リュックサック

揺れる電車内で吊革にっつかまる私。
背後には私に背を向けて2人の女性が立っていた。
女性の背中にはリュックサック。
電車が揺れる度に私の背中に当たる。
私にぶつかっているのは分かっているはずなのにリュックを降ろすこともなく謝るでもなく2人で話に熱中してる。

そんなときに思い出した話がありました。
どこで聞いたのかネットの記事だったのか?
誰から聞いたのかは忘れてしまいましたがとても印象に残っている話です。
ちょっと脚色してしまいますけど書いてみたいと思います。
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あるときある路線で取引先に向かう途中の男性サラリーマン。
奥さんと子供2人の家庭を守る真面目で曲がったことが大嫌いな人。正義感は人一倍強い。

そんな男性の背後にはリュックを背負った女性が背中合わせで立っている。
背には大きなリュックサック。
年齢は20代後半だろうか・・・

ガタンゴトンと電車が揺れる度にその女性が背負うリュックが男性の背中に当たる。
強い当たりではないものの電車が揺れる度に背中に当たるので気になって仕方がない。
「ったく・・・さっきから当たってるんじゃ!いい加減気付
 けや!」と頭の中で何度もこのセリフを繰り返している。

しかし彼は社会人。
家庭を守る善き父でもある。
こんなところでキレても仕方ないだろう。
イライラしながらも冷静であろうと何度も何度も思ってはいるのだが。。。

ガタン!
リュックが当たる。
ゴトン!
リュックが当たる。

その度にイライラは募り怒りの炎がふつふつと湧き上がる。
もう一人の自分がイライラを抑えるよう必死で語りかけるがその声はリュックが当たる度に小さくなっていく・・・

「まもなく〇〇駅に到着します」
車内アナウンスが聴こえてくる。

「もう少し・・・もう少し我慢しようぜ。電車を降りればこ
 のリュックの女性とはもう2度と会うことはない。なぁ
 もう少しだけ我慢しようぜ・・・」と語りかける冷静であろうとする自分。

「いや。こういう自分勝手な人をのさばらせて良いわけがな
 いだろう。この女性がリュックを背負って電車で移動する
 度に俺のような不愉快な思いをする人が出る。一言言って
 やらないと。こいつは不快感を生み出す社会悪なんだ」
と感情の矢に火を付けようとするもう一人の自分。

心の中でせめぎ合う2人の自分。
しかし電車が揺れる度に冷静な自分はイライラした自分に押し切られつつある。

ガタン!
またリュックが当たる。
「こっ・・こいつ~」
「やめろ・・・もうすぐ駅だ!」

ガタン!
またリュックが当たる。
「おい、やめ。。。」
「も~~~~気が付いているはずだろうが~~~っ!」
フツフツと湧き上がっていた怒りが頂点へ・・・

電車が駅に停車しドアが開いた瞬間に男性はキレた。
「おい、あんた。なんだよ背中のリュック。ず~っと俺に当たってるんだよ!電車の中でリュックはお腹に抱えるのが常識だろ。あんたそんなことも知らないで電車に乗ってんの?
どこでどんな教育を受けてきたんだ?あ~?親の顔見せてみろよコラ~」

男性は大きな声で女性を怒鳴りつけ睨みつけた。
あまりの声の大きさに周囲の目が集まったのを感じた。

「ふざけろよ!コラァ」
開いたドアに移動しながら男性は最後の一撃を食らわせた。
女性は恐怖のあまり首を縮め背中を丸めて罵声の嵐が去るのを待っているかのようだった。

「とうとう言ってやったぜ。すっきりしただろう?そう、
 それでいいだよ。よくやったよお前は!」
怒りの感情を後押しした自分がそう語りかけてくる。
それでもまだ怒りの炎を完全鎮火していなかった。
残り火の炎がまた大きくなってきたのだ。

そして「よし最後の一撃を食らわせてやるよ」
怒りの炎に心を奪われた男性はもう止まらない。

プラットフォームから車内にいる女性に中指を立て・・!
その瞬間、男性の目に映ったのは・・・
お腹の大きな妊婦さんだった。

「あの女性だ・・・俺の・・・俺の背中にリュックをぶつけ        ていた女性だ・・・」

女性は吊革につかまり泣いていた。
怖かったのだろう。全身を震えさせていた。

「俺は・・・俺は何てことを・・・取返しのつかないことを 
 してしまった・・・」
怒りの炎は一瞬にして消えた。
下っ腹から肛門の辺りがひんやりとしてきて手足が震えだす。

駅で呆然と立ち尽くす男性。
すでにドアが閉まり電車がゆっくりと走り始めていた。

「ごっ・・・ごめんなさい・・妊婦さんだなんて知らなかっ
 たから・・・なんで言ってくれなかったの・・・知ってい
 ればあんなこと言わなかったのに・・・ねぇなんで言って
 くれなかたの・・・ごめんなさい。本当に・・ごめんなさ
 い」
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背中にリュックが当たっているので男性は背中にだけ注意が向いていた。
仕方ないことなのかも知れないけど一度口に出した言葉は元には戻らない。行為も消すことはできない。

一時的にスッキリすることは出来たけど良心の呵責はいつまでも続く・・・生き地獄である。

自分には自分の状況がある。
それと同じく相手にも相手の状況がある。

喜怒哀楽
どの感情でも一旦包まれると冷静な判断が出来なくなる。

感情に飲み込まれず一旦深呼吸して冷静になってみる。
特に怒りの感情には要注意だ。
一旦放った矢は相手を突きさし突き抜けやがて自分に戻ってくる。
悔恨の気持ちは長く心に留まり自分を苦しめる。
「私はダメな人間だ」そんな十字架を背負って生きることになる。
そんな人生、避けたいものです。

読んでいただきありがとうございました。

やりたいことリスト100作ってみた

謹賀新年
明けましておめでとうございます。

新年を迎えてすでに10日以上が経ちましたね。

お正月の間に何かしましたか?
私は「やりたいことリスト100」と題したリストを作ってみました。
作ったとはいえスマホのメモ帳に今年2024年にやってみたいことをランダムに書き出しただけです。
カテゴリー訳や出来るか出来ないかの条件付けをせず、あま
り現実的ではないものを(私の場合は世界平和とか)を含め思うがままに書き出してみました。

