と書いてあります。

そうかぁ~、やや太りすぎだったのか。。。とようやく気がつく私です。

そして買ってきた体重計に電源を。。。あれ、電源を入れる必要なんてないんだ!
体重計に乗れば勝手に電源が入り、体重を計ってくれる。
関心がないものごとに対してはそんなものですよね~。

体重計に乗り、示された数字は

64キロ

でした。

約4ヶ月で4.5キロ減っていたのです。

ダイエットとしては時間が掛かっているのかも知れないのですが、ただヨガを楽しんでいたら、4ヶ月で体重が4.5キロ落ちていた。
おまけとしては十分でしょう。

ヨガのインストラクターや受付スタッフさんにそのことを話すと、4ヶ月で4.5キロも落ちるのは凄いと言われました。

運動していない人や運動不足の人間が運動するという新たな習慣を取り入れるので、当然、体重が落ちる人は多いようですけどね。

インストラクターの話で面白かったのは、体重が減る人がいる一方で、痩せすぎの人が増量するケースもあること。

私のように味覚が変わり、不要な間食が減る変化があれば、食事を美味しく感じるようになり、食べる量が増え、平均体重になる変化もあるのでしょう。

64キロを確認した日から約2週間後、再び体重計に乗ると、体重は63キロになっていました。

私の身長ですと理想的な体重は60キロなので、まだ3キロほど太っている事になるのでしょうか。
でも個人差もあるだろうし、あまり数字に囚われたくないので、1~2週間に1度程度、体重計に乗ってみようと思っています。

体重が減る一方でピラティスへの取り組みも考えています。
これまで2度程度参加したことがあるのですが、ヨガ初心者クラスに比べると、かなりハードな内容です。

ヨガとピラティスと骨盤矯正。
この3つのエクササイズを上手に取り込み、精神的な安定と健康な身体の両方を手にしたい。

68.5キロから現在は63キロになり、服のサイズもゆるゆるになりました。
一方で全身の筋力が増し、各関節の動きはスムーズになり、日に長時間歩いても疲れない身体になりつつあります。
下っ腹のダブダブも随分取れました。

精神的にも比較的安定した日々を過ごせています。

ヨガとの出会いに感謝。
ヨガを習い始めた自分自身に感謝です。

ヨガを始めて4ヶ月。自分に起きた変化と起きていること 3

前2回の記事でメンタル面と食生活に起きた変化を書きましたが、今回も間食習慣の変化に関する内容になります。

ちょっとした習慣の変化がもたらす時間の使い方、時間に対する考え方の変化もありました。

取引先との打ち合わせが早く終わり、次の予定まで時間の余裕がある。
効率良く仕事が終わり、ちょっと時間を持てあます。
そんなときはカフェで時間を過ごす事が多いと思います。

私の場合、商談と商談の間に余裕を持たせたスケジュールを組む傾向が強く、カフェの利用率は高かったのです。

ある日の商談後、次の予定まで時間にかなりの余裕が出来たので、いつものように
カフェに入り、カフェラテをオーダー。

席につき、鞄から本を取り出してラテを一口。。。。「あれ?こんな味だったっけな?」

ジャンクフードから遠ざかった後に起きた変化です。

良く利用するチェーン展開しているカフェなので、店によって味にバラツキがあるとも思えません。
多分、私の味覚が変化した影響なのでしょう。

私はカフェだけではなく、自販機やコンビニで缶入りのカフェラテやミルクティーを買う習慣がありました。

駅で電車を待つ間。
車で仕事に出た際、仕事終わりにコンビニに寄りミルクティーと菓子パンを購入する。
そんな習慣がありました。

それらの飲料に美味しさを感じなくなると「本当に美味しいと思っていたのかな?」という素朴な疑問も生まれました。

身体が欲していない食事や飲み物を摂取していたのかも。
そしてそれらが身体にダメージを与えていたとしたら。。。。
ちょっと怖いですよね?

