台湾の夏休み
町の小さな小学校の校舎を使って始まった中国語教室。
生徒は私、24歳 日本人
先生は高校生 17歳 台湾人
授業は仕事が終わった後、工場から自転車で学校に移動して
から始まる。
用務員(宿直の先生?)が学校を閉めるまでの1時間弱。
早足で教室を出て、下駄箱で靴を履いて校庭に出た。
「あぁ、びっくりした。まさか人がいるなんて」
「はい」
「教室を勝手に使って大丈夫だったのかな?」
「大丈夫ですよ」
「本当?」
「多分。。。ですけど」
台湾。
この辺はとても大らかだ。
会話をしながら校門へ向かう。
午後7時。
まだ蝉が鳴いている。
「ありがとう。遅くまで付き合ってもらちゃって。。。大丈夫?」
「はい。大丈夫ですよ」
このまま時間が止まってくれないかな。。。
まだ彼女と話がしたかった。
「一人で帰れる?」
日本に比べると電灯が少ない台湾の田舎町
彼女が心配だった。。。そしてもう少し一緒に居たかった。
「はい。大丈夫ですよ。学校から帰るのは、いつもこれくらいの
時間になりますから」
「そう。じゃあ、ここで。また明日、工場でね」
「はい。また明日、工場で」
校門で彼女を見送り、私は晩ご飯を食べに屋台街へ自転車で移動した。
翌朝、工場で彼女と再会。
「早」(おはよう)
「早」(おはようございます)
いつもの笑顔で挨拶を返してくれる彼女、そしてその後をニコリとも
せず付いて歩く2人の妹たち。。。。全然慣れてくれない。
その日は彼女が忙しかったのか中国語教室はなし。
翌日もなし。
翌々日。。。ツンツンと私の背中をつつく彼女。
「時間、大丈夫ですか?」
「もちろん!」
週に2~3回。
開催曜日は決めず、彼女の都合に合わせて小学校の校舎で勉強会は開か
れた。
勉強もしたけれど、お互いの家族のこと、そして将来のことも話すよう
になっていた。
彼女は勉強が大好きで、高校を卒業したら台北にある大学に進学したい
という夢を持っていた。
経済学部か経営学部への進学を希望していた。
私の大学時代の話もした。
アメリカやヨーロッパ、タイへの旅行経験。
大学で勉強した事は就職して役に立っているのか?
どうして今の会社に就職したのか?
なんて事を聞かれたりもした。
「これからも今の会社で働き続けるのですか?」
「あと1~2年お世話になったあと、辞めるつもりだよ」
「どうして?」
「会社、自分で会社を作ってみたいんだ」
「へ~、そうなんですね」
「うん。細かい事は何も決めてないんだけどね」
「そうだ」
私がやや大きな声を出して彼女を見た。
少し驚いた彼女。
「名前、まだ名前を聞いてなかったね」
「あっ、そうですね。私もあなたの名前を知らない」
英語でYOUを使っていると名前を呼ばなくても会話が成立してしまう。
「じゃあ、教えて貰ってもいい?」
「はい、もちろんですよ」
お互いに名前を教え合う。
「MY NAME IS ○○○○」
「MY NAME IS ○○○○]
今ひとつピンと来ない。
「漢字、漢字ではどう書くの?」と私が聞いた。
まずは私がノートに私の名前を書いた。
「へ~、全部台湾にある漢字ですね。でも、読み方が。。。全然違う。
変なの、ははは」と言って彼女が笑った。
彼女の名前も書いてもらった。
日本でも使われている漢字だが、使う頻度はとても低い。
そして字面だけでは男性なのか女性なのか全く分からなかった。
「こっちが名字だよね?」
「はい。台湾では一文字の名字が多いんですよ。だから、これが私の
名字です」
「ねぇ、名字で呼べばいい?」と私が聞くと
「あっ!私にはもうひとつの名前があります」
台湾人は名前の他にもうひとつ、あだ名とはまた違う呼び名を持って
いる人が多い。
台湾語や中国語で親しみのある名前や英語名、日本語を勉強している人
は日本人の名前を使っていたりする。
ちなみに後年仲良くなった台湾の友人、黄君はイエローを呼ばれていた。
その黄君とタイに行った際、タイ人の友達が面白がって彼をグリーンと
呼んでいた。
呼ばれたい名前を作ったり、選んだりするようだ。
「へぇ。どんな名前?」
「あの~、秘密ですよ」
「えっ?秘密。。。なの? 名前だよね?」
「はい。私が私に話しかける時に使っている名前。。。なんです」
なんだそれ?と思ったけど顔には出さなかった。
「で、なんて名前?」
「ヴィクトリアです!」と満面の笑みを浮かべて彼女が教えてくれた。
ヴィクトリア!
まだ幼さの残っている高校生にしては重厚な名前だった。
吹き出しそうになったけど、表情には出さず「そうなんだ~」と軽く
うなずいた。
大切にしている名前なのだろうから
「秘密の名前。知っているのは私とあなただけです。だから工場では
絶対にこの名前で呼ばないで下さい」
「えっ?あぁ。。うん、分かったよ」
じゃあ、なんて呼べばいいんだよ。。。(笑)
そんな話をしている間にも、私の心が彼女に引き寄せられていく。
彼女を日本へ連れて帰れと言っていた工場のおばちゃん達の顔が頭に
浮かぶ。。。彼女を。。。日本へ。。。連れて帰る。。。
もし彼女と付き合う事になったら、月に1度台湾に来よう。。来られ
るかな?
会社に事情を話して月に1度金曜を含めた土日3連休を貰えば何とか
なるな。
チケット代。。。無駄使いを止めれば月に1度台湾に来るチケット
くらいは買えるだろう。
彼女はこれから大学だから、結婚は早くても5年後になるな。。。
いやいや、その前に軽くデートだろ。
週末、台北へ。。。遠いか、遠いな。
まずは隣町の新竹なら電車で片道約30分も掛からない。
そうだ新竹で映画でも観て、食事して。。。
何も始まっていないのに、私の頭の中では未来へ向けて想像が大きく
なっていく。。。馬鹿だったな。。。今も馬鹿なままだけど。
楽しかった。
そんな馬鹿な想像を含め、彼女の事を想う時間、工場で挨拶を交わす
時間、学校での中国語教室。
全てが楽しかった。
夢のような時間が続いた。
つづく