アーユルヴェーダの体質 私の場合 ピッタ

こんにちは。

ご存知の方も多いと思いますが、アーユルヴェーダには3つの体質があります。

ヴァータ
ピッタ
カパ

です。

2019年3月、出張先のバンコクを訪れた際、同市内にあるヨガスクールで専門のドクターに体質診断をしてもらいました。

診察と言っても普段我々が受ける健康診断のようなものではなく、触診がメインでした。

診察を受ける前、食生活や生活サイクルに関するインタビューがありました。

起床時間、食事を摂る時間やその内容。
定期的に運動をしているのか?
しているのであればどのようなスポーツか?

インタビューを紙に書き出したものを持ってドクターと対面。

ドクターはヨガのインストラクターも兼ねているインド人。
英語が出来ないとのことで、スクールの女性オーナーが通訳として同席してくれました。

指先や足の指をつまんで軽く圧を加える。
呼吸をするよう促され、脈拍を見ながら呼吸を繰り返す。
椅子から立ち上がり、部屋の手前から奥へ、奥から手前に何度か歩かされました。

歩き方や歩いている姿を見て何が分かるのだろうか?
そんな事を考えながら部屋の中を何度か往復しました。

診察結果はすぐその場で伝えられました。

私の体質はピッタ。

解説書によると消化と代謝の機能が強く、食欲は旺盛。
たくさん食べてもしっかり消化できるそうだが、食べ過ぎは良くないので節度を持ってとのこと。

10時から14時、22時から2時までが適した時間帯のようだが、夜は23時頃には寝てしまうし、10時から14時も特にアクティブという自覚もないので、この変の説明は良く分からない。

夏から秋にかけてより活発に動ける身体で、肉体的には30歳から60歳に良い状態になる。

この辺の説明に関しては正直ちょっと分からない事が多く、「そういう体質なんだ」と軽く受け止めておくことにした。

身体的な特徴としては、中肉中背、筋肉や皮膚がしなやかで柔らかい。
肌はつやがあり赤みがかっている。
若はげや若白髪になる人が多く、これはピッタ体質の人は頭に血が上りやすく、皮膚を温めてしまう傾向があり、この反動で毛髪に影響が出てしまうかららしい。
若はげという事を含め、身体的特徴は合っているような。

食欲は旺盛で消化する力も強い。
反面、お腹が減るとイライラする。

排泄は多い
暑さに弱い。
冷たいものを好む。

これも合っているように思います。
ただ、冷たいものはあまり摂らなくなっていて、普段は暖かいお茶、白湯、常温の水を飲んでます。アイスはほとんど食べなくなりました。

精神的な特徴は頭脳明晰で物事を論理的に考え分析するタイプ。
リーダー気質。
心身のバランスが取れている時は喜びに満ちた態度を取る。
誰でも気持ちの良い時は多少ゆとりのある態度言動になると思うけど、ピッタの人はよりそういう傾向が強いということなのだろうか?

正義感が強すぎるので、精神的なバランスを失っている時は自分と反対の立場にいる人や意見を遠ざける、押さえ込む傾向があるそうだ。
これはちょっと自覚があるかな。
今はそうでもないけど、若い頃は確かにそんな傾向が強かった。

ピッタだからと言って100%ピッタの体質、精神、肉体的特徴が出るという事ではなく、3つの体質の中でよりピッタの傾向が強く出るということだし、年齢や環境などにより体質も変化するので、あまり囚われ過ぎないようにとの説明も受けた。

生きている自分自身を中心にしながら、ぼんやりと3つの体質を意識する、その傾向を生活に取り入れる感じで良いのだろう。

ドクターからは身体の持つポテンシャルの80%位は使えているし、神経と筋肉の連動や身体の動かし方も良いと伝えられた。
今と同じ生活パターン、食生活やヨガや散歩などを継続していくようアドバイスを貰えた。

ただ気になるのは呼吸が浅い傾向があるので、ヨガを通して呼吸法を学ぶなど改善すれば更に強い身体を作り上げる事が出来るとのこと。

呼吸って意外と出来てないものだな、とヨガを習い始めた際に感じ、それ以降は比較的意識していたけど、まだまだ改善の余地ありってレベルだったのだ。

まぁ、余地ありって事は改善する可能性、伸び代があるってことだから。

今度、ヨガや瞑想の時間を積み重ねていく過程で、意識しながら取り組んでみたいと思う。

知れば知るほど奥深いヨガとその周辺の世界。

楽しみは尽きない。

2019/05/06 アーユルヴェーダ講習会に参加する 1

今年のGWは10連休。

その間に平成が終わりを告げ、新しい元号である令和が始まった。

連休中、イレギュラーになった時間割に合わせ、出席出来るクラスにだけ参加。
人の移動が増えるこの時期に外出したくない私は、もう少しどっぷりとヨガに浸っていたかったのだけど、会う機会が減ってしまった友人知人と会ったりする場を設けたり、参加するクラスで良く会うスクール仲間と食事に出かけたり。

