「お待たせしました。さぁ、会場に入りましょう」
スカイが先導してくれる。
台北の高級エリア。
日本でいえば東京の代官山っぽいエリアになるのだろうか?
入口で厳しいチェック。。。は全くなく、スカイが受付でIDカードを
受け取り、それを首から提げて会場へ。
エスカレーターに乗って2階へ上がる。
「まぁ~!来てくれたのね!」
レディMが大袈裟に手を広げ、満面の笑みで迎えてくれた。
そして走り寄ってきてハグ!
日本人の私はこういうのに慣れていない。
もちろん台湾人のほとんどがこんな欧米じみたことはしてこない
。
アメリカ人のヒースは自分の奥さんがこんなことをしても、別に腹を
立てたりはしない。
「分った分った!分ったからもうこの辺で」
何が分ったのかは分らないけど、私はそう言ってMを引きはがした。
スカイがニヤニヤしながら私の顔を見ていた。
私は舌を出して白目にしておどけた。
「嬉しいわ!本当に嬉しい」
「仕事が順調なようで、私も嬉しいよ、M」
「ありがとう。私のキャリアにとっても試金石になるビジネスになる
わ」
「記者会見もあったんでしょ?」
「そうなのよ~。あなたを迎えに行こうと思っていたんだけど。。。
昨夜、ジャッキーのマネージャーからいきなり電話があってね。ジ
ャッキーがマスコミを呼んでしまったからって。。。」
そう言いながらもMは嬉しそうだった。
そりゃそうだろう。
大手のテレビや新聞がこぞって取材に来たのだろうから。
実際、翌日の新聞の芸能欄はジャッキーが1面を独占。
Mもしっかり写真に写っていた。
大きな宣伝になっただろう。
「そろそろパーティーを始めます。参加される方はIDカードが分るよ
うにしておいて下さい!」
黒服の男がパーティ会場へ入るよう促す。
「さぁ、行きましょう!」
Mは私の手を引っ張ってグングン会場へと進んで行く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ハロー」
「ようこそ」
「いらっしゃいませ」
会場内では華やかな女性たちがそう声を掛けてくれた。
綺麗な女性
可愛い女性
レベル高っ!
「みんなモデルやタレントのたまごたちよ。どう?台湾の女の子たち、
可愛いでしょう?」
「それは知ってるけど。。。。ここにいる子たちはレベルが違うね」
会場内に参加者が集まると、場の空気が暖まる感じがした。
皆、楽しそうな顔をしている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「そろそろパーティを始めたいと思います」
司会者の黒服が進行する。
「本日の主催者であるジャッキーから皆様へご挨拶があります」
そう言って黒服が拍手をすると、会場内の参加者達も拍手を始めた。
ヒューヒュー!と口笛を鳴らすものもいた。
その拍手に迎えられ、スーツに身を包んだジャッキーが登場!
両手を挙げて、手を振る。
大袈裟なスマイルだけど、慣れているようだ。
会場内は大歓声だ!
「彼がジャッキーよ。台湾芸能界の大物のひとりよ」
Mが耳元に顔を寄せてそう言った。
格好良くもない、普通のおじさんにしか見えないけど。。。大物なんだ。
ジャッキーが挨拶をしているけど、中国語なので私にはサッパリ理解出来な
い。
さすがに芸能人
良く通る声をしている。
3分程度でジャッキーの挨拶が終わり、立食パーティが始まった。
「さぁ。料理をいただきましょう」
またMが私の手を引っ張る。
立食用のテーブルのひとつにはMの名札。
私たちの専用テーブルだ。
そこに料理を運び、ウェイターからワインを貰った。
「M、凄いね」
「ジャッキーとも良い話がまとまったのよ。コストは掛かるけど、それに見合
た、いえ、それ以上のリターンがある契約になるわ」
Mは本当に嬉しそうだった。
そこへ
「本日はご参加いただき誠にありがとうござます」と1人の女性が挨拶に来た。
うわぁ!めちゃめちゃ可愛い!
