台湾の思い出 怖い話 3 出張という名の一人旅 20話

昼ではなく夜に現れた真面目君

表情ひとつ変えず、手にはヘルメット。。。

強い嫌悪感と拒否感が沸き上がった。

「今天累」(今日は疲れてる)
とややふてくされた表情を作り、真面目君に伝える。

が、その場から動く気配はなく、手にヘルメットを持ったまま。

見かねたベイビーが真面目君に何やら話をしてくれた。

表情を変えずベイビーの話を聞いていた真面目君はそのままの
表情でバイクのエンジンをかけ、どこかへ立ち去った。

助かった~

ベイビーに「謝謝」と言うとベイビーは人差し指で自分の頭を指し
「アタマ コンクリ」と言った。
(台湾語で頭がどうにかしている。。。という意味。台湾の人は日本
語だと思っているらしい)

自転車でホテルに戻り、少し休んでから晩ご飯に出かけた。
場所はホテル近くにある掘っ立て小屋を利用した食堂だ。

ここはチャーハンが美味しい。
そして水餃子も!

冴えないご主人と美人の奥さん2人で切り盛りしている、小さくても
繁盛しているお店。

当初、私の事を香港人だと思っていたようだ(笑)

言葉は通じないが、いつも笑顔で接客してくれ、お会計も少しだけマ
ケてくれる。

食べながら「好吃」(美味しい)と親指を立てる私を、笑顔でウンウ
ンとうなずきながら、2人楽しそうに何やら話していたのが、今でも
印象に残っている。

食事を終え、小さな商店で紙パック入りのオレンジジュースを買う。
この商店も行きつけになっていた。

店番の女の子が笑顔で何やら話しかけてくれるけど、全然意味が分か
らない。

言葉は分からなくても、いつもの顔があったっりすると行きつけにな
るものだ。

「バイバ~イ」と手を振る。
愛嬌のある女の子。

2~3分歩いてホテルに戻る。

風呂に入り、ベッドに横になりテレビのスウィッチをオンにする。
見るのは台湾のMTVだ。

地元台湾歌手の歌が流れるのとき、歌詞に合わせて漢字の字幕が画面
したに映し出される。

歌を聴きながら、それらの言葉がどう発音されているのかを聴くのだ。

視覚と聴覚の両方で中国語に触れる。
台湾滞在中、少しでも言葉を覚えてサイさんやベイビー、工場の人達
と交流したい。
そんな思いが強くなり、思いついた勉強法だった。

字幕を目で追いながら歌を聴き、少しリラックスしていると部屋の電
話が鳴った。
電話を取り上げるとフロントからだった。

「お知り合いの方がいらしてますよ」
「はい、ありがとう」
と電話を切る。

ベイビーが遊びに来たのかな?と思いながらフロントへ向かった。

フロントの勤務する女性が私に気が付き、「お友達がいらしてます」と
笑顔で話しかけ、手を「私の友達」の方へ向けた。。。。

背筋が凍った。。。。

真面目君が立っているのだ。

なんでここが。。。。あっ、初対面の時、ここに宿泊している事をアウ
トレイジな男に話し、それを真面目君は聞いていたのだ。

相変わらず手にはヘルメット。

怒りがこみ上げてきた。
こんなところにまで。。。。

フロント勤務の女性達の目があり、ここで感情を爆発させたくないと思
い、真面目君の肩に手を置いて、フロントロビーから2人で外に出た。

エレベーターで1階に下りてから

「今天我累」(今日は疲れている)と話す。
真面目君は表情ひとつ変えず、ヘルメットを私の目の前に差し出し。

そして小さな声で「一起吃飯」(一緒にご飯食べよう)と言った。

気色悪い。。。。
言葉は良くないが、それが私の正直な気持ちだった。

なんなのだ、この男は。。。。毎日職場に現れ、ついにはホテルにまで
。。。

「今日は行かないよ。悪いけど帰ってくれ」

差し出したヘルメットを私に向けたまま表情を変えず、帰る素振りも
見せない真面目君。

私はそんな真面目君に背を向けエレベーターのボタンを押し、真面目君
をそこに残して部屋に戻った。
真面目君は追っては来なかった。

フロントの女性達が「友達とお出かけするんじゃなかったの?」と聞い
てきた。
その場の雰囲気を壊したくなかった私は「少し話があっただけなんだ」
と答えて部屋に戻った。

これだけ拒否するれば、もう来ないだろう。
来る筈はない。。。
来ないよな。。。

来る。。。かな。。。。

つづく

台湾の思い出 怖い話 2 出張という名の一人旅 19

午前11時30分
工場の昼休みが始まる時間だ。

今日のご飯は何だろう?
サイさんの家でいただくお昼ご飯。
これがちょっとした楽しみになっている。

美味しい水餃子はほぼ毎日食卓に並ぶ。
あんなに食べても全然飽きが来ない。

サイさんが笑顔で
「吃飯 吃飯 !」(ごはん ごはん!)
と話しかけてくれる。

「謝謝!」と答え、サイさんの後について工場の門を出た。

工場の外に1台のバイクが止まっている。
誰だろう。。。
良く見ると昨日ご飯を一緒に食べた真面目君だ。

サイさんと打ち合わせでもあるのだろう。

サイさんが真面目君に話しかけ、何やら会話している。

サイさんが振り向き、私に何か話している。

全然分からない。

真面目君がバイクから降りて私に近づき、バイク用のヘルメット
を手渡す。

えぇ?どういう事???