今でもカフェには行きます。
でも、週に1度程度。
たまに取引先と外で会う時にも利用しますが、プライベートでの利用は激減しました。

駅やコンビニで甘い飲料を買う事は完全になくなりました。
その代わりお茶や白湯を入れた水筒を持ち運びようになりました。
外出時の荷物が増え、鞄がやや重くなってしまいますが、「身体に優しく。身体を労る」事を優先したいので、それくらいの負担は全然問題ない。そう思えるようになりました。
小まめに好きな時に好きな分だけ水分補給出来ますしね。

「食べたい」
「飲みたい」
思った瞬間に買っていた食べ物や飲み物ですが、コンビニやカフェに入る前、自販機にコインを投入する前に「本当に食べたいの?」「本当に飲みたいの?」と冷静に自分に問いただす。
「いや、それほど欲しくない。今は止めておこう」
という答えが身体や脳から返ってくるようになりました。
今ではその問いかけが不要なほどです。

ヨガを習い始めて約4ヶ月。
習慣の入れ替えが進みつつある中、また新たな変化が起きました。

つづく

ヨガを始めて4ヶ月。自分に起きた変化と起きていること 2

こんにちは。

ヨガを始めて約4ヶ月が経過。
前回はメンタル面に起きた自分の変化を書きました。

今回は日常生活面、特に食習慣の変化を書きます。

食習慣の変化と言ってもヴィーガンになったとか食べるものを全てオーガニック
にしたという事ではありません。

以前の私はジャンクフードと炭酸飲料が大好きでした。

ここ数年はそうでもなかったのですが、10年ほど前までは寝る前にチョコ1枚、あるいはジャンクフード一袋とダイエットコークを食べてました。

18時頃に晩ご飯を済ませ、ダラダラとテレビを見たり急いでもいない仕事をする為にパソコンに向かっていたり。。。要するにやることがなかったんですね。
でも、どこかでそれを認めたくない、俺は仕事をしているんだ!という意味のない自意識がそうさせていたのだと思います。

そして布団に入る前、22時過ぎ頃にジャンクフードやチョコを食べ始める。
そしてダイエットだから大丈夫でしょ!なんて気持ちで炭酸飲料をゴクリゴクリ。

今、考えると恐ろしい生活習慣ですし、身体に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

加齢と共に自然と炭酸飲料を飲まなくなりましたが、相変わらずジャンクフードは大好きなまま。

数年前から健康を考えて(笑)寝る前に食べる事はなくなりましたが、晩ご飯のあとの口直しに、そして20時頃になるとまたジャンクフードの袋を開ける毎日でした。

変化が起きたのはヨガを始めて3ヶ月を過ぎた辺りです。
いつものように習慣でジャンクフードやチョコを食べていたのですが、ナゼか美味しくないと感じたのです。

あるインストラクターさんから「味覚が変わる人もいるんですよ」と聞いた事はあったのですが、もしかして自分の味覚にも変化が現れているのかな?と。

美味しくないので晩ご飯のあとやその後のおやつタイムでジャンクフードをボリボリと食べる事がなくなっていきました。

しかし習慣とは怖いもの。
食べないのにコンビニに寄ってはジャンクフードを買う事は継続していました。
週に2度ほどですけどね。

チョコを買ってきても冷蔵庫に保管したまま忘れてしまう。
食べても美味しくないですからたべるという行動を起こさない。

冷蔵庫に保管したままのチョコを見て、「コンビニでジャンクフードやチョコを買うのはお金と時間の無駄じゃないの?」と思うようになりました。
だって美味しくないし、食べないのですからね。

チョコやジャンクフードを食べなくなった代わりに食べているのがフルーツ。
晩ご飯のあとにリンゴやみかん。
仕事で歩き回り、少し小腹が減った際にはバナナを1本。

フルーツは毎日何個も食べる訳ではなく、冬の間はみかん1~2個程度でした。
それで十分満足出来ました。

今は週に何度か個人経営の八百屋さんに寄り、「今は何が美味しいの?」なんて会話しながらフルーツ選び。
良い八百屋さんのようでスーパーで買うフルーツより美味しく感じます。
目利きの店主さんなのでしょうかね。