最初の10個くらいは昨年から決めていたことがあるのでスラスラと書き出すことが出来ましたが11個目くらいからや
やスローダウン。
少し手が止まることもありました。

手が止まっている間にリストを見直してみると新しいことを
含めて意識が外へ外へと向かっていることが見えてきました。
やりたいことって未経験の新しいことに目が向くので当然と言えば当然ですよね

そこで意識を見に回りに向けてみると
「母に美味しいものを食べてもらう」
「地元の友人との交流をもっと深めてみる」
当たり前のようなこと、すでにある程度出来ていることをもう少し具体的にイメージして書き出してみました。

行動以外にも欲しいものリストや行きたい場所リストなども
書き出してみました。

「映画を観に行く」とか「〇〇を買う」とか今すぐに出来ることから「海外へ行く」とか「資格を取る」などのある程度準備が必要で中長期的に取り組むものまで様々なものが出てきました。

タイトルに100と付けているので100個のやりたいことを書き出すつもりでしたが私の場合は60個ほど。
足りてませんけどこれで良いのです。
「100個書き出さないと!」とか「埋めないと」などと義務感ベース、mustな縛りを自分にしてしまうと心がわくわくしないことまで書き出してしまい、書くという行為を通して自分の意識があらぬ方向望まぬ道へと進んでしまうのは避けたいですからね。

書き上げたものを眺めてみると今の自分が関心を向けるものや思考の傾向、大切にしているものなどがうっすらと浮かび上がってきます。

考えずに書いたリストなので割と素の自分と向き合えるのでないかと感じました。

「そうだ、観たい映画があったっけ」と劇場へ足を向けてみる。
「タイのバンコクに行きたいんだっけな。チケットやホテルってどのくらいするんだろう」と知りたいことを調べてみたり。
メモを書く、見つめることでクリアする行動に結びつく。
30秒、1分でできる行動が積み重なってやりたかったことを実現する方向へ向かっていく。
「今の俺、前進してるじゃん!」そんな感覚も自分に対する自信や信頼感に繋がる。

クリアしたものはメモ帳から消していく。
新たに思い浮かんだものは書き足していく。

目まぐるしく変わり続ける外側の変化に目が向きがちな日常生活ですが自分に起きている日々の小さな変化や成長に目を向けることで「今を生きている」とか「自分の人生をコントロールしている感覚」「日々の幸せ」をより身近に感じていたい。
だって自分の人生ですからね。

知恵や智慧、小さな工夫を重ねて豊かな人生を生きていることに気付いていたい。

母の赤飯 2

赤飯を作る決意をした母。
少し不安を抱えつつもリトライしたい気持ちの方が勝っている様子が表情から見て取れた。

体調が回復し畑にも一人で行くようになり近所の人たちに声をかけたりお手伝いをして感謝されたり。
少しずつゆっくりと母の心と身体が整ってきていた。
リトライするには良いタイミングだったのだろう。
母本人も「今ならもしかして。。。やれるかも」
そう思えたのだろう。
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私は母と行きつけの米屋に行きもち米などを買い求めた。

食材を選んでいるときの母の表情は活き活きとしていた。
「これとこれ。。。こっちの方が良いかな?」
「うん。これでいいんじゃない?」

母の買いたいものをカゴに入れ店の中を歩く。
買い物をしている間、母は赤飯の話ばかりしていた。
(その話、さっきもしてたよなぁ~)なんて思いながら
私は母の話を聞いていた。
高齢者あるあるですよね(笑)
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翌日いよいよ赤飯作り。
約1年降りになる母の再挑戦。
見届けたかったけど私はヨガの練習があったのでスタジオへ向かった。

玄関で靴を履いている私に
「じゃあやってみるよ。失敗したらごめんね」と母。
靴を履きながら
「失敗したっていいじゃない。多分大丈夫だと思うよ」
と私は答えた。
「行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
私は玄関をあとにした。
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「出来上がったよ。赤飯、出来上がったよ」
夕方帰宅すると母が台所から大きな声をかけてきた。
(ちょっ、ちょっと待ってよ。まだ靴を脱いでないんだけど。。。💦)
私が家に上がるのを待っていられなかったのか母が玄関近くまで歩いてきていた。
手には箸。
箸の先には赤飯が乗っている。
「ちょっと水の量を間違えちゃったよ。久々だったから勘が戻らなかったよ」と母。
「どれどれ」と私は手の平で赤飯を受け止め口に運んだ。

「おっ、美味しいよ。ちゃんと炊けてるよ!」
確かにちょっと水分を含み過ぎている感じはしたけど美味しい赤飯が炊き上がっていた。

母の顔が明るくなる。
「そうかい?大丈夫かい?」
「うん。大丈夫だよ。美味しいよ」
「良かった」
「うん。良かった」
安堵した母。
その母の表情を見て私は安心した。
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辛かったと思う。
結婚する前から得意だった料理が作れない。
なんでだろう?
火加減?
水分量?
米が悪いのか?
いや、全部自分が悪いんだ。
すぐに自分を責めてしまう癖がある母。

自分を責める悪いループにはまったまま抜け出せなくなり、
もがけばぼがくほど底なし沼にはまってしまう。

母が体調やメンタルを崩した際に何度も見てきた光景だ。
普段の生活でも何か失敗すると全て自分のせいだと思い込
んでしまうことが多々ある。
これは母の思考の癖なのだろう。
生まれた家庭や育ってきた過程で知らず知らずの間に身に
つき沁み込んでしまった厄介な癖で本人も気が付いていな
いのかも知れない。

そして得意料理だった赤飯に失敗した出来事は母に暗い影
を落としていたと思う。
もう料理も作れない。
自信喪失でありある意味自分の存在価値を疑うような傷を
残してしまっていたのだろう。
とても辛かったと思う。

母がもう1度赤飯を焚く決意をし、その決意を私に伝えて
きたとき私は何も否定しなかった。
母には100%の自身は無かったと思うけど私は母を信じ
た。
心配するより信じることが大切だと思ったから。