サイさんは笑顔で「一起去 吃飯!」(彼と一緒に昼ご飯食べてきな)
と言っている。

あっ、そういう事かぁ~
前もって言ってくれれば良いのになぁ。
まぁ、こういうところも台湾風なんだな。

そう思い、サイさんとのお昼をキャンセルし、真面目君のバイクの後
ろに座る。

今日はアウトレイジ男はいない。
ということは会話が。。。。
言葉が通じないし、この真面目君は口数が少ない。。。まぁ、ご飯を
食べてれば自然と話も出てくるだろう。

前日とは違う店に案内してくれた。
ここも台湾料理。
昨日と同じくビールでコップを洗う真面目君。

メニューを見せられるけど何の料理か全然分からないので
「都 ok 」(何でもいいよ)と答える。

3~4品の料理が運ばれてきた。
箸を伸ばし、料理をいただく。

う~ん、ここも美味しい!
地場の美味しい店。
小さな町だけど、まだまだたくさんあるのだろうな~

その後に起きる悲劇など知るよしもない。
のんきに食事を楽しんだ。

食事が終わり、真面目君がバイクで工場まで送ってくれた。
会話はほぼなく食事しただけで終わってしまったけど、真面目君の
印象は悪くない。

また食事に行くチャンスがあれば、そのときまでにもう少し中国語
を勉強しておこうかな?

サイさんの工場に戻り、午後の仕事スタート。

翌日
午前11時30分
さ~て、今日はサイさん名物水餃子が食べられるかな~
と期待して工場の門を出た。

またバイクが止まっている。
手にヘルメットを持った真面目君だ。

今日も来てくれたのか!

サイさんが行ってきな!とジェスチャーで促す。
そして真面目君のバイクにまたがり、竹南の中心部へお昼ご飯。

翌日。
午前11時30分。
工場を出る。。。。。いる。。。真面目君が待っている。

せっかく来てくれたんだし。。。今日も真面目君とご飯に行くか。

翌日もその翌日もお昼に工場を出ると真面目君が待っている。

そんな日々が2週間ほど続いたある日。
その日は大雨が降っていた。

お昼休みが始まる。
さすがに今日は来ていないだろう。。。。いる。
カッパを着て手にヘルメットを持った真面目君が。。。。

毎日毎日工場の外で待たれている事に対して窮屈な思いが募って
きていた。

「下雨、不要去外面」(雨だから外には行きたくない)
と伝えるが、
「没問題」(問題ないよ)と真面目君。

いやいや、君は問題ないのだろうけど。。。こっちの事も考えて
よ。

冷たいと思われても仕方ないやと思い、私はサイさんの家に入っ
た。

サイさんの家で食事をしている間、仕事をしている間、真面目君
の事が頭の片隅にある。

真面目君の行動に対する拒否感が芽生え始めていた。

18時
工場の仕事が終わった。

ベイビーが「雨が止んだよ。また明日ね。」と話しかけてきた。

「明天見!」(またね)と手を振り、工場の外へ。。。。

いる。。。。
真面目君がヘルメットを手に。。。。私を待っている。。。

つづく

台湾の思い出 怖い話 1 出張という名の一人旅 18

ある日、2人の男がサイさんの工場を訪ねてきた。

サイさんの取引先で、今回私が所属している会社がオーダーした
クリスマスツリーの箱の製造を請け負っている、町の小さな工場
の人らしい。

サイさんが手招きをする。
私と彼等を引き合わせてくれた。

1人はちょっとチンピラ風の。。。映画アウトレイジに出てきそ
うな雰囲気の男。

もう1人は髪を7-3にキッチリと分け、黒縁メガネをかけた、
いかにも真面目そうな男。

「 hello, nice to meet you 」
チンピラ風のの男がにこやかに手を差し出す。
英語だ。

「英語、話せるの?」と聞くとアウトレイジな男がニコリと微笑
みながら「あぁ、以前は貿易会社で仕事をしていたんだよ。その
会社、倒産しちゃったんだけどさ」と答えた。