「あら、こんばんは。この前、ジャッキーのオフィスで会ったわね」
「覚えていてくれたんですか!嬉しい!」
その子は両手を胸の前で合わせて、綺麗な歯を見せて喜んだ。
「今日はジャッキーのお手伝いで来ました。何かありましたら遠慮なくお申し
付け下さいね」
「ありがとう。そうそう。この人、私の友達で日本人なのよ」
と私を紹介してくれたM
「え~!そうなんですか!初めまして。コンニチハ。。。でいいですか?」
妙な発音の日本語を交え、そう挨拶をしてくれた女の子。
「初めまして。日本人に見えないでしょう?」
私がそう言うと
「そ~んなことないですよ~。中国語が出来るのですね」
「簡単な会話だけ。深い話は出来ないです」
「すご~い!私なんて日本語も英語も出来ないのに~」
「日本語は難しいからね」
「高校生の頃、少しだけ勉強しましたけど。。。ギブアップしました」
笑顔がキラキラしていてる。
「私はこの辺にいますから、何かあったら声を掛けて下さいね!」
「ありがとう!」
笑顔で手を振り、軽く会釈をして彼女は他のテーブルにいる参加者へ挨拶を
しに行った。
「M、あの子、可愛いね~」
「フフフ。たまごとは言えモデルを目指している子ですもの」
「だよね~」
「そうだ。もし気に入った子がいたら、私に言ってちょうだい。あなたに紹
介するから」
「え~!いいの?」
「問題ないは。でも勘違いしないでね。口説けるかどうかはあなたの腕次第
。私はそこまで関与出来ないわ」Mは笑った。
そんな話をしていると
「コンニチハ」と男性の声。
「あらマイケル!」とMが笑顔で応える。
そしてハグ。
華奢な男の子だ。
Mと挨拶を交わした後
「初めまして。私はマイケルです。宜しくお願い致します」
と流暢な日本語で私に話しかけてきた。
「あれ?マイケル君、日本語が上手だね!」
「はい、勉強を少しだけしました」
「学校で?大学で専攻していたの?」
「いえ。。。あの~、私は日本の漫画、特にドラえもんが好きなんですけど、
中国語ではなく、どうしても日本語で読んでみたくなってしまい、独学で
勉強をしました」
そう言って照れくさそうに舌を向いた。
「独学でこんなに上手になるの?」
「私の日本語、大丈夫ですか?」
「大丈夫どころか、とても綺麗な日本語だよ」
「ありがとうございます。ちょっと緊張してますけど。。安心しました」
お世辞でも何でもなく、マイケルの日本語は本当に綺麗だった。
マイケルはジャッキーに面倒を見てもらい、最近デビューしたタレントだった。
「このマイケルもウチと契約を結んだのよ」とM。
「そうなの?」と私はマイケルを見た。
「はい。Mさん、とても親切で。。。いつもご飯をご馳走になっています」
マイケルもジャッキー同様、テレビに出演する際はMのブランドの服を着る
契約を結んだようだ。
「まだ全然有名ではない僕と契約してくれるなんて。。。とても嬉しかったで
す。僕、頑張りますね」
マイケルが笑顔でMにそう話す。
マイケルをハグするM。
ビジネスの契約。
ではあるけれど、家族的な結びつきのような暖かさを感じる。
マイケルを抱きしめているMは、ちょっと歳の離れたお姉さんのようだった。
ちょっと感動。。。とその瞬間
突然、私の身体が宙に浮いた!
「うわぁ~!」
腰の辺りには浅黒い筋肉質の手が巻かれていた。
「おいおいおいおい!下ろしてくれよ!」
持ち上げられたままもがく私。がそう言うとス~と優しく下ろして
くれた。
着地した私が振り返るとタンクトップを着たマッチョな男が立っていた。
身長は190センチほど。
タンクトップから見える肩や腕がとても逞しい筋肉マン。
「あら!キングゴリラじゃない!」
私と筋肉マンを見て、Mが大声で笑った。
「キングゴリラ???」
「おぅ!オハヨウゴザイマス!」と妙な日本語で挨拶をしてくれたキングゴリ
ラ。
オイオイ、今は夜だよ!
心の中でそう思ったけど、面倒なので黙っていた。
Mが会話の橋渡しをしてくれる。
「彼はキングゴリラ。これから有名になるわよ。彼との契約もまとまったのよ」
「ハッハッハッ。M姐さん。今回はありがとう。仕事、バリバリやりますよ!」
ゴリラはまるで誓いを立てるかのように大きな声を出して、力こぶを作ってみ
せた。
腕の筋肉が隆起した。
「そして彼は。。。」と私を紹介しようとしたところ
「日本人ですよね!俺、日本人を持ち上げるのが大好きなんスヨ~」と言って
今度は両腕で力こぶを作ってみせた。
「凄い身体してるね~」
「毎日筋トレしてるよ。日本人、あんたも鍛えた方が良いんじゃネ?」
まさにゴリラだ。
マイケルのような繊細さ、知的な感じは全くない。
野生のゴリラの方がジェントルなんじゃないだろうか。。。
でも、顔は精悍。
野性味のある顔立ちで格好良かった。
台湾人にしか見えない私
イケメンで繊細で知的なマイケル
そして筋肉お化けのゴリラ
妙な3人で会話している不思議な空間だった。
オーバーなアクションと大きな声で笑いを取るゴリラ。
それを見てケラケラ笑いながら、私にも配慮してくれるマイケル。
会って10分もしていないのに、とても身近に感じる彼ら。
とても人懐っこい。
デビューしたての新人さんということもあるだろうけど、業界人でも
ない私につきっきりで話をしてくれていた。
場違いな雰囲気にアウェイ感を感じていた私にとっては心強い2人だ
った。
しかし、キングゴリラ。
会話の合間合間になぜか私を抱えて持ち上げる。
その度に周囲の人達から送られてくる視線。
モデル風の女性たちはケラケラと笑いながら、何かを話している。
「男っていつまで経っても子供よね~」なんて言われてるのかな?