人は何度でも立ち上がることが出来る。
と言い切ることは簡単ではない。
でも本人が再び立ち上がる意志を見せたのなら周囲の人間
は側で暖かく支える存在でありたい。

再び赤飯を焚けるようになった母は年末にもう1度練習し
年始に遊びに来る妹夫婦と妹の義理のご両親へ赤飯を焚く
計画を立てている。

もう80歳を超えた母ですが赤飯以外にもこれまで作った
ことがなかった料理に挑戦するようにもなりました。

トラウマから立ち直った人間は更に高見を目指した成長を
遂げると言われています。

これから母がどんな成長を遂げるのかとても楽しみです。
側で眺めていたいと思う。

読んでいただきありがとうございました

母の赤飯 1

「どうだろうね?美味しいかな?」
不安げな表情を浮かべた母が箸でつまんだ赤飯を持って
私の近くへやってきた。
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赤飯は母の得意料理のひとつ。
親類やご近所さんにも評判で妹の嫁ぎ先のご両親はいつ
も母の赤飯を楽しみに待っていてくれるほど。
もちろん私も小さなころから母の作る赤飯が大好き。

そんな母が昨年赤飯作りで大失敗をしてしまう。
「もう1回作ってみれば?たまたま上手くいかなかった
だけだよ」と励ます私の言葉を信じて再度挑戦。。。
が結果は同じだった。
何度か作ってみたけれど以前の赤飯は帰ってこなかった。
「なんか。。。ダメ。作れなくなちゃったよ」
肩を落としてそう言った母。
かなり落胆している様子だった。
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昨年(2022年)
母は突如体調を崩しその影響でメンタルバランスも崩し
てしまった。

病院を何か所か変えたくさんの検査を受けたけど結果は
良好。特に問題はないとのことだった。

数カ月後に体調は徐々に回復していったがメンタルが追
いついてこなかった。
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「お母さんの赤飯。また食べたいよ」
妹からの電話に
「うん。じゃあ作ってみるよ」と母が答えた。
でもちょっと躊躇している様子。
また失敗してしまうのではないか?
そんな不安が母にはあったと思う。

体調を崩し台所に立たなくなってしまった母の調子が回復
しつつある中で何か出来ることをして自信を回復させたい。
妹にはそんな想いもあったに違いない。
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期待に応えるべく台所でせっせと赤飯を作る。
何回も作ってきた得意料理。
慣れた手つきだった。
私も台所で赤飯作りに励む母の姿を見て安心した。
しかし。。。
「ダメだった。。。失敗しちゃったよ」母が小さな声でそ
う言いながらうなだれていた。

「そんなことないでしょう。どれ食べてみるよ」と台所へ
足を運んで蒸し器の中を覗いてみるとそこには普段母が作
っていた赤飯とは全くの別物のような赤飯があった。

「ダメだった。。。捨てよう」と母。
「いいよ。食べようよ。大丈夫だってば」と私と私は母を
うながした。

その日二人は無言で赤飯を食べた。
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あれから1年近く経過したある日。
「赤飯、食べたい?もう1度だけ作ってみようかな」
母が言う。
「うん。作ってよ。久々に食べたいよ。お母さんの赤飯」
「じゃあ、作ってみるよ。ダメだったらごめんね」
「謝らなくていいんだって。この前作った赤飯だって食べ
られない味じゃなかったじゃん」と私は母の背中を押した。

つづく

寄り添う 回復しつつある母の側で

心と身体は繋がっている。
それは真実だと思う。

今年(2022年)6月に体調を崩した母。
一時は炊飯器の使い方を忘れ、得意だった煮物の作り方も
分からなくなってしまった。

体調を崩し、メンタルバランスを失った。

日課だった散歩には出ることがなくなり、家の中に居ても
椅子に座る時間が短くなり横になって過ごす時間ばかりが
長くなっていた。
声も日に日に小さくなり何を言っているのか聞き取れない
聞き返すと話をやめてしまう。。。そんな毎日が続いてい
た。

元気だったころの母を知っている私。
この現実を受け入れられない気持ちと老いるとはこういう
ことなのかと現実を受け入れる心の準備をする私。

横になってテレビばかり見て過ごす母を見下ろし、少しイ
ライラもした。
「まだ、そんな歳じゃないだろうに!」
そう心の中で叫んでいたけど口にはしなかった。
口にしてはいけない。。。絶対に言ってはいけない。
母の心に傷をつけ、その傷は永遠に母の傷口を広げ続ける。
そう思ったから。

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趣味だった畑に行くことはなくなった。

台所に立つこともなくなりスーパーで総菜を買ったり、弁
当屋で弁当を買う毎日になっていた。

母は朝から晩まで横になってテレビを見る生活が常態化し
てしまった。

顔からは表情がなくなり口数もほとんどなくなっていた。

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こんな彩のない生活をしていてはいけない。

そう思い母を車に乗せて近くにある芝生が広がる公園に行っ
て散歩したりもしたけど、数分歩いただけで母は
「もう帰りたい」と言いうつむいてしまった。

まだタイミングではないな。
気分転換して欲しかったけど母はまだそれを受け入れられる
心と身体に戻っていない。
少し早すぎたかな。。。
そう思った。

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母が横になっている間にも畑の野菜は育ち雑草は伸び放題に
なってしまう。

植物とはいえ命に変わりない。
ほったらかしには出来ない。
そう思った私は毎日のように畑に通い野菜の世話をするよう
になった。
夏の厳しい日差しの下、汗ダクになって帰宅する私の表情は
充実している。

母の目にはそう映ったようだ。

ネットで料理のレシピや動画を検索し、スマホを見ながら調
理する。
食材を焦がしてしまったり塩を入れ過ぎて失敗してしまった
りしながらも徐々に普通に食べられる料理を作れるようにな
る私の後ろ姿を見て
「楽しそうだな」
「今日は何を作ってくれるのだろう?」

少しずつ自分が見る景色に興味を取り戻しつつあるようだっ
た。

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私の料理を作る手伝いをし始め、まだ作ったことがない料理
のレシピを私に質問し、自分で作る機会も増えてきた。