「 do you speak english ? 」
もう1人の真面目君に聞くと、びっくりしたような表情で手を振
った。

真面目君は見たまんま。
いかにもって感じの真面目君だった。

箱に関する話をしているとき、アウトレイジな男が「ねぇ、昼は
どうしてるの? 時間があるなら一緒にご飯でもどう? 美味し
い店があるんだよ」と食事に誘ってくれた。

サイさんやベイビー、そしてチェン。
少しずつ台湾の友達が増え始めていたので、彼等とも仲良くなり
たくなった。

幸い、アウトレイジな男は英語が出来るので会話にスムーズだ。

「本当?嬉しいな。台湾の料理、美味しいよね」とお誘いを受
けることにした。

午前中の仕事が終わると、工場の外に2人の男が立っていた。
暑い中、待っていてくれたようだ。

近づくと真面目君が表情を変えずにヘルメットを差し出してきた。
バ、バイクで移動かぁ~
ちょいと怖いな。。。と思いつつヘルメットを受け取り、被る。
臭いなぁ~~~

真面目君が運転するバイクの後部座席に座り、田舎町をバイク
で疾走した。

鋭い夏の日差しに焼けた肌を掠めていく冷たい風が心地良かっ
た。
台湾に来て初めて乗ったバイクだった。

2台のバイクが向かった先は小さな小さな台湾料理屋さんだっ
た。

店の中はテーブルが5つ。
あとはカウンター席だ。

良く分からない台湾料理が運ばれてくる中、当時は日本であま
り見かける事がなかった羽根付き餃子が運ばれてきた。

「ここの餃子は美味いんだよ。さぁ、食べて食べて」
アウトレイジな男が気さくに勧めてくれる。

「ビールでいい?」
おいおい昼間だよ。しかも飯食ったら工場で仕事するんだから

「コーラでいいよ。酒、飲めないから」

そう答えておいた。

小料理屋の奥さんがビール2本とコーラを運んできた。
真面目君が受け取り、3つのコップのビールを注ぐ。

慌てて「 no no ! 」と言って、ビールを注ぐのを止めさせよ
うとしたら、真面目君が「分かってる」というような顔をして
ビールを注ぐ手を止めた。

コップ3分の1位注いだビールをコップをクルクル回して泡立
てる。
そしてコップの中のビールをポィっと店の床に捨てた。

エッ!
一瞬驚いた。
店の人、怒るんじゃないかと不安になった。
けど、店の人は特に気にしていない。

ビールでコップを洗ったのか!
しかも泡立てて。。。(笑)

羽根付き餃子に箸を伸ばす、口に運ぶ。。。。う、美味い!
言い方は悪いけど、こんな小汚い店なのに味は絶品!

1人だったら絶対に入らない店。
現地の人達と一緒だから知る事が出来る地元の美味い店、美味
い品!

アウトレイジな男は香港での勤務経験もあり、仕事の話からつ
まらない冗談まで幅広い話題と独特の話術で場を盛り上げてく
れる。
真面目君が時折ニッコリとして話を聞いている。

昼休みは90分。
「そろそろ工場へ戻らないと」と私が切り出す。

「そうだね。サイ社長に怒られちゃうよね。送っていくよ」と
アウトレイジな男が言いながらお会計を済ませてくれた。

送ってくれるのは良いけれど、この2人、結構飲んでたな。
でも、工場に帰るにはこの2人のバイクに乗るしか手がないの
で仕方なく真面目君のバイクに2ケツした。

酔っ払い運転に慣れているのだろうか?
無事、サイさんの工場まで戻ってこれた。

「ありがとう。楽しかった。料理も美味しかったよ」とお礼を
言うと、「良かったらまた食事しようよ。今度は晩ご飯でも。
この町は小さいけど、美味しい店はまだまだあるんだよ」とア
ウトレイジ。

「嬉しいな!是非誘ってよ」と宿泊しているホテルの電話名前
を告げ、部屋番号を書いた紙を渡した。
当時はまだ携帯もスマホもない時代だった。

「 ok, see you 」とアウトレイジには英語で。「再見」と真
面目君には中国語で別れを告げた。

あまり表情を変えない真面目君が笑顔を見せて、コクリとうな
ずく。

2人は手を振りながら、なぜかヘルメットを被らずに走り去っ
て行った。。。。

楽しかったなぁ~
あの羽根付き餃子、なんだあんなに美味いんだろう。
そしてまた新しい友達が出来た!

台湾でどんどん友達が増えていく。

心が躍っていた。。。。。この時はまだ、翌日から起きる恐怖
の日々を知らなかったから。。。。

つづく

台湾の思い出 親友チェンとの出会い 2 出張という名の一人旅 17

日本語が出来る台湾人。
専門学校で教師を務めるチェンとの出会い。

チェンはほぼ独学で日本語を学んだという。

特にきっかけがあったという訳ではなく、おじいさん、そして
彼のお父さんも日本語で話す事が出来る、家庭内で日本語が当
たり前のように存在していたそうだ。

親から日本語の勉強を勧められた訳でもなく、家庭内に置いて
ある書物、父親が良く聴いていた日本の歌。テレビで放映され
ている日本のテレビ番組を見ているうちに、平仮名、片仮名が
書けるようになり、話せるようになっていたという。

チェンが言う。
「ベイビーはこの専門学校で私の生徒でした。先日、ベイビー
から久々に電話があり、ウチの工場に日本人がいるけど、中国
語が話せない。毎日仕事ばかりしていてつまらなそうにしてい
る。先生、友達になってくれないか?との内容でした。」

私は別に台湾での生活がつまらない訳ではなく、また孤独を感
じてもいなかったのだが、初めて訪れた台湾で友達もなく過ご
している私を見ていたベイビーが心配してくれ、日本語が出来
るかつての恩師、チェンに電話を掛けてくれたのだ。