つづく
ヨガ日記 2020/06/09
ヨガ日記 2020/06/09
身体をねじる
身体のストレッチ効果はもちろん、内臓をマッサージする効果がある
意外な事に内臓は固まりやすいそうだ。
身体をねじることにより内臓をマッサージする
ほぐれた内臓は機能を回復、体内に溜まった毒素を排出するなど、デ
トックス効果も期待出来る
台湾の思い出 親友チェンとの出会い 1 出張という名の一人旅 16
サイさんの息子、ベイビーの帰省を機に、サイさん
ファミリーとの仲が急速に縮まった。
「早!」 (おはよう!)
いつものようにベイビーが声をかけてくれる。
「早!」
私も笑顔で応える。
ベイビーが何かを紙に書いて見せてくれた。
「明天工作休暇 有没有時間?」
(明日、ひま?)
毎週日曜日は工場が休み。
いつもは昼近くまで寝て、気が向けば隣町の新竹へ
電車で出かけ、街歩きをしたり映画を観たりしてい
たけど、ベイビーから初めてのお誘いだったので、
一緒に出かけてみることにした。
ベイビーがサイさんのオンボロ車を指さし、「俺が
運転する」というジェスチャーをする。
午前10時に私が宿泊するホテルまで迎えに来てく
れるようだ。
それにしても何処へ行くのだろう?
その質問をどう聞いていいのか分からない。。。
少し中国語の勉強をしないとなぁ。
サイさんファミリーと仲良くなると、工場で働く他
のパートさん達数人との距離も縮まった。
フルーツを持ってきてくれる人
晩ご飯に招待してくれる人
何を話しているのか分からないけど、彼等の気持ち
は伝わってくる。
多少でも中国語が話せれば。。。帰国したら習いに
行ってみようかな。。。そんな思いを強くした。
翌日、約束の時間よりやや遅く、ベイビーがホテル
に来てくれた。
「ドウゾ」
お父さん同様、彼が良く使う日本語だ。
車に乗り込む。
社内のラジオから台湾の演歌のような歌が流れてい
た。
交通ルールはあるものの、やや曖昧な台湾の人達が
操る車やバイクが道路を行き交う。
次第に町を離れ、山間の道を進むおんぼろ車。
力強い緑が視界に広がる。
ベイビーは小さな声で鼻歌を歌う。
会話はないけど気まずい雰囲気もない。
どうせ言葉は通じない。
お互いそんな認識を持っているからか。
だからこそ会話がなくても気楽にしてられる。
30分ほど走ると、大きな建物が見えてきた。
どうやら学校のようだ。
校門で車を止める。
守衛のおじさんが近づいてきて、ベイビーが応対した。
○○科技専門学校
工業系の専門学校のようだな。
校内のパーキングに車を止めて、校内へ入る。
何か催し物でもやっているのかな?
そんな事を想像しながらベイビーの後に続くと、職員室
に到着した。
ベイビーがドアをスライドさせると、数人の教師らしい
人達が振り返る。
「ヘイ」とベイビーが手を上げると、一人の男性がこち
らに向かって笑顔で歩いてきた。
歳は私より少し上くらいだろうか。
30歳(当時)にはなっていない感じ。
細身でサラサラの紙。
とても親しみの持てる笑顔だった。
「コンニチハ」
近づく彼の口からは日本語が飛び出してきた。
「あれ?日本語大丈夫ですか?」
私が聞くと
「はい、少しだけですけど。。大丈夫です」
久々に日本語での会話が出来る!
「私の名前はチェンです。」
日本語で自己紹介してくれた。
これが我が親友との最初の出会いだった。
つづく
未だ覚醒していない人
こんにちは。
先日のクラスでインストラクターさんから次のような話を聞けた。
どうしてヨガをするのか?
人間の身体は未だに覚醒していない。
日々命を保ちながら、朝起きて、食事して、仕事して。。。生きてはいるのだけど、人間が本来持っている能力や感覚は未だに眠ったままで、それを覚醒させ、少しでも良い人生を創造していく、大切な何かに気付く為のツール、方法がヨガなのだと。
脳の構造や働きのほとんどが未だに解明されていないと聞きますし、第6感などと言われる不思議な、でも未来を予測してしまうような感覚の存在などなど。。。人の身体や心ってとても不思議。
ポーズを取り自分の身体を認識する。
呼吸を通して心を落ち着かせる。
そして自分という存在とつながること。
そこに至る過程、至った先には、もっと自分の身体や心を知り、能力が開拓され、心地よく生きていく事が出来るのではないか?
その道を辿る道のようなものなのだろうか?