私が植えたサンチュやイタリアの葉っぱが意外に美味しかっ
たこと。
自分が育てた経験のない人参や万能ねぎの種を植えた息子の
姿を見て久々に畑に足を運びたくなったのだろう。
ある日
「久々に畑に行ってみようかな。あそこまでは歩けないから
 車で連れていってくれる?」

母にそう言われたときは本当に嬉しかった。

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今では短い距離ながら午前中に2回。
気持ちが乗っているときは3回。
母は近所を散歩するようになった。

以前のように時間をかけて長い距離を歩くことはなくなったけ
ど短い距離をコンスタントに歩くことでトータルの歩数をキー
プしているようだ。

歩ける自信を取り戻すと今度は手足を上下左右に動かしたり、
力を入れたり脱力したりもするようになっている。

ほぼ毎晩母をマッサージしているのですが、私が不在の間には
自分で手の届く範囲で手足をマッサージしたり軽く揉んだりも
しているらしいようで、手先足先に暖かさを感じるようにもな
ってきたそうだ。

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ああした方が良い。
こうした方が良い。
前は出来たじゃない!

本人を勇気付ける言葉が逆に傷つけてしまうことがある。

側に居て話に耳を傾ける。
発する言葉を注意深く観察する。

言葉や態度。
声のトーンや目。
表情やたたずまい。

人はたくさんの信号を発しているのが少し理解出来るように
なったのは私にとっても大きな収穫だった。

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まだ体調は万全という状態ではなくしばらく好調が続いたかと
思えば突然眩暈に襲われてその場にしゃがみ込んでしまう日も
ある。

夜、ひとりで留守番をすることに対しては不安があるようだ。
ある日の夜中に過呼吸になってしまったことがあり、またあの
症状が出たら救急車なんて呼べないだろうという恐怖心は残っ
たままだ。

でも、話し声は以前と同じボリュームに戻り、会話する回数は
格段に増えた。
時々うるさく感じるほどよくしゃべる。

食欲も戻り先日はご飯をお代わりしていた。

3カ月前。
夜中に不調を訴え救急車に乗って病院に運ばれた母。

自分に対する自信を失い、日々の生活が面倒に感じるようになり
「もうどうでもいいや」が口癖になっていた。

そんな母が
「今日はなんだか気持ちがいいよ。ほら、足もこんなに上がるよ」
そう言いながら両足を交互に上げ下げして足踏みしてみせた。

子供ような母の姿。
なんだか微笑ましい。

読んでいただきありがとうございます。



コロナ感染 症状と経過

コロナに感染し、只今自宅療養中(2022/8/26 現在 )

これまで現れた症状と経過。
そして感じたことをまとめてみました。

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2022/08/20
発熱
今思えば朝から少し身体が重かったかも知れない。
当日は気付かず普通に生活していたが夕方になり怠さを感じたので
体温を測ってみたら38度だった。
横になったままということもなく普通に過ごすことは出来ていた。
発熱のせいか喉が渇いた。

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2022/08/21

7時に検温 
体温は38度のままだった。
喉に軽に軽い痛みが出てきた。
唾をのみ込むときに違和感を感じる。

この日も普通に起きることは出来ていたが、いつもしている散歩
には出かるのをやめ、部屋で横になって過ごす。
ルーティンをこなす体力を使い消耗するより現状から少しでも回復
することや現状を維持することに体力を使うことに専念しようと思
った。
良いと思って取り入れている習慣も無理をすれば悪習に変わってし
まうから。

9時 再び検温 37.2度

10時 また検温 36.2度

僅か数時間で平熱へ戻る。
その代わり喉の痛みが強くなった。

この日は体温はこのまま経過した。

軽い倦怠感が出たのもこの日だった。

少し身体が重く、背中に痛みを感じるようにもなった。
この背中の痛みは発熱のせいなのか先日寝て過ごしていたからなの
か?
判断が難しかった。

もうひとつは手の指に感じるゴワゴワした感覚。
指を動かすときに各関節に異物があるような。。。台所にある金た
わしを握ったことがあると思いますが、あのたわしが指の節々に入
っているような感覚だった。

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2022/08/22

体温は36度
倦怠感などはないが喉が強烈に痛い。
つばを飲み込むときやあくびをするときにも痛みが走る。
熱した鉄で焼かれるかのような痛みで、療養期間中これが1番厄介な
症状だった。
喉に熱を帯びているせいか無性にアイスが食べたかった。
甘さを求めたのは体力を奪われたせいだろうか?

喉の痛みは昼頃まで続き、あとは徐々に痛みが引いていき、夕方には
ほぼ消えた。

背中の痛みは軽くなったもののまだ残ってはいたけど、午後軽くヨガ
の練習をしたら消えた。
発熱のせいではなく単なる運動不足からくる身体の硬直のようなもの
だったのかも知れない。

手の指もゆっくりと曲げ伸ばしなどをしていたら感じていた違和感が
なくなった。

医者ではないので医療的は発信は控えますが全てをウィルスのせいに
はしない方が良いかも知れない。

症状が重くないのであれば無理のない範囲で身体を動かしてみる。

弱っているメンタルを身体が引き上げてくれることもあるし、その逆
の場合もある。
良い気分転換にもなる。

心と身体は繋がっている。

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2022/08/23

体温 36度
喉の痛みは消えていた。

喉の痛みに変わって咳が出るようになる。
頻繁に出るわけではないが喉のイガイガが気になり咳払いする回数が
増えた。

その他の症状としては鼻水が出るようになった。
粘着性のないほぼ水のような鼻水で特に不快な感じはなかった。

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2022/08/24

体温 36度
喉の痛みなし。
咳はたまに出る程度。
鼻水は出る頻度、量ともに減った。

時々出る咳の症状を覗けばほぼほぼ普通に生活しているのと変わらな
い。

この日からネットにあるヨガ動画を見てヨガの練習再開。
約1週間ほどスタジオから遠ざかっただけで足の筋肉などが落ちてい
たのを感じた。

呼吸法の練習も再開。
穏やかな呼吸法はいつも通りに出来たけど少し激しい呼吸法をしたら
むせてしまったので途中で止めておいた。
まだタイミングではないらしい。
無理は禁物だ。