「ご飯でも食べに行きませんか?」
チェンが食事に誘ってくれた。

「あまり美味しくないかも知れないけど、和食でも食べに行き
ましょう」と私に気を使ってくれた。

ベイビーは父の仕事の手伝いがあるとのことで工場に向かった。
私はチェンの車に乗って学校から少し離れたエリアへ移動した。

移動する車の中でチェンが演歌の歌を流す。
「日本の歌、私は好きなんです」

古い演歌だ。
子供の頃に聴いた事があるような、ないような。。。

食事をしながら、お茶を飲みながらチェンとの会話は終わる事
なく続いた。

「これは内緒の話ですよ」
初対面の私にチェンは秘密の話をしてくれた。

専門学校で教師をしながら、週末は住宅設計の仕事をしている。
公務員なのでバレたら首になる。

将来はどうしても設計の道で食べていきたいので、学校には内
諸でフリーとして設計の仕事を請け負っている。

仕事を宣伝することは出来ないのだが、設計した仕事は好評で、
気に入ったクライアントが次のクライアントを紹介してくれる
ので、仕事は途切れることなく入ってくるそうだ。

家は代々資産家の家系でお金には不自由していない。

教師として生徒に技術を教えるのも好き。
設計の仕事のキャリアも積んでいきたい。

貪欲に好きな事を追求しているチェン。
当時サラリーマンだった私にはキラキラと輝いて見えた。

「もうひとつ秘密があります」
チェンは話を続けた。

担当するクラスには経済的に苦しい環境にある子供がいる。
その中で一生懸命勉強している生徒を選び、個人的に学費の補
助をしているのだという。
補助と彼は言っていたが、学費のほぼ全額を彼が納めているの
だという。

「私は幸い裕福な家庭に生まれ、幸い2つの好きな仕事をする
事が出来てます。まぁ、バレたらクビになってしまうけど(笑)
だから、稼いだお金の一部は社会に還元したいのです。

「真剣に勉強したい生徒を応援する。
それも私に与えられた使命です。」

卒業後も社会に馴染めず会社努めが出来ない元生徒を1~2人
選び、彼の事務所で雇い、平日、彼が動けない時に設計図を運
んだり、資材の発注や業者への連絡などをしてもらう。

元生徒達は少ないけど給料を貰いながら、人との関わりを学び、
社会になれていく。
もちろん、他でバイトをする事も出来るので生活していくのに
十分なお金を稼ぐ事は出来ている。

大体1~2年で事務所を卒業してもらい、チェンの知り合いの
会社などへ就職の斡旋もしているのだという。

「チェン、君は凄いね!」
心からそう思い、その思いを口にした。

「ありがとう。でも、当然のこと。私は誰かを助けるのも好き」

真面目なばかりではなく、チェンはお酒もカラオケも大好き。
社交ダンスも上手い。

毎週末、私はチェンと新竹の街で会い、食事をし、バーで酒を
飲み、カラオケやダンスホールへ連れて行ってもらった。

チェンの周囲にはいつも大勢の人達が集まってくる。
元生徒たち、同級生や幼なじみ。

台湾のカラオケボックスが広いので、いつも20人くらいで大
騒ぎ。

遊びが終わるとチェンは隣町の竹南まで車で送ってくれるのだ
が、相当飲んでいるので危険を感じる事もあったけど、私も若
かったので、それを楽しんだりもしていた。

ある日、バーで飲んだ後、いつものようなチェンが車を運転し
て私をホテルまで送ってくれていた時の出来事。

後ろでサイレンを鳴らしながらパトカーが近寄ってきた。

警察だ!
チェンも私も酒を飲んでいた。

「チェン、パトカーだよ。捕まっちゃうね」と言うと、チェン
は「大丈夫」とニコニコしている。

「大丈夫って。。。パトカーが追いかけてきてるし、逃げ切れ
ないよ。どうするつもり?」と私が聞く。

「今から私は日本人、あなたも日本人。彼等が何を聞いてきて
も分かりません、ごめんなさいとだけ応えてね」

そんな方法が通用するのかな~?
半分呆れながら、それも面白そうだと思い、チェンの言う通り
にしてみることにした。

車を止めるとパトカーも止まり、2人の警察官が出てきた。

車のドアの窓をコンコンと叩き、窓を開けるように促された。

チェンはニコニコしながら窓を開ける。

警察官が何かを言っているけど、当然私には理解が出来ない。

チェンが「ごめんなさい。私たち日本人。中国語、分かりま
せん」

警官が何かを言う度にチェンは同じ台詞を繰り返す。

警官も引き下がらず、英語で「パスポート、パスポート!と
パスポートを見せるよう要求をする。

それでもチェンは「何ですか?何ですか?どうしよう、分か
りません。ごめんなさい」と繰り返す。

私も両手を広げ「分かりません」と繰り返していた。

こんなことして警察署に引っ張られるんじゃないかな?と不
安に思ったりしたけれど、警官2人が「ゴー、ゴー!」と怒
りながらパトカーに戻ってしまった。

パトカーが停車している我々の車を追い越して行った。

チェンは笑いながら手を叩く。
「ね、大丈夫だったでしょ?」

大丈夫だったでしょって。。。(笑)

当時の台湾はとてもおおらか。
今では通用しないと思いますので、真似をしないように願い
ます。

台湾の思い出 親友チェンとの出会い 1 出張という名の一人旅 16

サイさんの息子、ベイビーの帰省を機に、サイさん
ファミリーとの仲が急速に縮まった。

「早!」 (おはよう!)
いつものようにベイビーが声をかけてくれる。

「早!」
私も笑顔で応える。

ベイビーが何かを紙に書いて見せてくれた。

「明天工作休暇 有没有時間?」
(明日、ひま?)