世の中には様々な現象が満ち、飛び交っている。
一つの現象を受け止める際、同じ現象でもポジティヴに受け止める人とそうでない人がいたり。
それ以前に、様々な事象や現象の存在に気づけず、何も感じないまま人生を終えていく人もいる。
ヨガ的には気づけている人もそうでない人も、どちらも正解という事なのかも知れない。
世の中に飛び交っている様々な事をキャッチ出来るようになりたい。
なんて思うとヨガ的な煩悩になってしまうのだろうけど、その方向へ進んでみたいと思い、ヨガを習うこと、学びを深めていくことは良いことなんだと思う。
まだ文章に書き出せるだけ確信を持てている訳ではないのだけれど、ヨガを習い始めてから8ヶ月で、心の落ち着きや居場所、仕事に対する考え方や実際の行動には変化が現れてきているように感じる。
ヨガを習い始め、骨盤矯正やピラティスの存在を知り、思っていたより多くのクラスに参加するようになった。
ジャンクフードやスウィーツ大好だったのに、味覚が変わり、食事に対する考え方が変わり、口のするものの質量に変化が起き、結果的に体重が7キロ減った。
体重が減った後、今度は体型に変化が現れている。
インナーマッスルが鍛えられてきて、見た目の体型が変わってきているのだ。
今は各種オイルや米、塩、酢などへ興味が広がり、料理に対する興味も視野の片隅に入ってくるようになった。
健康でいたいという気持ちはもちろん、この身体は神様からの預かりもの。出来るだけ綺麗なまま神様へお返しする。
気持ちや考え方に奥行きが生まれたような気もする。
心や身体の微細な箇所に変化が起きると、連結連携する箇所に変化が及び、新たな興味が湧いてくる。
以前だったら気づいたとしても面倒臭がって実行に移せなかったかも知れない。
でも、今は素直にトライしてみようと思うようになった。
トライした結果、自分に合うようなら継続するし、合わないなら自分に無理させない。どちらでも良いのだ。
これらを持って「覚醒に近づいている」とは言えないのかも知れないけど、以前の自分とは確実に違う人間になっていると感じている。
そんな自分を楽しむ毎日。
ヨガに出会えて本当に良かった。
元気ですか!
こんにちは。
梅雨に入り数週間。
梅雨入りはしたものの、割と過ごしやすい日が続いていましたが、台風もどきが去った今日は湿気が一気に感じられるようになった。
外気に体調に水分が含まれる環境下、当然人の身体にも影響が出てくるようです。
体調を崩さないよう気を付けましょう。
もう過ぎてしまったのですが、6月21日はヨガの日でした。
私も驚いたのですが、国連が定めた国際的な日、ヨガの日だそうです。
日本国内でも様々な地域で様々なイベントが開かれていたそうですが、私はヨガを習っているのにそんな日があるのも知らず、普通に過ごしてしまいました。
通っているスクールのインストラクターさんの一人が彼女の知人と一緒にインド大使館で開催されたイベントに参加し、その報告とそこで出会ったヨガのポーズをクラスで実践してきました。
インドから来日されたインストラクターさんのイベントに参加し、そこで出会ったアサナ(ポーズ)は日頃私たちが練習に取り組んでいるものと少し違う形だったようです。
ベースは同じですが、細部の動きやポーズをキープした際の手の位置など、本当に細かな箇所の違いです。
実践してみると同じようなポーズなのに手の位置が違うと維持がキツかったりしました。
中には膝への負担が大きく、スクールでは教えないようなポーズもありました。
短時間でお試し程度なら良いかも知れませんが、毎回となると膝や足首などにも負担が掛かりそうな感じでしたね。
私が通っているスクールでは身体に関する研究を元に、教えるポーズを決めているそうで、確かに無茶なポーズを強いられたことはないです。
健康の為、身体の為、心の為に取り組むヨガで体調を崩してしまうのもどうかと思いますからね。
教える内容がスクールが外部から人を招いたりしてポーズを厳選していると聞くと安心感があります。
インド大使館で開かれたイベントではインドのインストラクターの話を聞く機会もあったそうです。
インドのインストラクターさんの言葉で、「自分自身に聞いて下さい。健康ですか?幸せですか?と。そしてそれらの言葉を他者へもかけてあげて下さい」
私は早朝神社へ散歩した際、日々有り難く生活出来ていることの報告を感謝を神様にしています。
亡くなった祖母と父の仏壇で命を授けてくれた事への感謝を述べるようにしています。
でも、意外と自分への労いや感謝ってしていなかったかも。
その話を聞いてからは自分への感謝も付け加えるようにしました。
生まれてから沢山の事を経験し、立ち向かい、時には逃れながら共に生きてきたこの身体と心。
労ってあげないと!