チョコやチップスを全く食べなくなった訳ではないですが、板チョコを完食するのに1週間から2週間かかるようになりました。

スーパーやコンビニで売っているものではなく、通っているヨガスタジオで売られているオーガニック系のものを買うようにしています。
買うのも2~3週間に1度程度になりました。

それでもう十分満足を得られてます。

ジャンクフードからフルーツへ。

間食の習慣が変わりました。

フルーツの美味しさに目覚めました。

この味覚の変化は更に広がっていくことになります。

ヨガを始めて4ヶ月。自分に起きた変化と起きていること 1

2019年2月

今年は春の到来が早いのか?
暖かい日が続いている。

ヨガを始めて約4ヶ月が経過。

今でも身体が硬く、バランスを取るのが下手なので、思うようにポーズが決まらず、ガクガク、ブルブルの連続。
でも、基本的なポーズのうち、幾つかは徐々にではあるが、少しは様になっているものもあるようだ。
ポーズの名前を言われたら、「あのポーズだな」「この次はあのポーズに移るな」など、ポーズとその流れが想像出来るようにもなってきた。

ヨガは基本、鼻で呼吸をしながらポーズを取る。
最初は鼻呼吸が身体に馴染んでいないので、ついつい口で息をしたり、ちょっと難しいポーズを取ると呼吸を忘れてしまったり。

最近は鼻呼吸を続けたまま、約1時間のエクササイズをこなせるようになってきたし、散歩している間も鼻呼吸。

この鼻呼吸。
ヨガをしている時だけではなく、日常の様々な場面に使えるのだ。

例えば車を運転中の車内。
信号で待たされる。
前方で急に割り込みされる。
自分勝手な自転車や歩行者たち。

そういう場面に出くわす度にイライラしていたけど、信号で待たされている間は深い深呼吸(鼻からでなくてもよい)をする。

割り込みされて怒りをぶちまける前に、深く深呼吸。

信号無視して道路に進入する自転車や信号のない場所で道路を横断する人がいた場合も深呼吸。

深い深呼吸を何回か繰り返していると、イライラしている自分を見つめている自分になることが出来る。
そして「イライラすんなよ。いいじゃん、放っておけば」なんて言葉を自分に掛ける事が出来る。

今ではそういう場面に出くわしたら深呼吸ではなく、積極的に鼻からの深呼吸を繰り返している。

精神、気持ちが安らかな状態を維持出来るようになり、細かな事に腹を立てたり、イライラすることが随分減ったように感じる。
生きている人間なので、100%イライラしないという事はないけどね。

自分の感情を抑える事で、心をコントロールし、無駄な疲れを重ねないで済むようになったかも知れない。

日常、様々な場面で感じ取ってしまっていたイライラから解放されつつある。
これだけでも、自分にとっては大きな変化。

自分勝手な人や自分に不利益をもたらすような人と出会っても、相手を憐れな存在として認識し、その感情は流してしまう。
相手にすると疲れるし、まともな理屈が通用しない相手に説教したところでどうにかなるものでもないし。

自分の居場所に異物が混入してくると、人は自分の居場所を守ろうとする。
意地でも動かない!なんて意地を張ったりする。

でも、動いた方がいい。その場所から移動しちゃった方が楽になる。
相手はまともではないのだ。
憐れな人なのだから。

鼻呼吸、深呼吸を取り入れたら、そんな感覚が生まれてきた。

人混みを歩くとき、前方からスマホの画面に目を落としている人が歩いてきたら、サッと道を空けてあげよう。
相手の為にではなく、自分の為に。

そんな人のせいで、可愛い自分がイライラするなんて理不尽だから。

常に自分が心地よく過ごせる事に知恵と工夫を使おう。

鼻呼吸と深呼吸。
これ、結構使えます。

つづく。