毎週日曜日は工場が休み。
いつもは昼近くまで寝て、気が向けば隣町の新竹へ
電車で出かけ、街歩きをしたり映画を観たりしてい
たけど、ベイビーから初めてのお誘いだったので、
一緒に出かけてみることにした。

ベイビーがサイさんのオンボロ車を指さし、「俺が
運転する」というジェスチャーをする。

午前10時に私が宿泊するホテルまで迎えに来てく
れるようだ。

それにしても何処へ行くのだろう?

その質問をどう聞いていいのか分からない。。。
少し中国語の勉強をしないとなぁ。

サイさんファミリーと仲良くなると、工場で働く他
のパートさん達数人との距離も縮まった。

フルーツを持ってきてくれる人
晩ご飯に招待してくれる人
何を話しているのか分からないけど、彼等の気持ち
は伝わってくる。

多少でも中国語が話せれば。。。帰国したら習いに
行ってみようかな。。。そんな思いを強くした。

翌日、約束の時間よりやや遅く、ベイビーがホテル
に来てくれた。

「ドウゾ」
お父さん同様、彼が良く使う日本語だ。

車に乗り込む。
社内のラジオから台湾の演歌のような歌が流れてい
た。

交通ルールはあるものの、やや曖昧な台湾の人達が
操る車やバイクが道路を行き交う。

次第に町を離れ、山間の道を進むおんぼろ車。

力強い緑が視界に広がる。

ベイビーは小さな声で鼻歌を歌う。
会話はないけど気まずい雰囲気もない。

どうせ言葉は通じない。
お互いそんな認識を持っているからか。
だからこそ会話がなくても気楽にしてられる。

30分ほど走ると、大きな建物が見えてきた。

どうやら学校のようだ。

校門で車を止める。
守衛のおじさんが近づいてきて、ベイビーが応対した。

○○科技専門学校

工業系の専門学校のようだな。

校内のパーキングに車を止めて、校内へ入る。

何か催し物でもやっているのかな?

そんな事を想像しながらベイビーの後に続くと、職員室
に到着した。

ベイビーがドアをスライドさせると、数人の教師らしい
人達が振り返る。

「ヘイ」とベイビーが手を上げると、一人の男性がこち
らに向かって笑顔で歩いてきた。

歳は私より少し上くらいだろうか。
30歳(当時)にはなっていない感じ。
細身でサラサラの紙。
とても親しみの持てる笑顔だった。

「コンニチハ」
近づく彼の口からは日本語が飛び出してきた。

「あれ?日本語大丈夫ですか?」
私が聞くと

「はい、少しだけですけど。。大丈夫です」

久々に日本語での会話が出来る!

「私の名前はチェンです。」
日本語で自己紹介してくれた。

これが我が親友との最初の出会いだった。

つづく

台湾の思い出 マツァンとズームー 出張という名の一人旅 15

サイさんの息子、ベイビー

台湾には兵役の義務がある。
当時は2年間だったと記憶しているが、最近は1年、8ヶ月と
期間が年々短縮される傾向にあると聞いた。

ベイビーは夏休みを利用して家に帰ってきたのだ。

目つきの悪い男という印象だったけど、仕事に対しては真面目
で、パートさん達に気さくに声を掛けたりして場を和ませてい
た。

私に対しても就業前後に挨拶の言葉を掛けてくれたり、飲み物
を買ってきてくれたり、とても気を使ってくれた。

歳は私より2歳年下。
もしかしたら英語が話せるかな?と思ったが、「英語は全然だ
よ~」とのことだった。

息子と仲良くしている私を見て、サイさんも親近感を覚えてく
れたようで、ある日「一起吃飯」(一緒にご飯食べよう!)と
声を掛けてくれた。

工場の昼休み。
工場隣にあるサイさんの家に招待された。

ダイニングルームに中国料理屋にある丸くてクルクル回るテー
ブルが置かれていた。

「ドウゾ」
サイさんが席に座るよう促してくれた。

しばらくするとサイさんの奥さんや娘さん達が次々と料理の乗
った大きな皿を幾つも運んできてくれた。

奥さんと娘さん。
いつも無愛想だけど、不親切という訳でもない。
箸や小皿を手渡してくれる。
「謝謝」というとニコリともせず「ハイ」と答えて、キッチン
に戻って次の料理を運んでくる。