何かの本か誰かのブログに書いてあったのですが、「人間は生まれた時に授かった身体を出来るだけ綺麗なまま神様へお返しするような意識を持って生活すべき」というような文章に触れたことがあります。
丁度ヨガを習い始め、味覚に変化が起き、食べるもの飲むものに変化が起き始めていたころです。
現代で完璧なオーガニック食で通すのはコスト面でも大変ですし、強い意志を維持するのも大変。
以前より食べなくなりましたが、アイスやケーキなど誘惑も沢山ありますしね。
でも、出来る範囲で、生活を圧迫しない範囲で身体に良いもの、健康を維持出来るものを摂っていくことも取り組むようになりました。
取り組むというと強い意識、意思が必要になってしまうような響きがありますが、野菜を多く摂る、納豆や豆腐、豆類を毎日食べるなどなど。
日本人としては和食中心の普通の食をいただくだけ。
そこにオリーブオイルなど外来のものもうまく取り入れてみようと考えています。
これなら出来ない事はないですし、継続していくうちに情報が集まり、知識も増えて、今よりもベターな生活を実現出来るようになるでしょう。
朝でも夜でも、ちょっとした隙間時間でも、あなた自身に聞いてみて下さい。
「幸せですか?」
「健康ですか?」
ヨガにおける煩悩
こんにちは。
このブログを書いている2019年6月24日は週明け月曜日。
先月から毎週月曜日は午前中のヨガクラスに参加するようになった。
私にとってはややキツめのポーズを取るクラスなのですが、それはそれで面白い。
出来なかったり、出来たとしても結構キツかったりするのだけど、出来ても出来なくても、トライしている自分を楽しむ。
キツい場合はどこがどうキツいのか? キツかったのか?
出来ない事が分かれば対応策としてピラティスでインナーを鍛えたり、インストラクターに質問したりして次のトライに繋げていく。
週末のんびりと過ごし、やや鈍った身体を揺り起こす時間としても、私にとってこのクラスは必須になりつつある。
クラスが始まってからインストラクターから興味深い話を聞く事が出来た。
ヨガにおける煩悩について。
大晦日、お寺で108回の鐘を鳴らして煩悩を洗い流す、なんて話は良く聞きますよね。
ヨガにも煩悩という概念があり、それは大別して5つに分ける事が出来るそうです。
仏教の煩悩もこの5つを深堀りした流れから生まれた考え
煩悩
1 無知
2 自我意識
3 貪欲
4 嫌悪
5 生命欲
からなるそうです。
1 無知
例えば何かを失敗した際、「なんでこんな単純な間違いをしてしまったんだろう。私って馬鹿だな」「も~、いっつもいっつも同じミス連発。私って全然成長しない!」とか。真面目日本人は特に自分を責めてしまいがちだと思います。
でも、それも自分なんだと認めてあげることによって、自分を責める事から離れる事が出来る。
短期的には間違いかも知れないけど、後々、良い経験だったと思える時が来るかも知れない。
少し自分に対して俯瞰した視点を保ち、優しく接してあげる。
自分を知ることと自分との付き合い方を知るだけど、また違った生き方が出来るのではないでしょうか?
2 自我意識
自分はこういうもの、こういう人だと自然と信じてしまっている。
それが良いことなのか?
逆に悪いことなのか?
を意識することもなく、考えることもなく思い込んでしまっている。
それが3の貪欲と4の嫌悪につながります。
「やっと手に入れたアニメキャラのフィギュア!」
「一生懸命働いてお金を貯めて、ようやく買えたブランドもののバッグ!もう一生大切にするよ!」
車や有名レストランでの食事など、誰もが経験したことがある喜びの一瞬。
でも、時間の経過と共に「まだあのフィギュアを買わないとコンプリート出来ないな」「このバッグと同じシリーズのポーチも買わなきゃな」なんて意識が頭を持ち上げてきます。
自分が好きなものに囲まれていたい。
俺はこの車に乗るに相応しい。
あの子が持っているブランドより私が持っているバッグの方が高級。。。
心から好きなものを手にした。
そこまでは良かったのに、そこから派生する欲望に心のコントロールを奪われてしまう。
4の嫌悪は好き嫌い。
生活の場、学校や職場でナゼか好きになれな人の存在。
遠ざけるだけでは飽き足らず、攻撃したり嫌がらせをしてしまったり。
ついついキツい言葉使いをしてしまい、相手を傷つけてしまう。
そんな自分に嫌気がさし、自分も傷ついてしまう。
5 生命欲
人は生きている限り他の生命をいただいて、次の世代へ命をつないでいく。
食べ物が十分に世に渡りきらなかった時代と違い、現代は飽食の時代とも言われて久しいですよね。
日本はとても恵まれた環境にあり、食べ物の確保に苦労するなんて事も減りました。
大量の食品が加工され販売されている。
消費者保護の面で仕方がないのでしょうけど、大量の食品が破棄されている。
「長く生きていたい」という人間が生き物として持っている本能も煩悩として考えられるそうです。