瞑想の練習も再開。
普段よりやや短い時間だったけどいつも通りの練習が出来たので安心。
習慣は自分を計るバロメーターにもなる。

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2022/08/25

体温 36度
喉の痛みはなく、咳もほとんど出ない
鼻水も垂れることがなくなった。

身体の感覚もいつも通りに戻っていた。

ヨガ、呼吸法、瞑想の練習も普段通り。

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発熱が続くのを覚悟していたけど熱は半日、しかもほとんど寝ていたので
苦しさなどを感じることはなかった。
少し身体の重さを感じる倦怠感があった程度。

発熱よりも喉の痛みの方に不快感を感じる時間が長かったけど、これも約
1日で治まってくれた。

身体や手の指が感じていた痛みや不快感はなぞだけど、運動不足と発熱の
影響のどちらか、またはどちらも影響していたのだろうと解釈しています


軽症のまま過ごせたけど相手(ウィルス)の働きを見くびらず無理はしな
いようにした。

普段続けている習慣でも場合によっては一旦休止して様子を見る。
馴染んでいる習慣でも自身の身体や心の状態が変われば単なる負担になる
こともある。
妙な義務感や罪悪感に背中を押されないよう冷静に判断する。

根拠の有無に関わらず世の流布されている情報を受け取りつつも流されな
い、思い込まないよう気を付ける。
厳しい状況下では道しるべを灯してくれる人に心が向いてしまうこともあ
るけど本当に自分にとって必要な情報、言葉なのかを冷静に判断する。
受け取った言葉やメッセージは自分にとって大切なのか?を見極める。

安易な判断はせず医者の診断も受ける。
その後は自身の身体と真正面から向き合い、自身で判断をする。
必要とあれば躊躇なく病院や医師とコンタクトする。

普段とは違う状況下では不安になりやすく、バランスを失うとあれこれ考
えを巡らせてしまったり、時間があるのでネットにある情報や言葉に触れ
る時間や機会が増えますが、普段の時間の過ごし方、習慣が自身を守り、
支えてくれることを再確認しました。

私の場合、それがヨガと瞑想だと再確認出来ました。

2022/08/20~2022/-8/26まで
コロナに感染して起きた症状と感じたことをまとめてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。









日々是好日 体調を崩している母との暮らし

朝、母が突然泣き出した。。。

「どうしたの?」
仕事の手を止め母に近づき顔を覗き込みながらそう聞いた。

「身体がこんな風になちゃって。。。もう元に戻らないよ。。。」
そう言って両手で涙を拭いている。
子供のように泣く母を見てまるで言葉が出なかった。
気休めの言葉をかける雰囲気ではなかったから。。。

「こんな風になってしまってたくさんの人に迷惑をかけてしまって
 。。。お前も仕事出来なじゃないか」
泣きながら声を震わせて、絞り出すかのように。
言葉にするのがとても辛そうだったけど言葉にせずにはいられない。
そんな悲しくて苦しい母の心の響きが感じられた。

6月に体調を崩して以降、特に病気になったわけでもなく各種検査
の結果も悪くはない。
でも身体と心のどこかで何かが上手くかみ合っていないのだろう。

良くなったと思えば調子を崩す。
そんな毎日の連続で次第に母のメンタルはとても不安定になってし
まった。

この日はお腹の調子が悪く、朝からトイレに行く回数が多かった。
私が自宅療養する中、自分で整腸剤を買いに薬局まで行けるのか自
信がなく、ご近所に住む友達に買い物のお願いをした電話を切った
直後に母は泣き出した。

元気なころの自分と比べてしまい、今の自分が本当に情けなく思っ
てしまったのだろう。

私は母の肩に手を置いた。
その手で背中をさすりながら
「家族だろ。申し訳ないなんて思わなくて良いんだよ。大体、迷惑
 だなんて思ってないんだからさ」
私がそう言うと

「だって畑や家事やら。。。やらなくて良いことまでやらせてしま
 って。。。」
「何言ってんだよ。畑も料理も意外と楽しんでるよ。お母さんが畑
 を解約しようって言ったときに続けたいって言ったのは俺だよ。
 迷惑どころか感謝してるよ。こんなことにならなければあんなに
 楽しいことには巡りあえてなかったんだからさ」

手で涙を拭き椅子に座った母。
私に対する申し訳ないという気持ちの全てが払しょく出来た顔はし
ていなかったけど少し気持ちが落ち着いた様子。

「もちろん元気にはなって欲しいけど無理はしないで欲しい。検査
 での結果は良かったんだからそこは自信もって良いと思うよ」

もっと言いたいことや伝えたいことはあったけど、あれこれ1度に
全てを話してしまう状況ではないと思った。

母が何か言葉を発したらゆっくりと聞く。
そんな姿勢で言葉を待ったけど、母は下を向いたままだった。

年齢を重ねれば誰しも身体のどこかの機能が落ちてくる。
検査には出なくても全体としてのバランスを崩したり、身体の不調
がメンタルに影響してしまうこともあるのだろう。

健康体で普通に暮らしている人には見えてこない世界。
見た目は普通で検査をしても分からないから説明するのが難しく、
サボっているとか怠けているとか言われて傷ついている人も少なく
ないのだろう。

仕事が出来ないからという理由だけで自分を攻めたりしない方が良
いとは言うけれど本人は簡単に「うん、そうだね」とは言いだせな
いだろうし。

でも覚えておいて欲しい。
居てくれるだけで誰かの支えにもなるし、あなたの存在のお陰で頑
張れる人もいる。
本当に有り難いのだ。

事実私は母のお陰でこうして毎日元気に過ごすことが出来ている。
母が体調を崩したことがきっかけで畑や料理という素晴らしい時間
の過ごし方とも出会えた。

そして覚えておきたい。
世の中には心のバランスの喪失などで苦しんでいく人がいることを

社会の構造が変化し、これまでの診断方法では結論付けられない心
の悩みが生じていることを。

理解は出来ない。
しようとしてもとても困難だ。
理解していないのに「分かるよ」なんて言えないし。

でも言葉はなくても側にいたり手を握るなどの軽いコミュニケーシ
ョンで伝えられることもある。

専門家にまかせることも選択肢のひとつだろう。
無理して全てを抱え込み過ぎた果てに自分も身体を壊しメンタルバ
ランスを崩し大切な人の面倒を見ることが出来なくなってしまうこ
ともあると思う。
そうなる前に専門機関に連絡しプロに話を聞いてもらうことも必要
だと思う。