台湾の家庭料理は初めてだ。
見た事もない料理の中にひとつだけ知っている品があった。
水餃子だ。

台湾では焼き餃子より水餃子が一般的で、あまり外れがない。

ご飯の入ったお椀を片手に水餃子に箸を伸ばす。
一口食べてみる。
おっ、美味しい!
とても美味しいのだ。

外で食べる水餃子レベルの美味しさだ。

「好吃!」(美味しい!)
思わず声が出た。

サイさんが笑顔を向けてくれた。
奥さんと娘さんも初めて笑顔を見せてくれた。

野菜炒めや肉炒め、スープも美味しかった。

どれを食べても「美味しい」を連発する私を見て、サイさん
ファミリーから笑顔が漏れる。

相変わらず言葉は通じないままだけど、一緒にご飯を食べる
と人と人との距離感は一気に縮まるものだ。

食後は中国茶を煎れてくれたサイさん。

テーブル席からリビングにあるソファに座るよう促してくれ
た。

サイさんがおもむろにテレビの電源を入れる。

画面に映ったのは台湾のバラエティ番組だった。

サイさんとベイビーはそれを見て大笑い。
私も画面を見ながら、台湾タレントの大袈裟な動きを見て笑
っていた。

そのときサイさんが「マツァンとズームー、知ってる?」と
聞いてきた。

マチャンとズームー?
何だそれ?

「不知道」(知らない)と答えると、
ベイビーが驚いた顔をして、
「エ~ッ、知らないの?マツァンとズームーだよ?」
「超有名な日本人で台湾でも人気だよ~」

日本で売れなくなった芸能人が台湾に渡って一発逆転し、成
功を手にしたのだろう。

何度も同じ事を聞かれ、何度も同じ答えを返す。

面倒なやり取りにうんざりした私はサイさんに紙に書いて
くれ!とジェスチャーでお願いした。

「OK OK」
近くにあった紙にペンで何かを書き込むサイさん。

そしてそれを私に見せてくれた。

紙に書かれた文字を見ると。。。。

馬場、猪木

と書いてあった。

おいおいおいおい、馬場がなんでマツァンなんだよ、猪木
がなんでズームーなんだよ~

確かに中国語読みだとそうなのかも知れないけど、どちら
も日本人。日本語読みで話してくれないと分かる訳ないよ。

私が「知道 知道」(知ってる、知ってる)
と答えると、サイさんとベイビーが手を叩いて大笑い。

リモコンでプロレスを放映するチャンネルに合わせてくれ
た。

この日から毎日、お昼はサイさんの家でいただくことになり、
ご飯のあとはプロレスを見ることになった。

サイさん一家との距離が急速に縮まる。
台湾の夏休み。

台湾の思い出 新たな登場人物 2 出張という名の一人旅 14

台湾の夏休み

工場で働く新戦力。。。と言って良いのか近所の子供達

そして現れた目つきの悪い謎の男。。。
こやつは一体だれなんだ???

サイさんがこちらに視線を向けて、男に何か話しかける。

話しながら、こちらに向かって歩き始めた。

謎の男を紹介してくれるのだろう。。。しっかし目つき
が悪いなぁ~

「ハイ!」
サイさんが笑顔で手を上げる。

「早!」(おはよう!)
私も笑顔で答える。

「エ~~~」
サイさんが言葉に詰まる。。。。

中国語を理解しない私にこの男をどう説明するのか迷っ
ている。

思い出したかのようにペンと紙をポケットから取り出し、
ササッと何かを書き出した。

その紙を見せてくれたのだけど。。。サッパリ分からな
い。。。。

私は両肩を持ち上げ、首をすくめて首を左右に振る。

分からない、という意思表示。
このジェスチャーは通じる。

「エ~。。。。ワッハッハッハ」
「ハッハッハッハ」

笑うしかない。

サイさんが目つきの悪い男を指さし、「ベイビー」と英
単語を口にした。

「ベ、ベイビー?」

この男の名前、いや、あだ名のようなものなのだろうか?
でも、全然ベイビーフェイスじゃないぞ。。。

「サイさんベイビー サイさんベイビー」

日本語を知らないサイさんは自分の事をサイさんと言う。
それがいつも可笑しかった。

「サイさんベイビー?」と質問系で聞き返すと「ハイ」と
笑顔でサイさんが返す。

いやいや、質問してるんだけど。。。

今度はサイさんが身振り手振りを使い出した。

「サイさん」と言って自分を指さし、「ベイビー」とその男
を指さす。。。お~い、なんだそれ?全然分からないよ~

そのうちサイさんの娘さんが出勤してきた。
無愛想な娘さん。

彼女が目つきの悪い男を指さし「マイブラザー、ヤンガーブ
ラザー」と言って椅子に座った。
なんとも素っ気ない。

サイさんベイビーはサイさんの息子だったのだ。
こんな成人した男を指さしてベイビーを連発されても分から
ないよ~
しかも全然似てないし

サイさんファミリー
家族がそれぞれ違う顔をしていて、誰一人として血が繋がっ
ている感じがしない。

「ハロー」
目つきの悪い男が慣れない英語で挨拶した。

「ハロー」と私が返事をすると、ニコリとした。

笑うと随分表情が変わる男だ。

サイさんから紙とペンを受け取り、文字を書き、それを私に
見せてくれた

「夏天休暇 我回家」
夏休みなので家に帰ってきた。
そんな意味なのだろう。

学生なのかな?
「学生?」と私が紙に書く。

「ノーノー」と答えながら、また紙に書く
「兵」

軍隊で働いているのか?