「もっと生きていたい」
「いつまでも健康でいたい」
だからと言って他の生命を無駄に奪い続ける。
他人を蹴落としてでも収入を増やし、豊かな生活を実現する。それが世の中だとふんぞり返っている。
どの感情、思考も人が生きている限りは切り離せないものですよね。
私も長く生きて新しい時代の空気に触れてみたいし、2045年のシンギュラリティ以降の世界を見てみたい。
ならば出来るだけ健康でいたい。
美味しいものを食べていたい。
私は幸い物欲や所有欲が少なく、車や服、持ち物には興味があまりありません。
食べ物も高価で豪華なものはたま~にで十分。
普段は納豆や豆腐、野菜など質素な食べ物で満足いく食生活を送っています。
でも、人間ですからね。
煩悩を切り離して生きていくなんて事は無理です。
煩悩を持ってしまうこと自体は仕方がない。
でも、その煩悩を見つめ、受け止め、理解する。
理解出来なくとも煩悩の存在を認める。
そして流し去る。
煩悩が苦しみに変わり、私たち自身をコントロールする前に。
生きている限り煩悩から自由に生きる事は難しいと思います。
ごく少数の天才や超人を別にして。
自分たちの人生が少しでも自由である為に。
生まれてくる感情や煩悩を見つめ、距離を取って俯瞰する。
仕事とは別のライフワークとして。
私は少しでも煩悩の存在を意識し実感し、対処する方法をヨガを通して学びたい。
今日のクラスを終えたあと、そんなことを考えました。
日進月歩
こんにちは。
ややクラシカルな言葉をタイトルにしてみました。
毎日という訳ではないですが、私の場合、週に5~7時間、出来る時は8時間、ヨガのクラスに参加しています。
通い始める前は週に1度か2度参加出来ればと思ってましたし、通い始めた当初はそんなペースだったと思います。
ヨガに接するのは初めてで、ポーズはおろか呼吸さえままならないし、身体が「こんなことしなくていいよ」なんて感じの反応をしていたのを覚えています。
それまでの日常にはない動き、時間の過ごし方だったので、身体と脳が拒否反応を示していたのかも知れません。
シャバアーサナという単に仰向けになり寝るポーズがあるのですが、その体勢でさえ、背中を上手にマットに付けられない。。。なんて違和感もありました。
3週間、1ヶ月を過ぎた頃からでしょうか、徐々に身体も慣れてきて、呼吸も合わせられるようになり、「もう少し参加するクラスを増やしてみよう」「ヨガ以外の瞑想などにも触れてみたい」と自然と思うようになりました。
思い立ったが吉日。
という事で、すぐに参加するクラスを増やし、瞑想や骨盤矯正のクラスにも参加してみました。
「よし、やってやろう!」なんて意気込みは全くなく、本当に自然とそう思えたので、心の赴くままに行動してみたのです。
結果、週に4~5日ほどスクールに顔を出し、5~8つのクラスに参加しているようになりました。
受付スタッフさんからは「凄いですね!」と声を掛けられるようになり、名前も覚えられるようになり、良くクラスで顔を合わせる方と仲良くなり、食事に誘われるようにもなりました。
習い始めて4ヶ月ほど経過するとヨガへの興味が深まり、関連本を購入してヨガの考え、哲学に触れるようになりました。
そこから興味が広がり、空海に関する本も数冊読みました。
その頃になると、もう少しヨガの難度を上げてみたくなりました。
ポーズの基本的なこと、身体の位置や呼吸、どうしてそのポーズを取るのか?結果、身体にどう影響が出るのか?などなど、触れるほどに興味が増していったのです。
2019年6月現在では、難度の高いクラスへの参加が中心となり、リラックス系ヨガ、骨盤矯正、ピラティスをそれぞれ週に1度参加するようになりました。
骨盤矯正で身体の歪みを補正し、ピラティスでインナーマッスルを強化し、ヨガのポーズを支える身体を補強しています。
ヨガを習い始める前、仕事でよく訪れるタイのバンコクにあるヨガスクールへお邪魔し、アーユルヴェーダの施術を受けました。
その際、スクールのオーナーさんと話をさせていただく機会がありました。
ヨガに興味がある、ヨガを習ってみたいと話したところ、「その気持ちがあるなら習ってみたら。ヨガを習う事は良い習慣になると思うし、良い習慣は良い習慣を連れてくるから」と言われました。
彼女の言葉通り、ヨガがきっかけにして骨盤矯正やピラティスのクラスにも参加するようになりました。
ここでは書きませんが食生活や生活習慣、仕事への考え方や取り組み方なども変わってきました。
本来、自分が求めていたものやすでに持っていたものがヨガをトリガーにして顕在化してきたのかも知れません。
人は変われる。
人は本来多くの可能性を持って生まれてきている。
どちらでも良いし、どちらとも正解だと思う。
自分本来の姿に気づく。
自分本来の可能性に気づく。
気づいたら解放してあげる。
日々是成長。