抱え込ませないこと。
抱え込まないこと。

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2か月前には部屋に籠りきりだった母が台所に立つようになり、近
所を散歩するようにもなってきた。

涼しくなってきてからは散歩の回数を増やし、少し遠回りして歩く
ようにもなってきた。
誰にも言われることなく自分でそうしている。

ゆっくりとだけどバランスを、今取れるバランスを取り戻そうとし
ているのが伝わってくる。

「今日は3回散歩したね」
「この料理美味しいじゃん」
「お腹の調子は大丈夫?」

私も母の神経を触らない範囲で話しかける機会を増やしている。
「前は出来たのに」
腹が立っても本人を傷つけるような言葉は口にしない。
時々イラッとして強い口調で言ってしまうこともあるけれど、言
葉にするその手前で冷静に自分に対処する。

軽はずみで口にした言葉が相手にとっては一生の傷になることも
あるので家族であろうと気を付けたい。

妹も毎朝電話をかけてくることを欠かさない。
時々喧嘩してるけどそれくらいで丁度良いのだろう。

家族だから出来ること。
日頃思っていてもいざ実践すると難しいこともあるけれど、家族
はみんなで年齢を重ねていく。

自分しか見えない頃があったけど、今は母の様子や顔の表情を見
ながらお互いにとって丁度良い距離感を計りつつ生活しています


日々是好日。

読んでいただきありがとうございました。






コロナ感染が判明するまで 私の場合

「はい。陽性ですね」
そうドクターから告げられた。
想定の範囲内だったので特に驚くこともなく淡々と話を聞いた。

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2022年8月20日(土)
夕方になり気だるさを感じたので体温計をオンにして脇に挟む。

1分後に体温測定完了を知らせるピピピ~という音が3回鳴る。
体温計のディスプレイを見ると38度と表示されていた。
「あれ?熱が出てるよ」とつぶやく私に母が少し驚いた表情を
した。

「コロナの可能性もあるからもうあまり近寄らないでね」と私
が告げると
「うん、分かった」と不安げな声で母が答えた。

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発熱したなんて一体いつ以来だろう。。。?
確か大学生の頃に布団から起きられなくなりバイトを1週間ほど
休んだ記憶があるので。。。35年振りになるのかな?などと思
いながら布団に寝転んだ。
ほどなく眠りについた。
発熱によって体力が奪われたいたからなのだろうか普段より随分
早い時間に眠ってしまった。

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翌朝7時ころ目覚めるもなんとなく布団の中から出たくない。。
身体が重く感じた。
少ししてから布団に座り体温を測定してみた。
38度。昨夜と変わらない。

私が起きた気配を感じ母が「大丈夫?」と声をかけてくる。
声をかけてくるだけではなくかなり接近してくる。

「ダメだよ、お母さん。ちょっと離れて離さないとお母さんに感染
 させてしまうから」
「あっ、そうだったね」
と言いながらもまだ近くにいる。
そして
「もう感染しちゃってるかも知れないし。。それならそれでいいや」

慎重で何事にも臆病な癖に諦めが早いところがある母なのだ。

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病院へ行き検査を急ぎたかったけどまずは日曜日でもあるし発熱外来
の予約が取りづらいとも聞いていたので抗原検査キットを使い自分で
簡単なチェックをしてみることに。

私の住む埼玉県でもキットの無料配布が始まっているとネットの記事
で読んだことがあったので検索してみた。

確かに抗原検査キットの無料配布は行われている。
受け取り方法は宅配と指定の場所へ足を運びその場で受け取るという
2つの方法があった。

熱があるので車を運転して事故でも起こして人を巻き込んでしまった
り、建築物に突っ込んだりぶつけて傷をつけてしまうのは避けたかっ
たので宅配での受け取りを申し込んでみることに。

しかしサービスを受ける条件として50歳以下と書いてある。
50歳以上の人は医療機関での検査受診を勧めるとの文言が書いてあ
った。

私の年齢ではこのサービスを受けることは出来ないことが判明した。

実は適当なひらめきであることをしたら熱が下がったのですが、それ
はまた別の機会にでも書こうと思います。

朝7時の段階で38度だった体温が10時ころには平熱に戻っていた
けれど発熱していた間に体力が奪われたのかその日はあまり動きたく
ない気持ちが強かった。

「昼過ぎからは好きなキックボクシングのネット配信もあるし、今日
 のところは様子見しながら過ごしてみるか」

ただキックボクシングの配信を見て1日過ごしてしまうのもどうかと
思ったのでAmazonで抗原検査キットを購入もした。

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翌日の午後1時ころに抗原検査キットが届いたので早速検査。

2個買ったのでひとつは私、もうひとつは母が使いそれぞれ検査して
みた。

母は1本のラインしか現れず陰性だった。
ひと安心。

そして私は。。。。出た!2本線。陽性確定~。

埼玉県のホームページを開くと「診療可能な医療機関」という項目が
ありそこをクリック。

出来るだけ移動距離の少ない病院やクリニックを探したところを探し
てみたら以前ワクチンを接種したクリニックでの受診が可能だった。

受診予約は不要だが行く前には必ずクリニックへ電話して連絡した旨
を伝えるようにとのことなので、電話をかけてみることに。

「電話しろって言っても繋がらないんじゃないかな?」と思いつつ電
話してみたら意外にも呼び出し音が鳴った。

鳴った。。。けどなかなかつながらない。
そして途中で切れてしまう。

「やはり難しいのかな?」と思いながら何回か電話をかけ続けたところ
4回目の電話で
「はい。〇〇クリニックです」と男性の声
意外と早く繋がることが出来た。

電話した旨を伝えたところ
「はい。今日の15時半に来ることは出来ますか?」と聞かれた。
「えっ?今日診ていただけるのですか?」

「えぇ。大丈夫ですよ」
「分かりました。うかがいます」

「ではお待ちしております」
「ありがとうございます」

意外と簡単に話がまとまり約束の時間に合わせてクリニックへ向か
った。

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クリニックに到着し受付で来院目的を告げると一般の患者さんたち
とは別のスペースへ案内された。

待つこと約5分。
すぐに看護師さんが来て受診室へ案内してくれた。
とても可愛い看護師さんだった。
ラッキ~!