身体はがっしりしてるけど、強そうではないなぁ。。。

つづく

台湾の思い出 新たな登場人物 1 出張という名の一人旅 13

工場が賑やかだ。

工場前の敷地で遊ぶ子供達
彼等が走り回る、ケタケタと笑う声。

幼稚園児、小学生。
人数は少ないけど中学生も混じっている。

台湾の夏休み。

工場近辺には民家が数軒しかなく、朝から夕方まで働
きっぱなしだったので、近所の方々とは触れあう機会
もなく過ごしていた。

それにしても結構な数の子供たち。
工場近辺に住む人の子供たちとその友達なのだろう。

大きな声を出して走り回り、大きな声で笑う。
相変わらず何を話しているかは分からないけど、子供
達を見ていると、自然と笑顔になる。

8時半。
始業時間。
さて、今日も仕事するぞ!

工場に入ろうとすると、子供達が次々と私を追い越し、
工場の中へ。。。。

あれ?
なんで子供達が工場の中へ。。。???

工場に入ると子供達が大人に混じって作業場に座って
いる。

工場で働くパートさん達の子供だ。

台湾は基本共働きと聞いたことがある。
夏休み。
家に子供だけを置いておく訳にはいかず、職場に連れて
きているのだな。

日本ではなかなか見ない風景だな。。。と和んでいると
。。。。

はっ、働き出した!
子供達が働き出した!!!

親に混じって子供達が工場内で働き出したのだ。

もちろん単純作業の部署だけど。。。中学生以下の子供
達が大人に混じって働いている光景に驚かされた。

親に何かを言われながら、ウンウンとうなずいている。
目が真剣だ。

「おはよう!」
社長のサイさんだ。

私は子供達を指さし「小朋友」(子供たち)と言うと、
「忙 忙」(忙しい)とサイさん。

こちらの発注数量が多く、人出が足りない。納期まで
に商品を完成させて船に載せないと。。。そんな事を
言っているのが身振りで分かった。

子供たちに仕事が出来るのか?
安全面は問題ないかな?

そんな思いで彼等の仕事を見つめていたけど、特に問
題は起きなさそう。
出来上がってくる商品にも問題はなかった。

時給は発生するのかな?
一体幾ら払うのだろう?

そんなことを気にしながら、仕事を見ていると工場の
門から一人の男が入ってきた。

20歳くらいの青年だ。

サイさんと何か会話をしながら、私の事を見ている。

こちらを見る青年の視線が気になる。
一重まぶたで鋭い眼光。
敵対視している雰囲気はないけれど、私の事を警戒し
ているような。。。。彼は視線をそらさず、サイさん
の話を聞きながら、ウンウンとうなずいている。

彼は何者?
サイさんの取引業者かな?

新たな登場人物の登場。

私と彼の視線がぶつかる。
工場内に少しだけ緊張感が走る

つづく

台湾の思い出 元日本人たちとの出会い 3 出張という名の一人旅 12

このおじいちゃん達、一体何をする気だろう。。。?

「俺たちは日本にとても感謝してるんだ」
「そうそう、日本、そして日本人は本当に良かった」

あれ?

想定していた内容とは違う話を切り出してきたおじいちゃん達。

「でも、台湾は日本に占領されたんですよね? それって国と
しては辛い事じゃなかったですか?」

聞きながら、こんな事聞かなくても良かったかな。。と思った
りもしたけど、おじいちゃん達がなぜ日本に感謝しているのか

少しだけ知りたくなってきた。

「そんなことはないよ。楽しいこと、嬉しいことばかりだった」

教科書に載っていた「日本の海外進出」という言葉が再び思い
浮かんだ。

「日本が来てくれて道路が綺麗になり、学校が建てられ、俺たち
はそこに通い、勉強することが出来た」

「でも、台湾人だからという理由で差別されたりはしなかったで
すか?」
と聞く。

「確かに教室は別々だったよ。でも、勉強が出来れば朝礼で日本
人と一緒に賞状が貰えたり、運動で頑張れば、日本の子供と同
じ表彰台に立てたんだ。」

「そうだ。日本の先生達はみな優しくて、尊敬出来る人ばかりだ
った。俺たちを見下したりしなかったよ」

「それだけじゃないぞ。働けばちゃんとお金を貰えたんだ」

えっ?
それって当たり前のことなんじゃないの?