日々是進化。
日々是覚醒。
言葉にするとプレッシャーになったり、自分自慢な響きが生まれてしまいますが、身体ってちゃんと反応してくれるんだなと思います。
可能性を広げてあげましょう。
身体と会話しましょう。
きっと返事をしてくれますから。
一喜一憂 それさえも楽しむ
こんにちは。
ヨガのクラスでは様々なポーズを学びますが、その中でもベーシックなポーズがあり、クラスやインストラクターが変わっても、必ず取るポーズや、その流れがあります。
ようやくベーシックなポーズの名前を覚え、インストラクターさんが「さぁ次は○○のポーズに行きましょう!」と声を掛けられると、「あぁ、あれだな」などと頭でポーズを思い浮かべる事が出来るようになりました。
私は暗記系が比較的苦手で、ポーズ名はうろ覚えだし、一連の流れで身体が覚えているポーズもあり、その場合はポーズ名を覚えていなかったりします。
それでもヨガを十分楽しめてますけどね。
学ぶ機会の頻度が高いポーズでも、「あぁ、今日は身体が反応してくれている」「今日は身体と呼吸の連動が素晴らしく、とても心地よいな」と感じる日がある反面、「あれ?前回は結構心地よかったのに今日はどこか違和感を感じるな」なんて日もあったりします。
自分の身体のどこかが反応出来ていない。
内臓の調子がイマイチ。
脳が覚醒していない。
など、自分の身体や心、脳に関係している場合と、
天候
気温
その場の雰囲気
など、周囲の要因に反応してしまっている場合があるのだと思います。
ヨガは身体を動かすのと同時に考え方や感じ方なども学べます。
人間は感情を持った生き物。
自分の周囲で起きる現象に反応し、感情が生まれます。
「あれ、前回はうまくポーズが取れて心地よかったのになぁ」と思うとき、そのポーズを取った際に前回同様、心地よい瞬間が来るとか自分はあのポーズが上手く取れるようになっている、などなど、自分や状況に対する期待が膨らんでいるので、期待していた瞬間に巡り会えないと落ち込むほどではないにしろ、違和感を感じてしまいます。
嬉しさや怒り、寂しさや悲しさ。
感情が生まれた際、その感情をさらけ出してしまう場面もあります。
でも、その感情に引っ張られてしまった場合、短期的にはスッキリしたとしても、周囲の人を傷つけたり、騒がせてしまったり。。。吐き出した感情がまた自分の元へ戻ってくるような、そんな経験をしたことってありますよね。
感情が生まれるのは仕方がない。
例えば怒り。
怒っている自分を俯瞰して見つめる。
「なぜ私は怒っているのか?」
「何に対して怒っているのか?」
「どういう時に自分は怒りやすいのか?」
もう一人の自分が怒りに満ちている自分を冷静に見つめる。
そうすると自分という存在が浮き上がってきます。
「あぁ、私はこういう事をされるのが嫌いなんだな」
「私はこういう瞬間にイラッとするんだな」
などなど。
次は怒りの感情を自分から切り離す。
そして切り離した怒りを流し去る。
慣れないうちは難しいし、1度で流し去れない、心の奥底深くに沈んでしまう感情もあると思いますが、その感情が起こった際に、同じ過程を繰り返し、自分の感情に対処してみる。
そう簡単な事ではない場合もあります。
私も幾つかまだ流し去れていない感情があり、時々当時の事をリアルに思い出し、腹が立つこともあります。
でも、それらは過去に起きた事で、もう2度と自分には起きないことです。
そして何度かこの過程を繰り返していくうちに、「なんだぁ、こんな事で自分は腹を立てていたのか!」とそんな自分を可笑しく思う時が訪れるそうです。
確かに、まだ流し去れていない感情以外のものは笑い話のようになっていますし、心の中で解決出来たからなのかあまり覚えていなかったりもします。
感情を切り離して生きていくのは無理です。
私たちは人間なのですから。
感情を見つめ、どう対処するのか?
感情をコントロールするのは難しいですが対処は出来ると思います。
対処することに慣れてくると、感情自体を楽しめるようにもなると思います。
感情から受け取るストレスを少しでも軽減し、自分を癒やし、労りながら、優しく生きていく。
学ぶ事によって生き方が変わる。
学びは癒やしにつながる。
身体の左右差
こんにちは。
あなたは右利き、左利き?
私の場合、幼少期は完全な左利きだったようです。
左利きは何かと不便だろうと判断した両親が右利きにしようとしたけど
中途半端な右利きにしかならなったようだ。
(矯正出来なかったのか、その為の時間が無かったのか。。。?理由は不明)
モノを投げるのは左。
鉛筆や箸を持つのは右。
ヨガを学んでいる間、様々なポーズを取ると「あれ、同じポーズなのに左の方がバランスを取りやすい」とか「このポーズのン場合、右腕の方が可動範囲が広いみたいだ」なんて感じる事があります。
皆さんも日常生活において、同じような感覚を体験したことがあるのではないでしょうか?