後半は徐々に参加するクラスを増やし、連休明けからは受講するクラスを変えてみたり増やしてみたりする予定。

連休最終日の今日はスクールで開催されたアーユルヴェーダ基礎編の講習に参加してみた。

アーユルヴェーダ
古代インドで発祥した総合的な医学体系で、生命な寿命に関する知恵、知識を今に伝えている。

人として生き物として自分はもちろん、他者や他の生物の命を大切にする事を基本に生きていく。
その過程で健康であること、富を得ること、願望を叶えること。
そして解脱することを目的とした学問でもある。

ヨガを学ぶ過程で身体や心の変化を感じ取り、以前から聞いた事のあるこのアーユルヴェーダに関して興味を持ち始めた。

今日の講習に参加する前、すでにアーユルヴェーダとの接点は生まれていた。

仕事で訪れるタイはバンコク市内にあるヨガスクールでアーユルヴェーダマッサージやシラットハラ、そして自分の体質を知る触診を受けたりしていたのだ。

今日の講習は基礎編なので、アーユルヴェーダとは何か?
その基礎の基礎、入り口を学ぶ場という内容だった。

アーユルヴェーダにおける生命とは
肉体
精神

の3つから構成されるもの。

その生命が持つ五感に対し、正しく触れることが重要とされる。

五感のバランスを保つ為に必要とされることのひとつに正善行為というものがあるそうだ。

汚い言葉を使わない、嘘をつかない、他人を陥れないなど、私たち日本人が子供の頃に親や道徳のクラスで学んだ事と同じだ。

嘘に関して新鮮だった話があった。

「嘘も方便」などと言われ、時と場合によっては嘘も使い方次第でその場を納めたり、他人を傷つけずに済む場合があるという教えがあるが、アーユルヴェーダではそのような嘘も使わない方が良いという。

1度嘘をついてしまうと、その嘘を突き通す必要に迫られる可能性が高く、いつかばれてしまうのではないか? いつまでこの嘘をつき通さなければならいないのか?というプレッシャーが心と身体に影響を与え、バランスを崩してしまうから。

確かに相手の事を考えての嘘、空気を読んでの嘘をついた場合でも、嘘をついた自分、ついてしまった自分に対して納得出来なかったり、相手に対して申し訳ない感情を抱いてしまったり。。。心の省か不良を起こすことって多いと思う。

ではどうすれば良いのか?
幾つか方法、手段があると思うのだけど、アーユルヴェーダでは沈黙するのも一つの選択肢になると教えているのだそうだ。

言葉は便利な反面、相手を傷つけてしまう場合もある。
嘘をついた事により、その場を丸く収まったとしても根本的な解決にはほど遠かったり、一時しのぎの嘘でそれが相手にバレバレだったり。

言葉は準備の出来ている相手に簡潔に正しく使うもの。

迷っている相手に対してバッサリと切り捨てるような事はしない。
不安を更に強めるような事は言わない。
例えそれが真実であったとしても。

相手に受け入れる準備が出来ているのか?
受け入れる度胸、度量があるのか?
そしてどのような流れで、伝え方、言葉で伝えるべきなのか?

そんな配慮が必要なのだろう。

医学ではあるけど哲学でもあるアーユルヴェーダ。
身体の事や食事の事だけではなく、人のあり方も学べる裾野の広さもある。

それだけに習得するのにはかなりの時間と経験が必要になるようだ。
人が100年生きるとして、3回生まれてきたとしても学べない。
そんな風にも言われているそうだ。

次回はアーユルヴェーダの基本となる3つの体質に関して書いてみたいと思う。

瞑想を習慣化 2

瞑想中に意識が飛ぶ、または抜けるような感覚。
そして前のめりに倒れそうになる。。。

そんな経験をし、気持ちや精神を集中出来ることなく、初めて参加した瞑想クラス
が終わりました。

着替えを済ませ、スクールから出ようとするとヨガのインストラクターが見送りの為、入り口付近に立っていてくれました。

「ありがとうございました」
優しい笑顔で接してくれます。

「ちょっと聞いてもいいですか?」
このまま不安な気持ちを抱えてスクールをあとにしたくない。。。
そんな気持ちが強く、インストラクターに話を聞いてもらうことに。

「瞑想中、何度か意識が飛ぶような事があり、その度に身体から力が抜け、姿勢を崩す。それも前のめりに通れそうになるような。これって私の身体に何か問題があるものなのでしょうかね?」

瞑想中、私に起きた出来事を説明し、質問してみました。

「初めての瞑想でその経験が出来るのは良いことかも知れませんよ」

「エッ?これでいいの?」
安心したと同時に身体に緊張が解けていくのを感じました。

「それは問題ですね。すぐに病院へ行って下さい」なんて言われたら、どうしようと思ってましたからね(笑)

インストラクターの話では、瞑想中は身体を動かさず呼吸を繰り返しているだけなので、身体の代謝が落ちていく。
最初は怖いかも知れないけど、慣れていくしかないし、慣れていくものらしい。

雑念に囚われてなかなか集中出来ないと思ってトライしていた瞑想ですが、意外と集中出来ていたということなのかな?