「そう、日本の会社やお店で働くと、給料は働いた分だけきちん
と払ってくれたんだ。恥ずかし話、同じ台湾人のところで働い
たらそうはいかなかったんだ」

う~ん、ブラック企業経営者達に聞かせたい話。

「それと警察さ。交番が建つようになり、街中での犯罪が減った
から、安心して生活が出来るようになった。」

「道路や鉄道もそうだ。」

ある日突然他国を侵略し、我が物顔で振る舞っていた。
そんな印象しか持っていなかった戦前戦中の日本をイメージして
いたけど。。。。違うみたいだな。

「俺たちは日本兵として戦うつもりだったよ。近所に住んでいた
日本人が戦地で亡くなったという話を聞いて、敵を取りたいと
思ったりもしたな。」

「そうだ。だって日本人だからな、俺たちは。。。」

おじいちゃん達は下を向き、辛そうな表情を浮かべた。

日本の戦況が悪化し、台湾上空にもアメリカの戦闘機が飛来する
ようになる。
他国の戦闘機を排除するために飛び立つ日本の戦闘機。

しかし、アメリカの戦闘機は機動力がり、日本の戦闘機は次々と
撃墜されていく。。。

ある日本のパイロットは市内への墜落を避ける為、街の外へ出る
まで機体を維持し、畑や山に墜落し、命を落としていったそうだ。

「日本が戦争に負けて台湾を出ていくときは辛かった。先生達が
泣きながら手を振ってさ。。。俺も泣いたよ。日本に連れて行
って欲しかったよ。。。」

泣きそうになった。。。

悪いイメージしかなかった当時の日本人たち。
でも、被占領国、被占領民の台湾の人達には美しい思い出を残し
ている。

日本が台湾から撤退する際、兵士は隊列を崩さず、女性や子供達
も頭を下げながら街を去っていったという。

「俺たちの夢はさ、本土へ行って、当時の校長先生や担任の先生
達と再会することなんだ。戦後、手紙のやりとりはしていたけ
ど、今はどこに住んでいるかは分からない。でも、東京へ行け
ば、何とかなるんじゃないか。先生達に逢えるんじゃないかっ
って思うんだけどさ。。。。」

「もう亡くなっているかも知れないよな。。。」

言葉が出なくなっていた。

台湾の人達に対して持っていた、どこか後ろめたい気持ちが、少
し晴れたような感覚を覚えた。

「ご飯、食べてくか?」

いきなり声のトーンが変わり、優しい笑顔でおじいちゃんが聞い
てきた。

「ごめんなさい、お昼ご飯を食べてしまったので。。。」

「そうか。」笑顔でおじいちゃんがうなずく。

「また遊びに来てもいいですか?今度はご飯を食べに来ます」

おじいちゃん達が笑顔で「来なさい。是非遊びに来なさい!」
と言ってくれた。

竹南滞在中。
何度かその家を訪ね、晩ご飯をいただいた。

日本に帰ったあと、日本の薬局で薬を買い、台湾へ送ったりも
した。

わざわざ台湾から私が勤務する会社に電話を掛けてきてくれ、
「ありがとう」と何度も何度も言ってくれた。

彼等の出会いと交流から随分時間が経過した。
もう生きてはいないのかも知れない。

真夏の台湾での不思議な出会いと縁。
今では美しい思い出。

台湾の思い出 元日本人たちとの出会い 2 出張という名の一人旅 11

初めて経験する台湾の夏は暑かった。

蝉が猛烈な勢いで鳴き声を競い合う中、日本語を話す
おじいちゃん達に促され、椅子に腰を下ろした。

「あんた、ビール飲むか?」
「あんたなんで台湾にいる?」
「東京からか?」
「台湾語は出来るか?」
「結婚してるのか?」

おじいちゃん達が一斉に質問をしてくる。
聖徳太子じゃないんだから、誰がどんな質問をしているのか
把握出来ないよ~

「ちょ、ちょっと待って! ゆっくり、ゆっくり」

「わっはっはっは!そうだな。まだ時間あるか?」と最初に
目が合ったおじいちゃん。

時間はあるけど、このノリにはついていけないなぁ。
すでに疲れが。。。。

「あまりありません。」
嘘をついてしまった(笑)

「俺の名前は水沢だ」
「俺は○○だ」
「俺は○○だ」

あれ?日本人と同じ名字だ。
この人達、もしかすると日本が台湾から撤退するときに逃げ遅れた人
達なのか?

「おじいさんたちは日本人?」
と聞きながら、そんなはずはないと思った。

日本語を話し、日本人と同じ名字を持ってはいる。
けど。。。何か日本人っぽくないのだ。

「そうだ。俺たちは日本人だ」

えっ?
やはり逃げ遅れた日本人なのか?

「生まれは台湾。でも当時、ここは日本だったよ」

そうか!
昔、日本が台湾を占領していた。
そんな歴史があったっけな。

学生時代に行った韓国。
どこかの町で宿泊した民宿のおじいさんも同じ時代の人で、彼も
流暢に日本語を話していたっけな。

日本の海外進出
韓国台湾を併合

日本とアジアに陰を落とす暗い歴史。
無理矢理国籍を変えられた人達。
不当な扱いを受け、さずかし辛い思いをされたのだろうな~
申し訳ない。。。浅黒いおじいちゃん達の顔を見て、そんな気持
ちになった。

そしてすぐに不安な気持ちになった。

当時辛い思いをした事への恨み。
彼等はまだ当時の苦しみを抱えていて、たまたま通りかかった日
本人の私に恨み辛みをぶちかましに来る気かも。。。。

これは辛い時間になりそうだ。。。。ホテルに帰れるのかな。。。

勝手につがれたビールをゴクリと飲む。
苦みが嫌いで普段はほとんど飲まないビール。
しかも冷えてないし。。。

恨み節が長く続くようなら、椅子から立ち上がって自転車で逃げ
ちゃえばいいや。
どうせ追いかけてこないだろう。。。おじいちゃんたちにそんな
体力気力はないだろうから。

と自転車を止めた場所を確認しながら、ポケットに入れた自転車
の鍵に触る。

逃げる準備を整えながら、おじいちゃん達の話を聞くフリをした。

つづく