身体の左右でバランスの差、可動域の差を感じた場合、より動く方、バランスの良い方でそうでない方を導くようにすると教わった。
教わったものの、まだ実際に身体に活かす事は出来ていない。
まだそのレベルには達していないから、アンバランスな状態を感じてはいても、どう対処したらよいのかが分からない。
でもこの先、もう少し身体が動くようになり、動かせるようになった際に向けて、インストラクターさんから習ったこの言葉を頭に片隅に置き練習に励む。
ほんの少しずつではあるけれど、身体が思うように動ける事も増えてきている。
硬いなりに関節や筋肉、神経が反応し、反応し合い、思い描く理想の動き、ポーズに向けて一歩一歩前進している。
勢いや筋肉の動きでポーズを取るのでは意味がない。
理想に近づく為に己のインテリジェンスを活かす事が重要。
インストラクターさんの師匠の言葉だそうだ。
とても地味な作業の積み重ねという過程が必要だろうから、すぐに答えを見いだして楽になってしまいたい我々には、やや困難な道のりである。
でも、継続は力なり。
何日後かは分からないけど、きっと身体が思い描いたポーズを取れるようになるはず。
その為にもクラスでポーズを取る際は毎回、「今回はもう少しこうしてみよう」とか「前回上手く身体が反応してくれたので、もう少し動きを深めてみよう」などテーマを持って取り組んでみることにしている。
ヨガを習い始めてから意識するようになった感じ方や考え方。
それらは自分のビジネスに取り組む姿勢にも反映されるようになったように感じる。
まだ大きな結果に結び付いた訳ではないのだけど、以前は短期間に結果が出ないと放り投げてしまったり、何かと言い訳を付けて活動を止めてしまったりすることが多かった。
でも、最近は違うのだ。
地道な作業、地道な仕事をコツコツと継続出来る、積み上げていく事が出来るのだ。
短期的に数字に結び付かなくても、仕事を積み上げていくとある地点でポツポツと結果に結び付くことも経験出来るようになってきた。
この小さな結果を実感出来るようになったのも収穫なのだ。
結果が出てもそうでなくても、最低限、自分がコミットした場所までは仕事を継続してみる。
結果に結びつかなくても、トライした経験は残るので、新たに何かに取り組む際には経験として活かす事が出来る。
そう、ステップアップした自分に出会えるのだ。
ヨガも仕事もトライから得られるアウトプット。
結果に結びつかないなら理由を考える。
考えたら改善して再トライ。
常にたゆまぬトライアル。
仕事は以前から好きだったけど、最近は更に面白さを感じるようになってきた。
さて、来週も新たなトライアルに挑戦だ。
アヒンサー 非暴力
こんにちは。
今日もヨガスクールに行ってきました。
2つのクラスに参加。
前半はピラティス。
初心者向けの内容で主に体幹を刺激する内容になってます。
ヨガの鼻呼吸と違い、鼻から吸って口から吐く呼吸を繰り返すのですが、ようやく
慣れてきました。
参加した当初は呼吸の切り替えがうまくいかず、ワークの間に戸惑う場面が多々あったのですが、今でもところどころで間違えるものの、以前に比べれば随分慣れてきました。
2つ目はリラックス系のクラス。
クラスが始まる前、インストラクターさんがヨガに関する話をしてくれます。
今日のお題は「アヒンサー」でした。
アヒンサー。
サンスクリット語で「非暴力」を意味する言葉なのだそうです。
ガンジーやガンジーに影響を受けたキング牧師などを通して非暴力主義という言葉や考え方に触れられた方も多いのではないでしょうか?
仏教やヒンズー教、ジャイナ教などにより、非暴力の考えをどこまで広げるのかに差があるようですが、余り難しい話は避けることにします。
インストラクターさんからお題の提供がありました。
「日常、自分がイラッとする瞬間を振り返ってみた場合、自分にはある傾向があるのではないか?それを感じ取ることは出来ますか?」というもの。
各人それぞれ、イラッとするボタンを押すスウィッチのようなものが存在するのかも知れません。
私の場合はスマホ片手にノロノロ、フラフラ歩いている人が自分の前を歩いている場合、または私に向かって歩いてくる場合、とてもイライラします。
急に立ち止まる人、進行方向を変える人にもイラッとします。
イラッとする程度ですが、タイミングによっては「この馬鹿!」と言ってしまったり、舌打ちしてしまったり。。。。
反応してしまった瞬間の数秒後に、そんな自分に嫌悪感を感じたりします。
あんな反応しなくてもよかったんじゃない?ってね。
イラッとする場面を思い出し、「あぁ、自分はこういう事に対してイラッとするんだな」と思いながら、イラッとしている自分に向き合う事を繰り返していくうちに、段々と自分を俯瞰する視点に立つ事が出来、イラッとしている自分を笑ってしまう事も出来るそうです。
現時点では非常に困難ですが、瞑想を通して客観視したり、日々の繰り返しで自分のスゥィッチを押すアクションを収める事が出来るかも知れない。
イライラする自分に嫌悪感を抱く、あの不快な感覚から解放される可能性があります。
不愉快な感情を抱いている時間を減らす事が出来れば、人生をもっと豊かに生きられる。
自分の感情をコントロールするのは困難でしょうが、受け止め方を変えていくことは出来るような気がします。
今、この瞬間からイラッとした自分に対する対処法を学んでみようと思います。
日々、実践の繰り返し、積み上げが大切ですからね。
ではでは。