「発熱されたとのことですよね?」と質問されたので
「はい。でも今はもう平熱です」と答える

「抗原検査をされたとのことでしたよね?」
「はい。ネットで購入したものを使いました」

「それは認定を受けているものでしょうか?」
「実験用なので診断に基準にはならないと書いてありました。念の
 為持ってきたもですけど。。」とキットを取り出そうとすると

「それだと正式な検査結果にはならないのでこちらで再度検査しま
 しょうか?」
「はい。お願いします」

「少々お待ちくださいね」
そう言い残して可愛い看護師さんは診察室から出ていった。

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ほどなく先ほどの可愛い看護師さんが戻ってきた。

「ちょっと気持ち悪いかも知れないですけど。。。我慢して下さいね
」と笑顔で私の鼻の穴の奥に検査用の棒を入れて鼻の穴の中でクルク
ル回す。
先はブラシのようになっているのだろうか?
柔らかいので痛くはないのだが私にとっては異物なので不快感に感じ
る。
普段触れることのない鼻の奥の奥だから余計にそう感じる。

左の鼻の穴から右の鼻の穴へ。
両方の鼻の穴の中をグルグルされた。
「痛くなたっかですか?ごめんなさいね」
と可愛い看護師さん
「は~い。大丈夫で~す」と答えると

「ではすぐに結果が出ますのでここでお待ちくださいね」
と言って診察室から出て行った。

その後クリニックのドクターが来て陽性と伝えられた。

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正直、もう少し受診すること自体が大変かと思っていたけどそれほど
待つこともなく受診し結果を知ることが出来た。

入院が必要な症状が出たり重症化してしまった場合はこれとは比較に
ならないくらい時間がかかるのかも知れないし、私がたまたま早く順
調に受診することが出来ただけなのかも知れない。

あくまで私の経験ですので「これが普通」とは受け止めないで下さい
ね。

何かひとつでも皆さんの参考になる点があれば幸いです。

読んでいただきありがとうございました。










母に捧げるマッサージ

体調を崩した母。
日が経つに連れ少しずつ崩したバランスを取り戻しつつある。

病院での診察検査を通し、今のところ特定箇所に問題はないとの
結果を目にしたものの自身が感じる不安定な感覚や不安。
これまで生きてきた中で経験したことのなかった感覚が生まれ、
それが不安へと繋がってしまったのかも知れない。

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神経科で診察を受けた際に医師からは
「特に問題はないのですが首や肩の周りがやや固まっているね。
 少しもみほぐしたりすれば眩暈は軽くなる可能性がありますよ
」とアドバイスがあった。

月1で開催している「マルマヨガの会」ではインストラクターさ
んから自分で自分の身体を癒すセルフマッサージを習う時間があ
る。

また通っているヨガスタジオでも首や肩のツボやそのケアの仕方
を習うこともある。

この際だからヨガで学んだことを実践してみようと思い、母に
「マッサージしてみる?」と聞いたところ、「うん。やってみよ
うか」との答えが返ってきた。

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マッサージとは言っても素人の私には大したことが出来るわけでも
なく、母の身体を優しく触ったりなでたり、マルマというツボのよ
うな箇所に触れたりするだけだ。

素人の私がするマッサージでもほどほど心地よいようで、5分しな
いうちに母は寝落ちしてしまう。

毎晩欠かさず母が寝る前に20~30分かけてマッサージをしてい
る。

少しは効果があるようで首にあった違和感がなくなり眩暈はしなく
なったそうだ。

今までのように排泄が毎日上手くできなくなっていたようだけど、
胃腸につながるマルマに触れていたからだろうか、今では毎日排泄
が出来るようにもなっている。
ただ、排泄の時間は一定ではなく朝早くだったり朝10時ころだっ
たりとまちまち。
でも、数日便秘が続き気持ちが焦っていたころと比べたら気持ちが
安定しているからだろうか表情も落ち着いてきた。

体調の改善はもちろん、会話する機会も増えてきた。

一時は口を開くことが極端に減り、話をしても声がとても小さく聞
きとるのが大変だったけど、今は自分から話をするようになってき
た。

笑うこともそう。
病院に通っているころは笑うこともなくなり、こちらが話しかけて
もうんともすんとも言わなくなっていた母が笑うようになってきた

笑うだけの心のゆとりを取り戻したのだなと感じるし、私自身も母
の笑い声を聞いて安心できる。

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まだ完全に体調を崩すまえの状態に戻った訳ではなく、自分に対す
る不安や体調体力に対する不安感は残ったままのようだ。

でも、この1カ月で表情が明るくなり、散歩に出かけるようになっ
たり、台所仕事をするようにもなってきた。
私が畑に行くときも体調が良ければ「一緒に行ってみようかな」と
自分から言いだす機会も増えてきた。
畑に行けば一心不乱に働いている。
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自分の母親に触れる機会なんて子供のころ以来だろうか?
マッサージを始めた当初は恥ずかしさもあったけど、マッサージを
しながら母の手足や指先に触れると、この手で毎日欠かさず料理を
作ってくれたのだな、とか仕事先でもこの足で踏ん張って仕事して
家計を助け、私や妹を育ててくれたのだな、なんてことが思い浮か
ぶようにもなってきた。

毎日20~30分のマッサージだけではとてもじゃないけどお返し
出来ないくらいの恩を感じる。

マルマヨガのインストラクターさんからは
「マッサージって相手はもちろんだけどしている本人も癒されるん
 ですよ」と話していたけど、母にマッサージをすることで母に対
する感謝の想いはもちろん、すでに亡くなっている父への感謝も深
まったように感じる。
父の遺影に対して頭を下げる機会が増えてきました。

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もし大切な人が身体の不調を訴えていたり、疲れた様子を見せてい
たら是非マッサージをしてあげてみてください。

マッサージをしながら今日の出来事を聞いたり体調を尋ねたりして
みてください。


おわり

逍遥 週末散歩

逍遥
散歩よりも少し長い時間歩くこと
大地を踏みしめ風を感じながら歩数に囚われることなく、時間
にも囚われることなく。。。ただただ歩く。
心地良さとともに大いなる恵みに出会えることもある逍遥。
週末ちょっと遠回りしてみませんか?