その後も月1の瞑想クラスに数回参加。
やはり何度も意識が抜ける感覚に襲われてます。

すぐには慣れなかったけど、最近は「またか。もう1度意識を集中するところの立ち返ろう」という感じで対処出来るようになりました。

実際、身体的な問題は起きてませんし、健康診断を受けても問題を多少抱える年代の平均よりやや健康な状態との結果でした。

インストラクターの話では瞑想は経験を積めば積むほど効果が出てくる。
出来れば20分位は続けた方が良いけど、日常の隙間時間、例えば仕事の合間や電車で移動中の時間など。
細切れの時間を利用して瞑想する時間に充てていく。

確かに忙しいといいながら、スマホでどうでも良い情報を見て10分以上過ごしてしまう、なんて事がありますもんね。

理由もなくイライラしてしまった時、電車で移動する機会があれば、席に座り軽く目を閉じて瞑想する。

隙間時間を使いつつ、でも、もう少し瞑想をする時間を確保したい。
そう思った私は、朝起きて散歩に出る前の10分を瞑想に充てることにしました。

起床後、うがいをして白湯を飲み、トイレに行き、着替えを済ませる。
ゆっくりと身体を目覚めさせながらこれらの行動をするので、約10分掛かります。
その後約10分、ヨガの定番ポーズで身体の代謝を上げ、血流を促します。
寝起きなので、これもゆっくりと厳しくないポーズだけ取り組みます。

その後、瞑想に入ります。

当初は5分間の瞑想からトライ。
たった5分。
YOUTUBEなどでMVを1本見るのとほぼ同じ時間。
これなら無理なく取り組めるだろう。。。と思ったのですが。。。。

瞑想に集中出来るよう、スマホでアラームを設定しました。
「まだかな?」と時間が気になり、目を開けて時計を見てしまわないように。

5分。。。
意外と長く感じました。
元々集中力のない私です。
すぐに動きたくなってしまいました。
でも、何とか5分間座り続けました。

目を開けた瞬間「はぁ~疲れた」
5分間座り続けた後の正直な感想です。

瞑想に触れる前は「自分は瞑想に向いているだろう」と思い込んでいましたが、ちょっと向いてないのかな?などと思うようになりつつ、その後も毎朝5分間の瞑想を続けていました。

「早く5分経ってくれ」
「まだかな?そろそろだろう?」
全然集中してません。

それどころか、「今朝は疲れてるから寝たまま瞑想しよう」と横になって目を閉じて瞑想するなんてことも。

時間に対する感覚をごまかしながら、それでも毎朝5分間の瞑想を継続していました。
2~3週間を経過したころからでしょうか、5分間がとても短く感じられるようになりました。

目を閉じ、一定のリズムで呼吸をする、その呼吸に集中する。
相変わらず雑念が浮かんでは消え。。。。。。を繰り返していましたが、5分間がとても短く感じられるようになったのです。

5分間の瞑想に慣れてきたので、倍の10分にトライしてみよう!
と言う訳で、時間を10分にしてみました。

長い。。。5分の倍だもんなぁ~
これが瞑想時間を10分にした初めての日に感じたこと。

目を瞑っているので、一体どれくらい時間が経過したのか全く分からない。
いつになったら終わるのか。。。。
やはり5分間の瞑想に戻そうかな。。。。いや、それは嫌だな。

呼吸に集中するハズが、呼吸の回数で時間を数えるようになってしまったり。

でも、10分間を短く感じるようになったのです。

雑念が浮かんだら浮かんだまま。
消そうと思ったら雑念を流す。
しばらく呼吸に集中していると新たな雑念が生まれる。。。の繰り返しではあるのですが、苦しくないのです。
苦痛に感じなくなってきました。

今でも10分間の瞑想を続けていますが、10分間は割と早く過ぎ去ってしまいます。

以前は待ちわびていたスマホのアラーム音ですが、今ではその音に驚かされる位、集中している時があります。

4月になり桜が開花し、街は春っぽい景色になってきました。
今、楽しみにしていることがあります。

それは毎朝の散歩でお世話になっている神社の境内で瞑想すること。

ヨガスクールに通う前、境内のベンチに座り、瞑想もどきな事をしていましたが、今では鼻呼吸も出来るし、10分間は気が散らずに過ごせるようにもなってきました。

暖かくなれば広い空間で、外の空気に触れながら瞑想したい。
季節を感じてみたい。
それが楽しみでなりません。

そして瞑想する時間も15分、20分と長くしていきたいと思っています。

瞑想を習慣化した今、より深く瞑想に取り組みたい。
そしてその先の自分にどんな出来事、変化が起きるのかを見てみたい、感じてみたいと思っています。

ヨガと同じく瞑想も初心者ですが、日々繰り返し取り組んでいれば、少しずつですが身体が慣れてきます。

いきなり大きな変化を感じる天才もこの世には存在するのでしょうけど、私は私です。他者の存在は意識せず、まずは日々の積み重ねを感じていたい。
それを楽しんでいたい。

楽しみがある人生って良いものです。