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週末
時間に余裕があるときは少し長めの散歩をしています。

90~120分かけて子供の頃に歩いた通学路や田んぼの畦道、
小さな沼の周囲や公園をゆっくりと歩ています。

週末のルーティンという訳でもなく、健康の為などの目的がある
わけでもなく、ただ歩きたいから歩いています。

雨が降っている日は歩かないし、用事がある日も歩きません。
ただ歩きたいから歩く。
散歩にたくさんの理由はいらないでしょう。

季節ごとの風。
その日の風向き。

田んぼの畦道を歩くと土の匂いが楽しめます。
晴れている日と雨が降った後では違い匂いがします。

空を流れていく雲。
ゆっくりと形を変えて流れていく雲があれば
遠くで悠然と構えているような入道雲もある。

用水路には季節ごとにカモやシラサギなどの鳥たちの姿がありま
す。

五感を通し
身体を通し
100%手つかずの自然というわけではないけど、そこには確か
な自然からの恵みが感じられます。

水を張ったたんぼ 水面に映る空と雲

川沿いにある沼地
ここではたくさんの生き物が暮らしています。
鳥、カエルや虫たち。
ザリガニ釣りを楽しむ親子連れの姿も見かけます。

背の高い葦や菖蒲が群生していて風のある日はとても心地よい音が
耳に届きます。

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沼地の裏手には小さな公園があります。
一面芝生が広がっていて、私はここを裸足で歩くのが大好きです。

足の裏で感じる芝やクローバーなどの植物の感触。
芝は少しチクチク。。痛くはないですけどね。
クローバーはとても柔らかく優しい感触が楽しめます。

シロツメクサの花には仕事中の蜂たちがいるので、彼らを踏まない
よう進路を小まめに変更します。
自然は人間だけのものではないので上手にシェアしていきたいです
ね。
無暗に刺激すると刺されて痛い思いをすつかも知れませんし。

裸足で大地と触れる。
アーシングやグラウンディングとも呼ばれ、身体の内面にある毒素
を外へ排出する効果があるとも言われているそうです。

足の裏にはたくさんの神経やツボがあるので、受け取る信号も様々
です。

詳しい知識がなくても足裏で感じる心地よさに身を委ねるだけでも
相当な癒しに繋がると思います。

公園だけあって滑り台で遊ぶ子供たちやバドミントンやサッカーを
楽しんでいるお役連れがいます。

私は空いているスペースを見つけて軽くヨガをします。
好きなポーズ。
苦手なポーズ。
習ったことの復習をしたりもします。

普段は綺麗なスタジオで練習をしていますが、外でするヨガは格別
です。

綺麗な空気をいただきながら、黙々淡々とポーズを取ります。
ポーズによっては視線を空へ、流れていく雲を見送りながらしばら
くの間姿勢をキープします。

時間を決めてはいませんが20~40分ヨガを楽しみます。
時には1時間を超えてしまうこともあります。

人はいますが視線は気にならない。
競うこともなく、人に見せつける為にするのでもなく。
じっくりと自分、そして自分の今、自分の内側と繋がるツール。
それはヨガである。
通っているスタジオの先生たちから習うヨガの定義。
私もそう思うし信じています。

外ヨガはその状況に自分を連れて行ってくれるとても良い環境だと
感じています。

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夏になると蚊が飛び始めるので中止してますが、瞑想をしたりもし
ます。

風の音
自分が呼吸する音。
子供たちの笑い声。
耳に届く音や身体を優しく包んでくれるような風の強弱や向きを感
じているうちに徐々に自分の内側へ集中していきます。

瞑想は10~20分ほど。
冬は冷たい風にさらされるので長い時間は出来ませんが、ヨガで火照
った身体から発する熱と柔らかな日差しに守られての瞑想もまた心地
良いものです。

瞑想が終われば靴を履いて再び歩き出します。
ここから家に戻ることになります。

芝生で瞑想中の私 変な人がいる!なんて通報されたことはありません。

公園から自宅までは歩いて20分ほど。
田んぼや草木、花や田んぼ、畑を眺めながらゆったりと歩いて終了
です。

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普段気を付けてはいても、または気が付かない間にストレスを感じ
ているものです。
それが蓄積してしまうと身体や心に何かの症状が出たり、バランス
を崩してしまったり。
元通りになるには大変な時間がかかったりもしますよね。

仕事から離れ、身近な人(家族や友人)からさえも離れ、一人で過
ごす贅沢な時間。

自然に触れ、自然を感じる。
身体を動かす。

散歩にある程度自分の心を修復してくれる癒しの効果がとてもある
と感じています。

またそれだけにとどまらず、仕事の事や人間関係、抱えている課題
や悩みに対する答えがちょっとした瞬間に解決する、または解決の
糸口、ヒントを運んでくれる効果もあるようです。

散歩している間はそれらを求めたりはしていないのですが、心が整
うと今の自分にとって最適な答えが降ってくる。

そんな体験を多々しています。

ネットで調べると「逍遥」なるワードと出会い、かつての哲学者や
科学者、文芸家なども「逍遥」する時間を大切にしていたというこ
とが書いてありました。

私は単なる暇人ですけど(笑)
少し時間をかけて歩くこと。
それを習慣にすることには何か大きな意味があるのかも知れません
ね。
その答えを時間をかけて、自分の身体を通して見出していく。
そんな楽しさが週末散歩にはあります。

いきなり遠くまで歩くのは大変だと思います。
20~30分。
家の近所を何週か回ることからでも始めてみては如何でしょうか。

良い習慣は良い習慣を連れてくる。
あるインド人から贈ってもらった素敵な言葉です。

週末散歩。
お勧めします。

おわり